959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/07(日) 18:26:42.39 ID:QcSgVdJW
権現様(徳川家康)と北条の一戦(天正壬午の乱)の時、北条は人数を三枚橋まで出し、和談と成って
両将対顔の折、北条(氏政か)は床几に腰掛けており、権現様は御手を着くわけにも行かず、
御腰をかがめられて後挨拶あそばされた。
その姿を酒井左衛門尉(忠次)が見て、このように申した
「中々口惜しき後座配であります。北条は奢っている体であったのに、殿の為された礼は、
あまりに相手を敬いすぎておりました。このような事は、味方の志を弱くし、かつ又、
帰服する者も無くなります。」
そう諌めたところ、権現様は手を合わせて
「御免あれ御免あれ。この返事は、やがて申し入れるだろう。」と仰せになった。
その後直ぐに、信長公(秀吉の間違いであろう)より権現様に、後一味となるようにとの御状が
寄越されたのを見て、「北条に対し慇懃の礼にて帰服したのは、これを取るためだったのだ。」
との御意であった。そして酒井左衛門尉が御前に出た折、彼はその御状を見て感心した、
これは謙信(景勝のことであろう)、北条、信長(秀吉)はその頃の名大将であり、互いに権現様を
味方にしたいと考え、争っていた。これによって、北条と話談したと聞こえると、早速
信長公(秀吉)より一味を願う事を申し来たのである。権現様の行為は、最初から御深慮が
あった故なのである。(平野権平殿咄)
(武功雑記)
権現様(徳川家康)と北条の一戦(天正壬午の乱)の時、北条は人数を三枚橋まで出し、和談と成って
両将対顔の折、北条(氏政か)は床几に腰掛けており、権現様は御手を着くわけにも行かず、
御腰をかがめられて後挨拶あそばされた。
その姿を酒井左衛門尉(忠次)が見て、このように申した
「中々口惜しき後座配であります。北条は奢っている体であったのに、殿の為された礼は、
あまりに相手を敬いすぎておりました。このような事は、味方の志を弱くし、かつ又、
帰服する者も無くなります。」
そう諌めたところ、権現様は手を合わせて
「御免あれ御免あれ。この返事は、やがて申し入れるだろう。」と仰せになった。
その後直ぐに、信長公(秀吉の間違いであろう)より権現様に、後一味となるようにとの御状が
寄越されたのを見て、「北条に対し慇懃の礼にて帰服したのは、これを取るためだったのだ。」
との御意であった。そして酒井左衛門尉が御前に出た折、彼はその御状を見て感心した、
これは謙信(景勝のことであろう)、北条、信長(秀吉)はその頃の名大将であり、互いに権現様を
味方にしたいと考え、争っていた。これによって、北条と話談したと聞こえると、早速
信長公(秀吉)より一味を願う事を申し来たのである。権現様の行為は、最初から御深慮が
あった故なのである。(平野権平殿咄)
(武功雑記)
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