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お綱さんばなしの長宮院について

2022年01月28日 17:46

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/28(金) 12:12:33.82 ID:A3SptgL0
お綱さんばなしの長宮院について

「箱崎釜破故」の末尾によれば、麻井家を継いだ浅野彦五郎が釜炒りの刑に処せられたのち、狐狸の棲家となり荒れ果てた。
その後、肥後より清戒という僧侶が貰い受けて長宮院を建立したことになっている。

貝原益軒「筑前国続風土記」の「福岡 長宮院」には
「むかしは士人の宅也しが、凶宅なりとて、是に居る人なくして、廃宅となれり。
寛永年中、肥後国より来れる清識と云ふ真言僧、此宅に寺を立んよしを願ひしかば、国主忠之公是をあたへたまふ。」
とあり、

柳猛直「福岡歴史探訪 中央区編」によればこの貝原益軒のいう「凶宅」とは
黒田長政の時代に伊藤団右衛門というものがいてこの家に居住していたが女幽霊に悩まされていた。
そこで小河内蔵允(長政臨終の際、栗山大膳とともに忠之の後見を任された)が勇士を募って団右衛門を警護していたが
丑三つ時に女の生首が現れ、団右衛門の上を通ると団右衛門は死んでしまった。
ということで凶宅とされ、あとからお綱さんばなしが生まれたことになっている。
(この伊藤団右衛門の話の出典は記載なし)

お綱さんの事件が黒田騒動直前の寛永七年で、寛永が二十一年まで続いたから、寛永年間に麻井家が荒れ果てることはあり得るけど
伊藤団右衛門の話によって凶宅扱いされたのであれば、忠之はむしろ霊を鎮めてあげようとしたのに幽霊話の元凶扱いされているような。



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