たんはん、家康を大笑いさせる

2015年04月23日 18:37

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 19:34:03.15 ID:x9jkWJvy
徳川家康が常々心やすく御前に召し出し御咄など申し上げる者に、芥川、小野寺、宇都宮、大和、という
人々が居た。このうち大和は、本名は中里とか申し、元来宇都宮の一族で、関東の名家でその身も武功のあった
者であった。かれは入道して、”たんはん”と称した。

慶長5年(1600)関ヶ原の合戦前、徳川家康は下野国小山にあり、上方一乱の情報が日々届いた。
先ず伏見城落城の事から、細川越中守(忠興)の妻子が焼き殺されたこと。その他関東に下向した
諸将の妻子が残らず城中に取り入れられたなど、色々と宜しからざる風聞ばかり集まり、家康の機嫌も
優れない所に、このたんはんは、昔、武蔵坊弁慶が指したという7つ道具を木で作り彩色したものを
脇差とし、脇差の長く反っている物を帯び、坊主頭を赤い手ぬぐいで鉢巻きして、御次間まで参り、
大声を上げた

「宇都宮参上仕り候!」

しかし、他の人がこのようなことをすれば驚いたであろうが、このたんはんは常々おどけ者であったので、
誰も気にせずそのまま御次間に居ると、最初の大声を聞いた家康が御前へと呼んだ。

家康は、たんはんが華々しい出で立ちをしていることを笑い、御話などして退出させた。
ところがたんはん、帰りかけて戻り、家康の間近に座って脇差を抜くと

「今度、石田治部少輔の首を取り、突き刺してご覧に入れましょう!」と、これを振り回してまた鞘に
入れ立ち上がったが、今度は御前で二尺(約60センチ)ほどづつ、3度続けて飛び上がり、表に
出て行った。

これを見た家康は殊の外大笑いし、「この頃にない御機嫌である」と、御次の人々も喜んだ。

この大和(たんはん)は痩せた法師で、顔は小さく腰も少しかがみ、歳は七十あまりであったが、
このようにおどけた半俗の人物であった。
元来は隠れなき武辺者でもあった。

(明良洪範)




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