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奥平貞昌(信昌)妻、おふう

2011年06月08日 00:00

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 16:08:59.69 ID:EE+9r9yY
有名な話だがまとめに載っていないようなので。
もし既出だったらすまぬ。


奥平貞昌(信昌)は長篠の戦で長篠城を守り抜き、戦後、徳川家康の長女亀姫を嫁に貰い、
目覚しい出世を遂げるに到ったが、実は亀姫を迎える以前に既に妻がいた。
先妻は一族である日近奥平貞友の娘でおふうと云った。

元亀年間の奥三河地方は、武田信玄の侵攻により揺れ動いたが、信昌の父貞能は武田に
降ることを決意、その証として人質を要求され、おふうは貞昌の弟の千丸(千千代)らと共に
甲斐へ差し出された。

元亀4年4月、武田信玄没。信玄の死を察した貞能父子は密かに旧主家康と連絡を取り、
徳川家帰参を決意する。しかし貞昌はおふうに未練があったのだろう。土壇場になって
貞昌はおふうを離縁する。最早、自分の行動には無関係だから助けて欲しい、という
想いからであった。だが、そんな理屈が通る訳も無く、おふうは千丸らと共に奥平氏の
本拠にほど近い鳳来寺口で処刑されることとなった。天正元年9月のことである。

処刑の前、おふうはこう述べたという。

「来世で自分は畜生に生まれたいと思います。
 畜生はおのれに正直に生きていけますが、人は互いに騙し合わねば生きていけません。
 人は畜生以上に浅ましいものでございます。」

そして、義弟とともに二人とも取り乱すこともなく磔になったという。
この時、おふう16歳、千丸13歳。

おふうの言葉を貞昌らはどのような思いで聞いたのだろうか。
一説によると、おふうは貞昌の妻と偽って人質として差し出されたともいわれるが、
それが事実だとすると、より一層重く感じられる。


おふうの首は彼女の乳母らの働きにより、故郷の日近城まで運ばれて供養された。
よって、墓は処刑地と故郷との二つ残っている。





545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 19:36:51.52 ID:BloaH9dB
武田勝頼の小説で同じの読んだな

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 19:38:15.63 ID:N4zy4Swr
山岡徳川家康でも読んだ気がする
…あれ?畜生がどうののくだりあったっけかな…

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 20:09:47.14 ID:TToERA0w
悲しす…。

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 22:06:45.98 ID:dXyWWEq/
宇喜多直家 <なんと酷いことを・・・

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 00:11:15.21 ID:upmz04nA
宇喜多さん、暗殺した相手の子供や暗殺の実行者に気を使ってるからなぁ

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 00:21:32.07 ID:PoAllp5c
って、世間に思わせるのが宇喜田の実に巧みなところ

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 00:47:02.74 ID:wdbSehIQ
印象操作も万全とは直家恐るべし
大悪人と呼ばれて開き直ったあげく、爆死した弾正とは一味違った腹黒さ

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 01:03:45.42 ID:wZQevNR4
心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ

こんな清々しい心境だったのかもな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 03:36:14.40 ID:oEEbxcpv
>>540
立花宗茂はこれをどんな気持ちで聞いてたんだろうな

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 04:09:46.12 ID:i6mo1kAZ
>>553
宗茂に関しては、関が原の後、豊臣家は立花家を見殺しにしようとしたからなあ。

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 08:03:14.75 ID:vCKzNtt+
関ヶ原当時の豊臣家って誰がトップなん?淀殿?

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 08:08:13.26 ID:FyUU9oWf
マジレスすると家康

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 08:54:17.47 ID:mJgqwUK5
他の五大老はみんな自領へ戻ってたんだっけ
各家それぞれ事情があって長く領地から離れてるのは難しかった
家康だけ全てを任せられる息子がいた

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 09:01:56.84 ID:vCKzNtt+
豊臣家が家康に乗っ取られてたから、家康のやりたい放題だったわけか
耄碌してたんだろうけど秀吉も馬鹿だねぇ

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 09:24:47.12 ID:8Na+Ks+J
豊臣家、というのなら淀かね
豊臣政権、というのなら利家死去・七将襲撃・三成引退以降は家康

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 09:30:55.93 ID:RJpf3ei7
どうも日本史は権力構造を把握するのが面倒だよな
朝廷内の一貴族である足利将軍の管領の細川氏の宿老三好家の家来の松永久秀が真の支配者とか
傍から見たら訳が分からんぞ

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 09:33:48.93 ID:eYDIUQvS
現代に至るまで
日本じゃ一番有能な奴がトップに立つことが少ないし。

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 11:08:31.01 ID:SyJAfvx0
どの国もそうなのかもしれないけど、トップが御輿になっちゃうんだよな
皇室ー藤原家
鎌倉幕府ー北条家ー長崎家
尊氏にしたって、高兄弟が足利家を飲み込みそうな場面があったもんな

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 11:24:03.72 ID:WmDUoNU+
>>553
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4873.html
の逸話とか見てると「義を捧げ賭ける場所で全てを出し切らずに今更何やってんだ」みたいに思ってるかもね。

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 11:29:12.50 ID:PoAllp5c
偉い人は神棚に、みたいなとこがあるからなぁ日本は
位の高い人が有能とは限らないから権威だけもたせるっていう知恵なんだろう
今では偉くて有能な人って待ち望まれてる気配があるけどw

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/08(水) 11:40:00.09 ID:WRD7uC62
実は徳川幕府はかなり将軍に権力が集中する仕組みだった。
鎌倉幕府における得宗家、室町幕府における京兆家のような、将軍家を越える
門閥家系はついに現れなかったし、機構上の責任者である老中よりも、将軍の近習である
側用人等のほうが権力を持ち得たのも、将軍の君主権が仕組みとしても強大だったため。
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