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石垣原の合戦と久野次左衛門
2009/08/01 00:55

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/30(木) 22:28:58 ID:dN0TB6L/
1600年に豊後で行われた黒田如水と大友義統の合戦。
世に言う石垣原の合戦である。その中での話。

黒田勢の先鋒を任された将の中に久野次左衛門という若干19歳の武将がいた。

次左衛門の母は出陣の折、
「宵にそなたが戦場で旗竿を折る夢を見ました。
だから今回だけは、出陣を取りやめられませぬか。」と懇願すると、

次左衛門は「弓馬の家に生まれたからには、屍を山野に晒しても
名を残すのが努め。それはかえって吉事です。」
と言って出陣していった。

合戦場となった石垣原には高さ1丈ほどの火山弾が東西6町余にわたって、
石垣のように列をなして連なっていた。
兵力で劣り、支援勢力もない大友勢にとってこの「石垣」は絶対に確保しなければならず、
大友勢の先鋒吉弘統幸と宗像鎮続は決死の突撃を敢行した。
黒田勢も先鋒の久野次左衛門、曾我部五右衛門らが「石垣」を奪取するために
大友勢と激戦を展開した。

しかし死に物狂いの大友勢に対し、如水がいない黒田勢は苦戦を強いられ
激戦の末に次左衛門は戦死してしまった。

942 名前:939[sage] 投稿日:2009/07/31(金) 00:15:53 ID:/3/HFn+8
続き書き忘れてた。ごめんなさい。

戦後久野家は彼の弟重時が家督を継ぎ、筑前入国後六千石を領して明治まで中老として続いた。
ちなみに彼らの父は黒田二十四騎の一人で、文禄の役で戦死した久野四兵衛である。

なんか大したオチでもないな。すまんかった。







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