福島正則、散々に叱りつけ

2018年02月22日 18:34

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/22(木) 18:29:27.56 ID:7/fd5rz0
福島正則が安芸に入部して、広島城の普請のおり、正則は石垣の据え方が悪いと、近江坂本より雇った
穴太衆たちを叱りつけ、さらに石垣の普請を担当する、丹波、石見、久之丞といった者たちにも
「お前たち一人ひとりの首を切ってやるぞ!」(おのれら一々首を切くれん)と、散々に叱りつけた。

さらに気が治まらなかったのか、元織田秀信の家老であった木造大膳(長政)の持ち場へ行くと
「木造殿は岐阜中納言(秀信)をしたいままにあしらっていたというが、それは間違いだったようだ!」
そう罵り、散々に叱りつけ、それは朋輩たちに対しても恥ずかしくなるほどの叱り方で、木造大膳は
面目無く無念に思い、そのまま宿舎へ帰り

「只今このように主人より叱られた事、不覚である。もはや男として立つことも出来ない。
二万石の所領と軍役の人数をみな返納し、船にて上方へ退く所存である!」

そう言って支度を始めたところ、石見、丹波、久之丞その他組頭の衆がやってきて様々に異見し、
そうしてどうにか、留まることになったという。

(福島太夫殿御事)



551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/22(木) 18:45:54.29 ID:cwMgupbs
市松はほんと人間としての器が小さいな

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/22(木) 19:11:38.00 ID:8gtNielT
さては、一杯引っかけてたな
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細川幽齋覺書より、戦場での心得について

2018年02月21日 20:24

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 21:22:39.27 ID:c3U9fY9D
一、戦場において、幟ほど大切なものはない。幟さえ崩れなければ、敵方より仕掛けられる
  事はない。逆に軍勢が多く揃えてあっても、幟が倒れれば、こちらは敗軍したと敵は見て、
  合戦を仕掛けてくるものなのだ。

  幟大将を致すほどの人物が、他の者が敵と手を合わせるのを羨ましく思い、自分もそのように
  しようとすれば、幟の役が立たなくなってしまう。たとえ他の人々が、どれほど敵と手合わせ
  していても、幟さえ倒さなければ、敵と手合わせした人の手柄と同然であり、またそのような
  理屈をしっかり理解していないと、出来ない役である。
  名将と呼ばれる人々も、そういった資質が無い人間には、幟大将は務まらないと申されていた。

一、武士には、信心が無くてはならないものだ。殊に愛宕八幡には、別して信仰が有るべきである。
  ただし、火の物絶ち(火を通した食べ物を摂らない事)は全く無用である。私は若い頃、火の物絶ち
  を致して懲りたものだ。とにかく、物を食わねば何事も成り難い。

一、男道はあまりに律儀な計りでも成らぬものだ。少々人を出し抜く用に心がけなければ、
  優れた手柄も成らない。ただし、他人の協力がなければ出来ない事もある。そういう時は
  状況次第である。

一、陣に立つ時、具足の綿かみに梅干しを付けて参るべきだ。のどが渇いても水のない時は
  どうしようもないが、そういった時梅干しのことを思い出せば、口に唾の貯まるものである。

一、巾着には、干飯でも米でも、何か食えるものを常に絶えぬよう入れておき、普段居住している所に
  掛け置きしておいて、草鞋、脚長一足につき巾着袋を一つ付けておくべきである。そして主君が
  鷹野、または狩りなどに出られる時、腰につけて参れば、何があっても対応できるのだ。
  とにかく、物を食わなくては手柄も成らないものなのだ。

一、大小便を普段からゆるゆるとしていては癖になる。陣中、又は忙しき時にはそうは出来ないし、
  殊に常々の御奉公のさわりにもなる物である。こういったことは、常々より嗜んでおくべきである。

一、戦場にて、地面の塵やごみを蹴り立てると、煙のように空に上る。これを地煙と呼ぶ。
  この地煙が高く上るところは、馬上の武者が多いと心得、低いところは徒武者の居るところだと
  考えるべきである。ただし風など吹く時は、そういう心得も変えなければならない。

一、敵陣に物見に参る時、なんとも参る手立てのない時は、商人にまぎれて参るものだ。
  陣において備蓄が無い時は、敵味方が人数を立てあっている最中ですら、酒売商人など
  参るものである。当然、自分たちの方へもそういった者が参るわけで、少しも油断
  してはならない。

(細川幽齋覺書)

戦場での心得についていくつか



657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 23:40:37.28 ID:jlZaj6kt
>一、大小便を普段からゆるゆるとしていては癖になる。陣中、又は忙しき時にはそうは出来ないし、

ワイ将、大腸過敏の長距離電車通勤組、毎日陣中(電車)で我慢

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 00:21:20.09 ID:yMVZx1uC
マニュアル作るの好きなんだなあって分かる

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 01:45:46.22 ID:UTaI4uHy
一、大小便を普段からゆるゆるとしていては癖になる。
幽斎でも大小便をするんだ…

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 02:03:49.36 ID:7XdmiP1b
フン!って力むから卒中するんだよな

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 02:48:38.93 ID:X2fLifG2
不識庵「なんやて」

662 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/02/21(水) 08:20:06.28 ID:u0yUUzj8
マニュアルかなぁ?
単に危機管理の為のノウハウの蓄積をしようとしてるだけとしか。

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 16:45:23.98 ID:lUc9Phna
マニュアル以前のメモ書きだよな。
ただそんなメモ書きでも書いておけば役に立つ。
食料や道具の準備について大分項目を割いているが、
それだけ何の準備もなく参陣する奴が多かったんだろうなぁ。

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 17:12:32.37 ID:i4qjyDOk
梅干しの話はまんま望梅止渴の故事からだろうけど実際効果の程はどうだったんだろう

めいどには 能わか衆のありければ

2018年02月21日 20:23

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 03:39:28.52 ID:aA/6Utkz
そのようなところに、政元(細川政元)はあまりに物狂わしくおられたため、御内・外様の
人々は、「この分ではどうしようもない」と悲しみ合っていた。

その折に薬師寺与一(元一)はつくづく考え出して、赤沢宗益(朝経)という法師と相語らい、
「政元を誅し奉り、阿波の六郎澄元をその上に崇め申しようぞ!」と語ると、

かの宗益は同心した。しかし、ある文に“好事門を出でず 悪事千里を行く”というが、道理
ではないだろうか。包み隠してもこの事はわずかに表れてしまい、叶わずして宗益は伏見
竹田口へと切り上った。

頃は永正元年(1504)甲子9月初めに与一は淀城へ立て籠もった。そのため京や田舎
では仰天して物言い取り取りであった。

そうとはいえども政元の御内衆は与一の弟の与次(長忠)を初めとして御屋形様へと参り、
評議をなしてすぐに諸勢を催し、淀城へと押し寄せて川とも堀ともいわずに攻めなさった。

城中でもここを先途と戦ったが、まことに攻め手は国々の勢たちが一つになって新手を
入れ替え攻めていった。そうして城中ではここかしこで5人、10人ずつ討死していった。

そのようにばかりで、どうして堪えることができるだろうか。9月18日申刻、ついに城は
落ちてしまった。与一は今一度謀反を企てようと思い、川の畔の葦の中で弛んでいたが、
因果の道理に任せて生け捕りとなり、都へと上った。

船橋に一元院といって、与一が世にありし時に建立した寺があった。与一はそこへ移り、
色々の物語りをして一首の歌にかくばかり。

「めいどには 能わか衆(我が主)のありければ おもひ立ぬる 旅衣かな」
(あの世には良い主君がいるので、思い立って旅立つとしよう)
(あの世には良い若衆がいるから、お前も早く来るといいぞ)

このように親しき方へ文などを遣わし、最後の時の申し様は、

「皆々御存知のように我は一文字好みの薬師寺与一。名乗りも元一、この寺も一元院と
名付けた。されば腹をも一文字に切ってやろう!」

と言って腹一文字にかき切り、朝の露とぞ消えにける。上下万民押し並べて皆涙を流した。

さるほどに弟の与次は御感を蒙り、今回の恩賞に桐の薹の御紋を賜り、三郎左衛門と
改名なされ、兄の与一の跡を賜って摂津国上下守護代となり栄華に誇った。

昔も主君の仰せに従い、源義朝が父・為義の首を取りなさったのである。ましてや末世の
以下の侍であれば、主君の下知に従って兄の立て籠もる城を攻めるのは道理である。

――『細川両家記』



549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/22(木) 11:34:46.20 ID:/G4E2NbT
死に様一つで見事にキャラがたった与一さん
なぜか万民が涙を流す

週間ブログ拍手ランキング【2/15~/21】

2018年02月21日 20:18

2/15~/21のブログ拍手ランキングです!


ついに富田長繁がピックアップされた小説が 20

過分の扶持 18

那須神社 御由緒 12
細川幽齋覺書より、川を挟んだ合戦 10
団右衛門を逃がす 9

両大将の御軍法 8
細川の流れが2つになってしまう原因 4
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事 4


今週の1位は、何とこちら!ついに富田長繁がピックアップされた小説がです!
まさかまさか、何とあの富田長繁が小説にピックアップされるなんて!僕はKindle版待ちで、そちらは23日からだそうなので
指をくわえて待っていますが、面白いという噂は聞こえてきます。楽しみ!
井伊直虎も大河に成りましたし、こうやって、わりと早くにいい悪いスレで掘り起こされていた戦国時代の人物が、
こうやって世間的に知られて、少しずつ大きな存在に成っていくというのは、なんだかうれしいです。
いい悪いまとめの中には、まだまだ魅力的なキャラがたくさんいますから、その中からまた新たにピックアップされる
人が出てくるのを、ワクワクして待っていますw

2位はこちら!過分の扶持
福島正則が、落ちぶれた老将を千石で召し抱えるお話。正則が評価したのが、かつて小城主をも任されていた、という
経験である点が面白いですね。そしてその経験を活かすには、小さな知行では不可能だ、という考え方も実に理論的で
実践的です。
勿論正則は、それだけでなく一種の宣伝効果も考えてこういった人事をしたのでしょう。、このような話を聞けば、
他の家の、不遇を感じる老勇士たちへのアピールにもなりますしね。
わりと脳筋扱いされがちですが、福島正則という人の優秀さも感じさせてくれる。そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!両大将の御軍法です!
ここの信長秀吉の対比って、秀吉自身がそう思わせよとした信長像、秀吉像そのままですねw
これは実態を表しているというより、秀吉政権のプロパガンダをそのまま書き残した、と言うべきでしょうし、
細川幽斎にとってこう言ったという記録を残すことが、一種の保身と成り得た、と考えるべきなのでしょう。
そんな、発言の裏側を読む面白さの有る内容だな、と感じました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

細川の流れが2つになってしまう原因

2018年02月20日 16:23

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 04:19:24.31 ID:pTzW/K4q
さても世間の有り様を見聞すると、その道のならぬこと多し。

諸法をもっぱらに行うべき僧形は兵具を帯び、また弓箭を旨とすべき大俗は顕密の
両流に立ち入り、座禅の窓に心掛けている。まことに風変わりな時節である。

さて、この類ここにあり。

細川右京大夫政元と申す人は都の管領の職をお持ちになり、天下の覚え隠れなし。
しかしながら、細川の流れが2つになってしまう原因であったということだ。

40の齢に及ぶまで夫婦の語らいなきゆえ、御子は1人もいらっしゃらなかった。
常には魔法を行って近国他国を動かし、またある時は津々浦々の御船遊びばかり
行っていたのである。

そのため家子や老衆は詫言し、ある時に皆々相談して、かたじけなくも九条関白殿
の末の御子(細川澄之)を申し受けなさり養子となし奉った。すなわち政元の幼名と

同じく聡明殿と申した。光陰を送り程なく御成人され、御元服されて九郎殿と号し、
皆々深く慕い申し上げた。さて政元は何と思召されたのか、御心中は相変わって、

「よくよく物事を考えると、我が家は一門中の誰かが持たなければ良くないであろう」
と思し召した。阿波国に住みなさる細川讃岐守(成之)は御出家なさって慈雲院殿と
申し、この御孫に六郎澄元という人がいた。

政元は「この人を養子にして我が家を譲りたいものだ」と思し召し、摂津国守護代の
薬師寺与一元一を御使にして阿波国へ差し下した。与一はたいそう畏まって兵庫の
浦より船に乗り、絵島明石を打ち眺め、鳴門の渡りを漕ぎ過ぎて阿波国へ到着した。

慈雲院殿へこの由を申し上げると、入道殿は聞こし召して「どうしたものか」と、暫く
御思案されたが、与一は武略を巡らせて漢家本朝の例を色々と申されたので、

斟酌ながら御了承されたため、与一は御返事を頂き、時の面目を施して都へ上った。
この由を申し上げると、政元は御悦びになること限りなし。

――『細川両家記』



545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 11:21:32.09 ID:/W40+KPc
あれ?一人足りないぞ?

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 13:54:30.42 ID:QeNsa6BB
俺のことか!

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 23:20:28.14 ID:jlZaj6kt
???「なんか足んねぇんだよなぁ」

越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事

2018年02月19日 17:52

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 19:10:30.83 ID:Z9pD70Ir
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事



永禄7年(1564年)5月下旬より6月半ばに至り、本庄繁長柿崎景家を魁首として、
上杉謙信公は越中国に在馬した。

この折節、魚津の海上において貝の城が出来たのを見るといって、
浜辺には市のように多くの老若男女が集まり垣根を巡らしたようであった。

暑熱の時に属して、蛤がたむろして靄気を立てていた。
中華の書物で言われている蜃気楼とはこれであろう。

故老の説に曰く、

「蜃(シャコ貝の一種)は蛤の大きいやつだ。よく気を吐いて楼台を作る。南北海に多い。
 支那登州の海濤は、春夏の間に水面を遠くから眺めると、これ気がある。
 人馬の往来が絶え間ない城郭や市を彷彿とさせる。地元では海市と呼んでいる。
 西域でもこれに似た事があると伝え聞く。

 朝日が出始める時、紅輝天に映して楼門宮闕を現して、ちかく官人の出入りを見る。
 日が高く昇ると消滅する。しかしながら、肉眼の及ぼす幻みたいなもので実在はしない。
 これを乾達婆城と名づく。全て乾坤の間象を含む者、
 陰陽の二気を感じて変化の成行を計り知ることは出来ないという」


両大将の御軍法

2018年02月18日 19:04

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 18:31:02.46 ID:dR3J4lSy
一、信長様の御軍法は、敵と成った者は、その子々孫々までも討ち果たし、その跡まで
  掘り返すほどに厳しくして、天下を治められた。内裏の修理など仰せ付けられ、王法の
  衰えたのもお取り立てされ、その後仔細あって、上京の騒ぎを払うとして、京の地子を
  御免になられた。万事において賞罰を正しく仰せ付けられた故に、万民に至るまで、
  その仰せを奉らないという事は無かった。
  ではあったが、一度敵対した者は、詫び言を申し上げ旗下に付いても、お心を許すこと無く、
  御憎み浅からず、故に謀反人が多く出た。こういう時は、強いだけではどうにもならないものだ。

  こういった事を太閤様(秀吉)はよくご覧になっており、敵対した者へは厳しく申し付け、
  これに対し詫び言申し上げ旗下と成れば、御譜代同然に懇ろに心を開かれた。是故に、昨日まで
  敵対していた者でも、身命を捨て忠節を致すべきと考え、故に謀反人も無く、早く天下を
  治められたのだ。

  両大将の御軍法はこのように裏腹に違う、この心持ちは、小身の召使の者にも心得あるべきである。

(細川幽齋覺書)



651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 18:57:18.66 ID:cegVxge2
秀頼シフトを敷かなければ豊臣政権は続いたのだろうか?

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/19(月) 15:28:24.75 ID:TRb3+EFk
>>650
信長のほうが寝返りに甘い印象あるけどなー、細川の処世術かな

>>651
秀吉死後に秀次派と秀頼派で関ヶ原なりそう

653 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/02/19(月) 15:41:39.50 ID:jY3t1EHB
>>652
「信長と消えた家臣たち」って本を読むと細川幽斎の気持ちが少しわかるよ

細川幽齋覺書より、川を挟んだ合戦

2018年02月17日 09:55

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/17(土) 00:09:50.53 ID:Qls51LFz
一、敵が川を前に軍勢を立てている時、その軍勢が厚く立てられている場合は、その川は浅いと
  心得るべきだ。逆に軍勢が薄い場合は、川が深いと心得るべきである。

一、敵方が川を渡ってきた場合、その川の三分の一ほど越えた時に、こちらは川端まで押し寄せ、
  鉄砲を撃って渡川を妨害しなければならない。川を渡られてしまうと、敵には勢いがつき、
  味方は勝利を失ってしまうものなのだ。

一、敵が川向うに居る時、此の方より川を渡す場合、少し川上から馬を乗り上げ、水の流れに
  つれて渡すようにすれば、早く渡れるものだ。少しでも早く、などと考え、川下から川上へ
  渡るような真似をすれば、結果遅くなってしまうものだ。

一、川を前に陣を取った場合、何よりも先ず筏を組める物を心にかけ、準備しておくことが大切である。
  とは言うものの、筏に組めるものが無く、また川を渡らなくてはどうにもならない、という状況に
  なった時は、「道具筏」といって、鑓などを組み合わせて、それに乗って渡る事もある。
  また「馬筏」といって、手綱を互いに取って組み、これにて川を渡すことも有る。このようにすれば
  弱き馬も強き馬にひかれ、造作なく渡れるように成る。
  「道具筏」「馬筏」とは、こういったもののことを言うのだ。

一、敵が川を渡ってくると予め解っている時は、此の方に柵を構築し、渡さないようにすべきである。

(細川幽齋覺書)

川を挟んだ合戦に関するお話



642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/17(土) 15:41:22.33 ID:nC83Xr0m
>>641
>馬筏
男塾みたいなやりかたで草

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/17(土) 18:31:41.07 ID:lPtSpuum
>>641
幽斎様なら馬を担いで渡れそう

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/17(土) 22:09:49.78 ID:uHB/+4zH
上流で馬の集団を渡河させて、流れを弱めて、歩兵を渡したエピがあったと思うんだが、
新田義貞だっけ?

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/17(土) 23:32:00.13 ID:GZSKK4fO
シーザーがやった話なら知ってるが

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 07:35:51.26 ID:cjiShSU3
上流で糞尿を流して水の手から疫病を発生させたんだっけ

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 09:40:16.59 ID:xa+2aYDi
馬上で糞尿を垂れ流して焼き味噌と言い張った?

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 13:45:15.27 ID:8Qu9Piho
徳川軍の兵士が大井川上流で人間堤防を作って下流を渡渉する織田軍を接待した話もあったな

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 14:59:17.72 ID:CtdKoPGM
男塾名物とかでありそうだな

団右衛門を逃がす

2018年02月16日 21:42

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/15(木) 22:45:59.12 ID:iuGNdXUY
加藤左馬(嘉明)殿の家臣であった塙団右衛門(直之)と申す者を、福島正則が召し抱えた所、
左馬殿より『団右衛門の事は私が深く構い(奉公構)をした者であるので、御扶持は御放しと
されますよう』と申し来た。

正則は団右衛門を呼び、このように言った
「左馬殿より、お主がお構いされていることを申し来た。どうだ、私の肝煎りにて、加藤家に
帰参しないか?」

しかし団右衛門は
「有り難きことと存じます。ですが、どんな事があっても帰参するつもりはありません!」
そう、直に申した所、正則は
「そういう事なら、退去させよう。左馬殿よりの使者の者たちに馳走を出させ、待たせておくように。」
そしてこの間に急ぎ早舟を準備させ、これに団右衛門を乗せ早々に出船させた。

これを確認してから、正則は加藤嘉明の使者を呼び出し、直々に返答した
「塙団右衛門の事、お構いされていることを知らずに召し抱えてしまった。そのため早速、扶持を放した。」
これを聞くと使者たちは直ぐに帰っていった。
しかしこの時既に団右衛門は順風の中、大阪へとはしりぬけ、そこに隠れ住んだ。
加藤嘉明は使者の報告を聞くとすぐに、団右衛門への討手を四方へ派遣したが、ついに発見できなかった
という。

その後、大阪の合戦の時、豊臣秀頼が彼を召し抱え、その時松平安房守(蜂須賀至鎮)の陣所に
夜討ちに入り手柄を成し、明けて夏の陣にて討ち死にした。

(福島太夫殿御事)


那須神社 御由緒

2018年02月15日 15:51

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 16:16:25.84 ID:G4VisRUK
その千石で兵士を養うんだから問題ない
戦巧者が育てりゃ強いだろ
千石の価値は出る

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 18:08:08.77 ID:4cURkP3I
栃木県大田原市の那須神社に行ったら、こんな由緒書が掲示されていた。
地元の大田原市民にとっては大関高増は神への崇敬の厚い立派な殿様なんだろうな。
ttps://dotup.org/uploda/dotup.org1463195.jpg
1463195.jpg

那須神社 御由緒
第十六代仁徳天皇の御代下野国造奈良別命が国家鎮護のため金瓊(黄金の玉)を埋め塚を築き祠を建て
天照皇大神 日本武尊 春日大神を祀ったのが濫觴と伝えられています。
(中略)
中世那須氏がこの地に勢力を広げ那須氏代々の氏神とし崇敬厚く特に与一宗隆ゆかりの社で四国屋島において扇の的を射る時
当社八幡大神湯泉大神を中心に念じ名声を添加に博したので社殿を再建し神意を慰め祭った。
その後大関氏那須氏に代わってこの地を領する代々の城主大関家の氏神として尊崇殊の外深く中でも
大関高増清増始め累代の城主しばしば神殿を再建修繕して今日に至て居ります
現在の楼門並び本殿は寛永十七年大関高増社殿の大修繕に成るもので昭和三二年八月本殿並楼門外栃木県重要文化財に指定された貴重な建造物であります
(中略)

平成二一年九月吉日


過分の扶持

2018年02月14日 18:28

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/13(火) 21:57:53.00 ID:tsCLngb4
小田孫兵衛という、元森家の武士が落ちぶれて、福島正則の家臣である梶尾出雲という者を頼り、
福島家の広間の御番であってもしたいとの望みを、梶尾より正則へ申し上げた。
梶尾は此のように言った

小田孫兵衛という人物は、森家の武士でありましたが、只今落ちぶれ、御広間の御番なりとも
いたしたいと、御家に仕えることを望んでおります。この者、かつては備中小田の城主でありまして、
少しばかり世間の覚えも有る者でした。また侍道の諸芸にも達している人物で、召し抱えて頂ければ
過分に存じ奉ります。」

正則はこれに答えた
「そういう者であれば抱えよう。追っ付けまみえ、五十人扶持を遣わそう。」

梶尾は驚いた
「さ、左様に過分に下されるような者ではありません!百五十石か二百石下されれば、過分に
存じ奉ります。」

「その方」正則は言った
「先ほど、彼は小城の主をも致した者だと申したのではなかったか!?そのような者に二百石や三百石
取らせても、後日主の役には立たぬものだ。」

そして小田孫兵衛にこう伝えられた、「千石の知行にて召し抱えられる」
孫兵衛は肝をつぶし、「一夜検校(急に金持ちになること)と成った!」と、それまでの
紙子の衣服を脱ぎ捨てて、天晴大名のような出で立ちとなった。
孫兵衛はこの時、72歳であった。
惣じて福島正則は、家中の者の跡目の事についても、親は子のために、一命を捨てて主の用に
立ったのだと、跡継ぎが少年であっても子供であっても、親の知行を相違なく継承させたという。

(福島太夫殿御事)



635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/13(火) 23:01:48.56 ID:3jtaZ7qU
>>634
ほんと、酒さえ飲まなければ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 14:32:31.02 ID:vSXtVQp5
72歳に千石はさすがにどうなんだw

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 15:01:04.96 ID:qAT1fi0C
広く人材を募るなら待遇を良くするのが正道だからね
先ず隗より始めよ、みたいな話じゃね

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 16:16:25.84 ID:G4VisRUK
その千石で兵士を養うんだから問題ない
戦巧者が育てりゃ強いだろ
千石の価値は出る

ついに富田長繁がピックアップされた小説が

2018年02月14日 18:27

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/13(火) 23:52:31.83 ID:cTUphLAD
https://booklog.jp/users/kobunsha-bungei/archives/1/4334912087
ついに富田長繁がピックアップされた小説が出るぞ…主人公は射殺した小林吉隆
SnapCrab_No-0359.jpg



539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 11:00:59.59 ID:fxCgwsxT
>>538
タイトルがぴったりじゃねーか! w

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/14(水) 16:18:21.46 ID:G4VisRUK
なかなかマニアックなとこを題材にする作家だな

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/15(木) 08:13:13.66 ID:Wykk0Was
くるい咲き(直球)

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/15(木) 20:58:54.90 ID:ZutmD3mi
主君義景公や御三家の景鏡、景健、景恒なんかはどう描かれているのかな?

週間ブログ拍手ランキング【02/08~/14】

2018年02月14日 18:22

02/08~/14のブログ拍手ランキングです!


細川幽齋覺書より、兵糧・食料のこと 23

殉死せぬこと 19

御最後の時、さぞかし私の事も 13
伊勢新九郎の伊豆討ち入り 11

細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話 10
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方 10

天下に名ありし者ども 9
京都四条糸屋の事件 5


今週の1位はこちら!細川幽齋覺書より、兵糧・食料のことです!
細川幽齋覺書は、幽斎自筆の覚書が後世に伝わったもの、とされる書物ですが、淡々と描かれつつ、内容は実に生々しさを
感じますね。ここだと「食べ物の話をするのは恥ずかしい、などという考えは何の役にも立たない」という部分など、近世の
いわゆる「武士道」や、戦国期には既にあったらしい「武士は食わねど高楊枝」的な発想とは真逆の、現実を突きつけられている
気持ちになります。
今週は他にも、
細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方
と、細川幽齋覺書からのお話がありました。調べてみた所、この本は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来ますね
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920302/68?tocOpened=1
気になる方は、よかったら原文の方にも、チャレンジしてみましょう!

2位はこちら!殉死せぬことです!
これを読むとどうしても知恵伊豆が頭に浮かんできちゃいますねwまあ松平信綱でなくても、この理路整然さは江戸期の武士かな
と感じます。
しかしかっこいいお話ですが、コメントの中でもそういった物がありましたが、嫌われることを恐れない発言でもありますね。
少なくとも好かれようとは全く考えていない。こう言ったタイプの人が堂々と生きていけるもの、江戸期ならではかな、
なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!京都四条糸屋の事件です!
信長公記に有る殺人事件のお話。その事件のディテールはわからないのですが、わからないだけに様々な想像が広がります。
小説や漫画をかく方は、この事件で短編を書いてみたらいいのに、なんて思うのです。僕は読みたいですしw
創作をされる方、是非是非!w



今週もたくさんの拍手を各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!

ところで今日はバレンタインデーらしいですよ!ハッピーバレンタイン!
僕は何とチョコを頂けましたよ!チロルチョコを!
…本当に義理チョコでチロル配る人って居るんだなあと、変な感心をしましたよ。
は、ハッピーバレンタイン!
まあ毒とか入ってなかったからそれはそれでハッピーだったのでしょう。

そんなわけで、また気に入った逸話を見つけましたら、曽於の拍手ボタンを押してやってくださいね!(/・ω・)/クヤシクナンカナイゾ

細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話

2018年02月13日 18:04

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/13(火) 11:45:47.06 ID:AnKMBnJ2
一、竹束を設置する時、敵より鉄砲を厳しく撃ってきて負傷者なども出た場合は、竹束を
  2,3も結合わせ、それを取り付けた盾を背負い、後ろ向きになって進み、敵に近づいた所で
  その陰から突き出すようにするのだ。

一、敵城に対して竹束にて仕寄りを作った時、本陣との間が道が悪いなどの理由で遠い場合は、
  城中より夜討ちなど行われることが有る。そういう危険の有る時は、10人でも20人でも、
  松明に火をつけて両手に持ち、本陣の方から竹束の裏まで幾度も往復するのだ。
  こうしておくと夜討ちは無い。これを「松明の心得」と云う。

一、竹束にて仕寄りし、敵の城を取り巻いた時に行う、「城はやし」というものがある。
  これは仕寄りのための井楼の上に二人三人も上がり、拍子木を打って音頭を取り、
  城に向かって「なふなふ明日は首をたもろふ えいえいわっ」と、竹束の裏に居る軍勢が
  一度に声を揃え鬨の声を作り、鉄砲をはたはたと撃ちかける、という物である。
  これを致すのは夜の五時(夜8時ころ)から夜明けにかけてである。
  何度もこれを行うと、城中に居る女子供たち、または籠城の経験の少ない者は殊の外
  騒ぎ慌てるものにて、それにより、20日保つ城も10日も保ちかね落城するものだ。

  また、「言葉戦い」と申す物もある。口の上手いものが井楼に上がり、的に向かって
  「御陣に申したきことがある!」と呼びかける。敵側から「何事にて候」と答えてくるので
  此の方よりこう言う「御籠城御大儀に候。ですが持ちこたえるのは中々成るまじき事故、
  御降参されるように。そうなさらないのなら、どうそ何方なりとも突き破りこちらを攻めに
  出て来られよ。あなた方の御首、はやく申し請けたいものです。  まあどちらにせよ、
  あなた方の御首を申し請けないと言うことにはならないでしょうが。」
  そのように敵の心にかかることを申すのだが、この時、慮外かましき(無礼で不躾な)事を
  言っては敵方からも悪口が返ってくるだけだ。なので敵が心のなかで心配に思っていることだけを
  言うべきなのである。

(細川幽齋覺書)

竹束に関連するお話

細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方

2018年02月12日 18:15

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/11(日) 21:54:07.70 ID:bA4eZOJj
一、合戦において頸を取った時、自身はその場に残り、頸は家臣などに持たせて主君へ遣わすのだ。

一、「頸をとっても捨てて、耳鼻だけ取るように」と大将より下知があった場合、鼻とともに
  唇を削いでおくべきだ。髭が無ければ女・童とまぎれてしまう。しかしながら若年の者は髭が
  無いので、その場合は何かその者の道具を取っておくと良い。

一、母衣武者の頸を取った場合は、その頸を母衣きぬにて包むのだ。通常の武者の場合は指物絹にて
  包むべし。ただし、こういったことも忙しいときには出来ない。そういう隙がないと判断される
  場合には、その討ち取った者の刀脇差しなどを取って、その頸に刺しておくとよい。

一、取った頸の耳に紐を通して持ち運ぶ者を見ることが有るが、それではおおかたちぎれ落ちてしまう。
  紐を口から顎に通して取り付け、これを馬の脇につけて運ぶのがよい。

(細川幽齋覺書)

細川幽斎の覚書より、取った頸の扱い方について



632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/12(月) 00:17:34.05 ID:3ZUmUOeV
庭師の首はどう扱えば良いんだろ?

天下に名ありし者ども

2018年02月11日 16:32

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/11(日) 03:48:33.01 ID:kn27m74I
天下に名ありし者ども


関ヶ原の戦いの後は、功名がある浪人が多くいるようになった。
池田輝政公は播州へ御入国された後、"天下に功名を顕す者"と聞けば
禄の多少を選ばず、その人相応に召し抱えられていたので
我も我もと浪人が御当家を望んで来るようになった。

浪人の取次は若原右京に仰せ付けられていたので、表向きは若原が
勝手に奉公構の浪人などにも堪忍料を遣わしたことになっているが
実は輝政公の御意向からしたことであるという。

輝政公が御逝去された後、御葬儀の場で大勢の浪人たちが
「今世に希なる名将と別れたことは身の不幸である。最早世に望みなし」
と御霊柩を拝し、御儀式が終わると姫路城下から離散した。
このときの浪人の家が因幡(鳥取池田家)には多くあるが
これは忠継公忠雄公光仲公の御代に改めて召し出されたのである。

浪人を密かに扶持しておいたのは"天下に名ありし者ども"だからだろうと
古老が物語したのを國府内蔵之丞が聞き及んだので、話の由を聞いた。


――『因府夜話』



654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/20(火) 04:42:30.03 ID:JSpUq3d3
>>630
忠継と忠雄は岡山時代に召しだして国替えの時にまんま鳥取に
移動したのか長吉(恒興三男で初代鳥取藩主)やその息子と
利隆や光政が召しだしたのが鳥取に土着していて国替えの時に
鳥取藩士として残ったのかそのあたりがよーわからん
少なからず忠継と忠雄が鳥取藩主として召しだしたというのは
まずあり得んのは確かだけどな

京都四条糸屋の事件

2018年02月11日 16:31

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 19:12:39.08 ID:gbjmgkWA
京都四条糸屋の事件


天正7年(1579年)、京都で前代未聞の事件が起こった。

下京四条小結町の糸屋の後家で、70になろうかという老人がいた。
娘が一緒に住んでいた。

4月24日夜、娘は良い酒を買ってきて、母親が充分だと言うのに、更に無理やり飲ませた。
酔い伏した母親を土蔵に担ぎ入れ、夜更けて人が寝静まってから刺殺した。

自分で死体を箱に入れ厳重に縛った。
家は法華宗であるのに浄土宗の誓願寺の僧侶を呼び、人に分からぬように
死体を寺へ運んだ。

この家には下女が一人いた。
娘は下女に美しい小袖を与え、
この夜のことは絶対に内密にするように言いつけた。

しかし下女は、後で発覚したときの恐ろしさを思い、
村井貞勝の役所へ駆け込み事件を告げた。

村井貞勝はすぐさま娘を逮捕して取り調べた。
4月28日、娘を上京一条の辻から車に乗せて市中を引き廻し、六条河原で処刑した。



532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 19:26:01.19 ID:psbhjA/6
京の四条の糸屋の娘、母は七十で娘は十五♪
諸国大名は刀で殺す、糸屋娘は懐剣で殺す♪

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 21:51:51.95 ID:fhHkUYw7
>>531
姥捨て山とかあるし親殺しなんて珍しくなさそうな気がするけど前代未聞なのか。意外と平和…?

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 22:23:36.38 ID:udfaa2Lf
良家のお嬢様が母親を殺して完全犯罪をもくらんだって十分スキャンダラスな出来事じゃね?
戦国時代でもこんな事件はあるってことが驚き

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 22:56:49.20 ID:wOZAjPNf
なんか見たことある話だと思ったら信長公記だった

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/11(日) 00:02:53.76 ID:6HQtIGdn
このサスペンスみたいな展開、雲仙のお糸地獄を思い出す

http://livedoor.blogimg.jp/fukucyan_jp-part2/imgs/5/b/5b1948ab.jpg
5b1948ab.jpg

細川幽齋覺書より、兵糧・食料のこと

2018年02月10日 10:55

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 08:11:39.97 ID:NnOG2X3L
一、御陣のときは、下々のことは申すに及ばず、自身も一日一夜の兵糧米は腰につけ、馬のはみをも
  携帯しなければならない
一、陣頭において兵糧米のない時は、何で有ってもその時々の草木の実を食うものだ。私も青麦などを
  炙り揉んで喰って合戦し、敵と手を合わせたものだ。桑の実などは、殊の外旨き物であった。
一、旅陣の時は、侍も小物も中間も、小屋の材料、武具の輸送を行っているが、陣頭においては
  野菜の類、また水が必要であり、無くてはならぬものだ。こういったものは小屋の材料や武具に
  結い付けて持っていくのが良く、これを運ぶ者には言葉も懇ろにかけ、少しであっても遣わす物の
  内に、心付けがあるべきだ。
  人によっては、食物に関することを話すのは恥ずかしいことだ、などと言っている者もいるが、
  そういう考えは何の役にも立たないと心得ておくべきである。
一、敵の城を取り巻く時は、それが山城で有っても先ず水の手を専らに見立て、陣を取るのが良い。
  大将から持ち口を仰せ付けられたのなら是非もないが、一夜二夜の事であっても、水の手は肝要である。

(細川幽齋覺書)

細川幽斎の覚書より、戦場における兵糧、食料のことなどについて


御最後の時、さぞかし私の事も

2018年02月09日 21:04

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 08:31:11.41 ID:LuXzig//
細川幽斎・忠興父子により、丹後弓木城主である一色五郎(義定)が謀殺された後、
幽斎の娘であったその内室は宮津へと帰った。そこで一色五郎の討たれた終止を聞くと、
その最期の時を想い深く嘆いて過ごした。彼女はこのように語った

「過ぎし八日の卯の刻(午前6時ころ)、殿は私に向かってこう仰られました

『今日は細川殿と対面する。我が家と細川殿、互いの先祖は親しくして代々公方様へ仕えつつ。
ここかしこの戦において、互いに頼み頼まれ、力を合わせてきたと見える、古い文なども
今に残っている。子孫の末となったが、昔を思えば懐かしく、またこのように親子の縁となった
宿縁の浅からぬ不思議さよ。』

そうしていつもより丹念に、馬鞍をきれいに装わせて弓木を出発されました。
私が一色に嫁いでより、あのように賑々しい供人にて、いづくの地へも出かけたことはありません
でしたから、私もひとしお嬉しく、城の窓から一行を見送りました。
須津の浜道を過ぎ山路に差し掛かると、そのあたりを覆っていた朝霧も吹き払われ、とても幽幻な
姿に写りましたが、それもやがて松陰に見失い、供人も見えなくなり、心の中にやるせない思いを成し、
そぞろに涙がこぼれそうになりましたが、忍んでそのような姿を人に見せませんでしたが、なにやら
不吉な気もして、盃を出させ、女房たちも慰めました。

それなのに、思いの外の事があって失せさせられた哀しさよ。
このような企てが有ったとは、夢にも知りませんでしたが、御最後の時、さぞかし私の事も
恨まれたでしょう。」

そう、明け暮れに嘆かれたという。

(丹州三家物語)



529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 14:30:50.66 ID:xivEyj3j
兄が基地外だと普通の男が優しく見えるようだ

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/10(土) 15:31:24.86 ID:7B7liXrt
三斎様の眉間の刀傷ってこれが原因か?

殉死せぬこと

2018年02月08日 18:00

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/08(木) 10:24:07.71 ID:ja1k65Sr
主人への殉死をしなかったと言って、家中の多くが悪しく言う者があった。
この者、主人の忌日に家中の者惣じて寺へ参詣した所で、彼らに所用があると引き止め、
惣衆集まった時に申し出た

「私について、殉死すべきであると、この座中におられる方々の中にも御沙汰があると
承っております。そのような方々はきっと、私が殉死すべき仔細をご存知なのでしょう。

私自身は、私が殉死しする事が御奉公に成るという理由が見つけられません。
主人によって御取立いただいた者は、必ず殉死すべきであるというだけなのなら、私は全く
納得に及びません。故に、殉死いたしません。

ただし、今ここであっても、その道理をお聞かせ下さるのなら、御奉公のことである以上、
すぐに殉死いたします。」

この言葉に、座中は一言の返答にも及べなかった

彼は重ねて申し上げた
「このように理を尽くして申した所、とかくの仰せも無い様です。である以上、殉死のことは定めて
あなた方による御沙汰では無かったと考えて良いですね?
この上は、今後うしろにて殉死の批判をされる方は、侍の本意にもとる人物であります。
その心を得られたまわれ。」

そういって退出したという。
(士談)