fc2ブログ

愛の聖物

2019年10月01日 16:27

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 11:41:20.32 ID:LddIaKRI
この地(日本)の人々はその救いのため益のある手段は悉く尋ね知ろうとし、熱心にこれを求める。
故に我等が最も煩わされるのは、祝福せるコンタス(キリスト教徒が用いる数珠)、祈祷のロザリヨ、
御影およびその他聖物に対する要求である。

私はイルマンたちに分与するためゴアよりアビユス・デイ agnus dei(神の子羊、その祈祷書か)を
納めた小箱を携えてきたが、博多の住人にして身分あるキリシタンの老婦人の懇請に応じてその一片を
与えた所、他のキリシタンたちがこれを聞き知ると、彼等の間では一人に与えたものは一同に分け与える
べき習慣であったので、平戸並びに他の諸島より男女を満載した船が日々来て、彼等の言うところの
愛の聖物を彼等に与えることを請うた。

イルマンは一層尊重させるため、アニユス。デイについて長く談義し、然る後に彼等にこれを分け与えた。
アニユス。デイは1500あまりのキリシタンに与えるためにこれを小分けすることを要したが、彼等は
その力に応じ、銅、錫、黄銅または銀を以て聖物器を造り、その一面には茨の冠の中にゼズス jesus の
文字を出し、他面には十字架とその下に釘3本を表出した。

(1564年10月3日(永禄七年八月二十八日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)

いわゆるラッキーアイテムを強く求める日本のキリシタンについて。武士の間でもロザリオなどは
鉄砲避けのお守りとして需要があったとか。



232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 12:48:29.17 ID:iC9xRpad
ロザリオやメダイ(メダリオン)は原城から大量に出てくる
基本的に吊り下げてた首付近にあるけど頭蓋骨の口中からの出土とかあって戦闘前に口に含むパターンもある
最近は出土した鉄塊からザビエル最古の肖像とかX線検査で分かったりしてるな

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 19:26:34.20 ID:1WQXkFRG
でも結末は幸運からほど遠いんだよなキリシタン

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 20:56:45.24 ID:enydiUlU
大変な目に遭ったのは上総や

235 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/10/02(水) 04:32:08.92 ID:EwZO+Pdh
>>233
彼らは彼らの信じるパライソへ行けたのだ
きっと幸せだったろう
スポンサーサイト



平戸の王は我等に友情を示したのではない

2019年09月30日 16:13

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 14:19:26.60 ID:8QeXwAHH
聖週中、平戸において我等を大いに喜ばせる一事件が起こり、人間には遠方にあると見えても、
デウスは常にその名誉に関することに注目し、裁断を下し給うことを明らかにした。

平戸にヤシマンダケ Iasimandaque と称し、坊主一同の首領たる者があった。これは我が司教、
または大司教に相当する者であった。同人は常にキリシタンおよび信仰の事に対しての主たる
敵であり、十字架が切り倒され、パードレ・ガスパル・ビレラその他パードレが平戸より追放
されたのも彼の力によってであった(永禄元年の、松浦隆信による宣教師の平戸追放)。

ドン・アントニオ(籠手田安経:平戸松浦家重臣)も右の坊主がこの地の身分ある異教徒たちと
親戚関係にあるため、その罪悪に相当する復讐を成すことが出来ないのを非常に遺憾としていたが、
ドン・アントニオが平戸の王(松浦隆信)とともに戦場に在った時、坊主は使者を以て、その寺院二ヶ所と
併合するためにドン・アントニオの所領の地所の一部を彼に与えるよう求めた。ドン・アントニオは
これを与えることを欲さずと答えたが、坊主は甚だ傲慢であり、右の返答を以てその名誉を毀損せし
ものとし、先ず領内に火を放ち、その後数日を経てドン・アントニオの臣下であるキリシタンの家
5,6軒を焼かせた。

ドン・アントニオは陣中に於いてこれを聞き、王に対し、「この上坊主の悪行を容認することは出来ない、
殿下がもし直ぐにこれを罰しないのであれば、戦を中止し自ら行ってこれを罰する。」と述べた。
ドン・アントニオは平戸の王に次ぐ有力者であり、陣中の総大将でもあったことから、これを欠くことは
出来ず、王自身はこの報復を欲せず心中悲しんでいたものの、「彼に対しいかなる罰を加えるべきか」
と尋ねた。ドン・アントニオは右の坊主のためにパードレたちが当国を追われたことを想起し、王に
対して「永久に平戸の各地より追放し、領地および所有品は他に分かち与え、彼をして再び帰還する
望みを断つべし。」と説き、直ぐにそれを実行した。

最も愛するイルマンたちよ、坊主たちがその首領が右のごとく急速に名誉を失墜したのを見て、恥じ、
悲しみ、かつ驚いたこと、キリシタンたちがこのように敵が除かれたことを喜んだことは、これを述べる
詞を知らない。

ただし平戸の王はこれにより我等に友情を示したのではない。ドン・アントニオの存在が必要であったために
動いたに過ぎない。彼は私利のため言辞と動作に於いてポルトガル人を許容しているが、心悪しき人で
ある故に、信仰のことについては敵であり、ポルトガル人に期待する利益が大きくなければ、領内に
パードレおよび会堂を置くことを許容しないであろう。

(1564年10月3日(永禄七年八月二十八日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)

フロイスによる、平戸についての報告と松浦隆信についての印象。



471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 14:46:28.69 ID:IXM4wh0p
元気ですかー!

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 15:39:33.63 ID:lnE85m9J
ドン・アントニオの私服診断


473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 19:29:19.18 ID:1WQXkFRG
>>470
当時の長崎はカオスだったんだろうね

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 22:44:28.29 ID:XbzXgAoP
191561年に平戸の仏教徒とポルトガルが揉めて武士が介入して紛争起こしてる(宮の前事件)
これにキレたポルトガルが平戸での貿易を中止して
>>468
のように大村氏に取り入って別拠点で布教を進めてる

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 23:04:03.05 ID:wbMAJO8B
>>474
ずいぶん最近だな

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/02(水) 19:52:26.84 ID:eX+Eyt2p
わらた
平戸怖すぎだ

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/02(水) 21:15:19.14 ID:aHv4gnVl
この13年後にポルトガルでカーネーション革命が起きて、海外の植民地を一方的に放棄するんだよな

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 12:44:13.91 ID:jV/+ZZRx
平戸、南島原、大村、長崎と貿易港の変遷も地味に目まぐるしい
キリスト教と組んだ領主が大儲けしつつ既存宗教弾圧するパターン
江戸幕府になって弾圧は攻守逆転するが貿易の利益は独占により更にアップ

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 22:47:44.43 ID:l2YNgwxJ
>>478
この辺りの歴史を勉強するのにおすすめの本ありますか?

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/04(金) 20:01:16.15 ID:ow+gqZJT
講談社メチエの「教会領長崎」とか?

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 11:46:50.21 ID:McdmRo5l
長崎もポルトガル人さえ来なければもっと平穏だったろうに

484 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/10/06(日) 06:46:55.39 ID:aRK4TBMs
>>479
各市域の郷土誌

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/06(日) 07:27:05.55 ID:qFzQwGVX
アホな予算削減のせいで郷土史が死にかけている現状は辛い…

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/06(日) 11:39:16.00 ID:/SwpiUyr
>>479
長崎文献社

キリシタン全体にとって甚だ悲しむべき、また我等の敵にとって大いに喜ぶべき報知

2019年09月29日 14:20

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 12:52:44.29 ID:c91QPm4X
8月25日頃、我等並びにこの国のキリシタン全体にとって甚だ悲しむべき、また我等の敵にとって
大いに喜ぶべき報知が豊後に達した。すなわちドン・ベルトラメウ(大村純忠)は死し、その兄弟である
有馬の王(有馬義貞)は逃げ、ポルトガルの帆船およびジャンク船は横瀬浦港を去り、会堂及び
同地全体は他の多数の村々とともに焼かれ、キリシタンは皆死し、または迫害を加えられているという
報知である。(大村純忠の義兄である後藤貴明の反乱の事と考えられる。純正の死は誤報)

而してこれは、ドン・ベルトラメウが領内の仏像を焼いたためであり、その部下の者も、彼の親戚である
他の君主と供に暴起して悉く領地を奪い、有馬の王もその弟の奉じたキリストの教えを好遇し、
弟がキリシタンと成り、仏像を焼き、坊主に迫害を加えたにも関わらず、仏より何等の罰を受けることが
無かったため、「仏に何の力もないことは明らかである」と言い、その兄弟のごとくデウスの教えを
奉ぜんとし、またその領内にデウスの教えを弘める許可を与える事が良いと思い、また既に領内2ヶ所に
おいて千二百あまりのキリシタンが存在していた。

このような状況で家臣たちがこれに叛起し、デウスの教えに大いに反対するその従弟(後藤貴明)が
叛徒の首領と成った。

我等はこの報知を得て大いに驚きまた悲しみ、この事についてのみ語り、キリシタンは恐怖し、異教徒たちは

「デウスに力有れば仏の力よりドン・ベルトラメウを救出すべし。ドン・ベルトラメウの如くデウスの教えを
愛し、仏に迫害を加える者は無かった。宣教師たちが説いていたようにデウスに力があるのなら、その
僕を助けるべきである。」と言って大いに罵言し、また

「キリシタンの教えは偽物であり、滅ぼすべきものである。何故ならその教えの入った所には必ず
戦争及び紛争が起こる。」と言い、その議論を確証するため、日本に於いて最も古く、また立派であった
二つの都市、すなわち博多及び山口がキリシタンの教を受け入れた後滅亡したこと、その他多くの事を
挙げ、人民をして我等に大なる嫌悪を懐くに至らしめ、また我等は人を喰う者にして魔法使いであると
彼等の頭に入れ、また我等は日月も仏像も拝することを禁ずるが、そんな事を為し、また説く者は全く
信ずるべきではないと言った。

このような話は我等の行く各地において坊主に共通した所である。

(1563年11月17日(永禄六年十一月二日)付、イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

後藤貴明の反乱の報についての記録である。キリスト教が入った所では平和よりもむしろ戦乱が起こる、
という印象がこの時代から既に有ったのですね。



469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 13:33:51.38 ID:bMxm3j9d
隆盛の有馬に屈する形で大村は有馬から婿を迎え隠居、実子は後藤へ婿にやって反乱の目を潰すが、純忠が領内の寺や菩提寺を廃するとこれに怒り、これより大村を仇敵とみなした
なにもキリスト教だからではない、跡目を継げなかったことが争いの元凶なのである
なお龍造寺が隆盛を極めると後藤貴明は隆信の子家信を養子とし実子清明を隆信の養子に、大村純忠は娘を隆信の子家種の室に送った

当地には大身等の間に戦争が絶えず

2019年09月28日 15:44

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 12:49:42.34 ID:h/ZK5U/h
当地(日本)には大身等の間に戦争が絶えず、彼等はデウスを畏れず、各自首領とならんことを欲し、
やむを得ない場合でなければ大いなる者にも従わず、機会があれば領主に叛起する。故に悪魔は
彼等を導いて絶えず戦い、市および町を焼いて互いに亡ぼさせる。家は皆木造であるのでこれを焼くことは
容易である。

この事はデウスの教えを説くについて大いなる妨害であり、戦争の際には我が住院は焼かれ、我等の
所持品が奪われること度々であり、パードレ一人、およびイルマン数人が衣服を剥がれてわずかに
命を免れた事もあり、この地方においては、大いなる艱苦と生命の危険を冒す事なくして布教する
事は出来ない。

然れども主は我等に御慈悲を垂れ給い、デウスの教えは当国に広まり、敵の中にも熱心なキリシタンが
あり、彼等はパードレおよびイルマン等がかくのごとき状態にあるのを見て少なからず悲しみ、これを
保護し安全を保証すること、あたかも彼等の主人に対する如くである。

今はデウスの御慈悲によって双方に多数のキリシタンが有る。破壊を行う前に我等のその事を知らしめ、
最も甚だしい時は住院を失うが、そうでない場合には早くにその安全を図る。

この事を尊師に通信するのは、日本に於いて我々は未だ真の住院を有せず、我等が建築する会堂は
日本人の忠誠なる心であり、この会堂は永久に存続するものだからである。

我等が主、ゼズス・キリスト、彼等に恩恵と光明を与え、引き続き良き道に進ましめ給わん事を。

(1564年10月11日(永禄七年九月七日)付、パードレ・ジョアン・バウチスタ書簡)

永禄の頃の日本(豊後あたり)の状況について。



461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 18:40:27.66 ID:U4mz+hGR
仮にキリスト教国だったとして変わらんだろこれw

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 21:12:30.93 ID:bhDpweX0
この頃のヨーロッパも結構なもんだよね

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 22:13:59.96 ID:g1EomfXJ
いや、日本がキリスト教になったとしての話
別に何も変わらん気がするから

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 00:04:08.38 ID:jYID+T12
確かに

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 00:56:01.33 ID:YZJcRlBM
宣教師ランダはあまりに容赦ない宣教活動が本国で問題になり異端審問にかけられている人物である。
しかし、彼が記録した「ユカタン事物記」は非常に詳細な記述であり
マヤ人の生活から文字の手がかりまで書かれている重要な資料であるのを前提として。

もしマヤと同じように、16世紀の日本にスペインからカトリック僧(ランダ)が来て宣教を始め、
キリスト教から旧来の宗教に再転向する日本人6000余名を笞刑にし、
4000名余名を拷問にかけ、その結果年間150名余名の死者を出し、
異教の本だからと当時の日本にあった書籍の90%を焼きすて、
そのかわり日本の文学、宗教、歴訪、社会、習慣などについて、ただ1冊の本を書き残したとする。
われわれが、この人物の行為は単に当時の考え方を反映してるに過ぎないと容認し、
「万葉集」や「源氏物語」は焼き捨てられたけれども、一冊の「日本事物記」を
残してくれたことに感謝すべきなのか、という質問である。

青木晴夫「マヤ文明の謎」講談社 

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 08:50:07.59 ID:jYID+T12
戦国時代で助かったわ

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 12:17:46.71 ID:3pp4eH/n
日本書紀編纂の時期に多分似たような事は起こったとおもっとる

摩利支天と称する大にして甚だ美麗なる偶像

2019年09月27日 16:25

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/27(金) 14:56:12.80 ID:B2xH82PH
彼(大村純忠)はその兄(有馬義貞)より出陣の通知を受け取ったことにより、翌朝出陣の準備を
整えた後、パードレのもとに人を遣わし、彼とその家臣のためデウスに祈り、またその妻が妊娠して
いる故に、我等の主が安産を与え給うよう祈ることを求めた。

ドン・ベルトラメウ(大村純忠)が出陣した時、途中にて一つの注目すべきことが起きた。
日本人は戦争の神にして、摩利支天と称する大にして甚だ美麗なる偶像を有し、大身の人も
賤しき者も、その前を通る時は地面まで頭を下げ、及ぶ限り自ら卑しくする習慣が有った。
偶像の背後、頭の上にこれを覆うガロGallo(鶏)があった。異教徒たちは疑問ある時に、そのもとに至りて
これに伺うのを常とした。

ドン・ベルトラメウは軍隊を率いてここに到着したとき、部下を停止させて、進んで偶像を取り出して焼き、
次いでその寺院にも火をかけた。またガロをその面前にもってこさせ、剣によってこれに一撃を与え、
「今まで幾度、私を欺いたのか!」と言った。

悉く焼き盡くした後、その場所に甚だ美麗なる十字架を建てさせ、部下一同とともに深甚の敬意を表して
戦地に赴いた。

彼が(前に述べたる如く)我等の主なるデウスのため約束したより多くの事を成した一例は、
その兄の救援のため戦争に臨んだ時、人を領内に遣わし悉く偶像を焼き、また港より1、2レグワの
所にある森より、ポルトガル船に必要な材木を、ポルトガル人の望むまま伐採させるべしと命じて、
これを実行した。また武士等と語り、デウスのことについて疑いが有れば彼に尋ねよ、彼はそれについて
説明する、と言った。

(1563年11月14日(永禄六年十月二十九日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)



458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/27(金) 23:03:11.80 ID:xvfY22wf
>>454
大村家って平安期からその地に居てキリスト教関係でめちゃくちゃやったのに
秀吉家康時代も転封なしって運がいいというか身の処し方が上手いんだよな
キリシタンの厄介な場所とはいえ、島津家や宗家ほど地域の特殊性もないのに治世任せられてる
戦後まで当主が辻政信を匿ったり大村市長になったりしてるし

彼等が甚だ大切にしているものが二つ有る

2019年09月25日 17:45

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 14:21:06.87 ID:zpEUjCP4
彼等(日本人)が甚だ大切にしているものが二つ有る。一つは名誉であり、もう一つは武器である。
また新参古参の順位、および座席の位地に関して大いに争うことがしばしばある。

彼等は非常に武器を尊び、もし通過の際に過って剣の柄頭、または鐺(コジリ)に触れることが有れば、
すぐに引き返して体、又は衣服の触れた部分に手を当て、これを1,2回頭の上に置き(押し頂く動作)、
このようにして他人の剣に触れた不注意の償いをするのである。

彼等は少年の頃より武器を練習し、常にこれを携帯する。もし一つの剣が古いもの、もしくは昔の名人の
作であれば、これを購入するのに己の有する限り、或いは相手が要求するだけの価を出す。
また彼等は例え甚だ小さなことであっても、これを成す前に経験有る老人の意見を求める。

(1562年12月10日(永禄五年十一月十四日)付、パードレ・バルテザル・ガゴ書簡)

日本人の武具への意識について。



211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 16:48:10.87 ID:U38ZVahv
剣社会だった頃の日本

213 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/25(水) 20:24:53.66 ID:Rn6zhfmt
>>211
明治に廃刀令が成されなかったら、アメリカまでとは言わないまでも、割と今もサツバツとした社会だったろうなぁ…

って気がする。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 21:40:28.95 ID:U38ZVahv
犯罪統計を見る限り戦後しばらくまでは殺伐としてるよ
刀の有無関係なく

215 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/25(水) 21:57:40.57 ID:mpbvj8Jy
>>214
そら(敗戦で国土の多くが焦土と化し、傷病者や貧困溢れる時代なんだから)そうよ

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 10:39:53.05 ID:bhDpweX0
>>210
なんかもう言葉がない
そこまでするものかねえ

223 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/28(土) 13:03:15.58 ID:l2G6/KS7
>>222
善し悪しはともかく今でも上座下座とかの礼儀には割と厳しかったりするしなぁ
戦国の昔から礼儀や躾には厳しく、年長者や目上は敬いなさいと言うのが連綿と続いてる?と言う事なのかも

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/28(土) 13:10:08.45 ID:0q5AvROe
年少だからといって軽々に扱えばたとえ年長相手だろうとメンツ傷つけられれば斬るの精神なんで、叱り方は大分違うかな

我等の友である豊後の王は

2019年09月23日 16:24

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 13:21:31.58 ID:CxpARK4j
我等の友である豊後の王(大友義鎮)は、我等の君なる国王(ポルトガル王セバスティアン1世)が甚だ
年少であると聞き(1562年で8歳)、甚だ立派なる短剣で、鞘には金の蛇を巻き、甚だ良き細工の飾りを
施したものを贈り、またインド総督には良き剣を贈るため私に託した。しかしこれらは輸送の途中
暴風に遭ってみな大いに破損したため、修理のため日本に返送した。

当62年にはインド総督に武具を贈った。すなわち、甚だ立派な鎧に絹の飾りを施し金細工をなしたもの、
および頸甲その他付属品、並びに戦争に用いる銅製の面、および兜で金細工をなし装飾を施したもの、
および長刀、すなわち長さ1ブラサ余りの柄に剣を付け、これに装飾を施し銀を鏤めたものであるが、
総督の伯爵(レドンド伯爵ドン・フランススコ・コウチニョ)は大いにこれを喜んだ。国王がこの贈り物を
なしたのは総督ドン・コンスタンチノ(デ・ブラガンサ)が使者を以て書簡を贈ったことに対するもので
あり、同書中には日本に於いてパードレたちが創造主の真の教えを説く事について、便宜を与えたことを
称賛している。マラッカよりこの贈り物を携えた人に、王は700クルザド余りを与えた。

この王は我等の最良の友であり。親愛を示し、好意を以て助言を与え、またキリシタンを庇護し、
必要あって我等キリシタンのために斡旋する事もあれば、身分低き者には名を与え、これを招いて
引見する。名を貰うことは日本人が大いに名誉とする所である。

王はキリシタンである家臣を使いとして会堂に遣わすことが度々有る。当地より送る書簡に、王のことを
”太守”と称することが有るが、当国に於いては自ら低い称号を用いるが、他者からは相当なる名誉を
与えられることが期待されている。

王は先年、略奪を被った博多の国を鎮定するため5万人を派遣したが、もし自ら出陣する時は10万人を
率いるだろう。私が今、日本からの書簡によって見た所、王はほとんど山口の国を占領した。
同国の王であったその弟が殺された故である。
王は戦場に20万の武士を動員することが出来る。王の領内にはイスパニア最大の有爵者よりもさらに大きな
多数の大身が有る。この他にも多数の城主、および部将が有る。

貴族であるカピタン・モール(ポルトガル船の司令官)が貿易のためにその港に来て、王を船内に招いて
饗応した時に、彼はポルトガルの商人達とともに談笑して楽しんだが。カピタン・モールは帽を脱いで
起立すること長時間に及んだ。

(1562年12月10日(永禄五年十一月十四日)付、パードレ・バルデザル・ガゴ書簡)

大友義鎮(宗麟)についての報告。20万動員かー。



206 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/23(月) 13:43:02.15 ID:msBqlvZy
>>205
大本営発表だなぁ…

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 23:50:18.30 ID:Pi/XGgC+
宣教師が本国に送る報告書じゃないの

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/26(木) 10:50:53.92 ID:WXP64Q5R
>>205
キリシタン日本からインドまで移動したの?
死ぬわ普通

デウスの栄光を、人間、鳥獣および蛇の朽つるべき像に変じ

2019年09月22日 15:01

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/22(日) 12:07:09.05 ID:kiPUL+9X
当地方(日本)にて悪魔は多くの形で崇拝される。特に牛、兎、鹿などの獣類として拝まれ、
牛を殺せば死刑に処する地方も有る。

悪魔が崇拝を受ける方法は、人間に憑き、「誰なるか」と尋ねる者があれば「牛の長なり(牛頭天王か)」
と言い、もし去らんことを願う時は、これを祀るべき堂を建てる約束を成すまで去らずと答え、その約束を
成せば去る。よって堂を造り獣類の像を安置してこれを拝む。もし約束を守らなかった時は、種々の方法で
彼等を苦しめる。

また鹿の形にて崇拝を受ける事がある。鹿の島(鹿島か)と称する島があり、同所にてこれを拝む。
そしてこれを信仰させるため、鹿を殺す者が有れば病みて様態甚だ悪しきに至らしめる。
よってこれを信じ、鹿の形にて崇拝する。

また兎の形において崇拝を受けることも有る。このためその所有する島においては、”ウサギ”すなわち
兎の名を唱えれば”os que nomeao Vcangui”皆咽喉腫脹する。

悪魔がこのような事を成すのは、人間を我等が主デウスの真の信仰より引離し、無限にして汚すべからざる
デウスの栄光を、人間、鳥獣および蛇の朽つるべき像に変じ、創造主よりも作られたる物を拝ましめる
ためである。

(1557年10月28日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラ書簡)



428 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/22(日) 13:20:26.40 ID:kweAEpuk
安芸の厳島とは違うのかね?鹿が崇拝と言うか、神の使い扱いされる島って。

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/22(日) 19:52:27.38 ID:ZXFp1JlY
志賀島でしょ。
神功皇后が鹿の角を奉納した志賀海神社がある。

430 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/22(日) 21:04:02.67 ID:+ZdypB0P
志賀島に鹿は居ないらしいし、鹿が由来で志賀島と言うわけでは無いらしい(近の島が訛ったとか)けどな

奉納されたのも神功皇后が対馬で鹿狩りした角と言うし、書簡に書かれた話とは相反する希ガス

431 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/22(日) 21:39:24.75 ID:OhO35Ahj
loserの将棋ブログ読んでると、豊臣秀吉ってやっぱすごかったんだなって思った

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 01:21:51.77 ID:bWIuDE8Z
一昨日の清洲会議は面白かったな
やっぱ大泉すげーわ

433 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/23(月) 05:38:44.89 ID:2hnkMw8k
>>427
牛頭天王
https://i.imgur.com/CUCW4OB.jpg
CUCW4OB.jpg

鹿
https://i.imgur.com/oIOJ3Jk.jpg
https://i.imgur.com/sxTfvId.jpg
oIOJ3Jk.jpg sxTfvId.jpg



https://i.imgur.com/7DI2OK8.jpg
https://i.imgur.com/Fl2v2x1.jpg
https://i.imgur.com/JtK6PJg.jpg
https://i.imgur.com/qB5xIOG.jpg
7DI2OK8.jpg Fl2v2x1.jpg JtK6PJg.jpg qB5xIOG.jpg

宣教師「日本人さぁ…」

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 07:41:44.61 ID:tas5s4rW
ええーい宮島はいい、鹿島を出せ鹿島を!

435 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/23(月) 08:02:48.00 ID:2hnkMw8k
>>434
茨城県鹿嶋市
https://i.imgur.com/uFPJA30.pnguFPJA30.png

 名前は、市の花である「ハマナス」の「ナス」と、鹿嶋の「カ」から名付けられました。
鹿の妖精であり、鹿嶋市の緑豊かな自然と海や湖の恩恵をイメージして、緑と水色の衣装を着用しています。
鹿島神宮で神鹿として大切にしている鹿の子をモチーフとし、頭には市の花「ハマナス」をつけています。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 23:49:15.22 ID:Pi/XGgC+
>>433
もみもみしたくなるな

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/24(火) 09:54:25.03 ID:0yXdIu4K
>>433
頼光「来たれい四天王。…いいえ、牛頭天王の神使達!」

442 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/24(火) 12:31:24.12 ID:/fKcB4+w
>>438
地元の男子高校生の下ネタみたいなもんなんだよなぁ
もみじ饅頭略してもみまん

ザビエルの最期

2019年09月21日 15:01

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/21(土) 11:00:09.19 ID:MY/3Tvpu
我がパードレ・メストレ・フランシスコ(ザビエル)は日本より当ゴアに来たりしが、1552年4月17日、
一船に乗りてシナ国へと赴いた。同船にはゴア総督がシナ国王のもとに派遣した大使(ジョゴ・ペレイラ)も
乗り込み、総督はパードレの事を王に依頼させようとしていたのだが、当市より600レグワのマラッカに
到着すると、パードレの旅行は障碍を生じた。すなわち船主にして船長である大使(パードレが使節の
庇陰にて希望の国に入ることを期待し、デウスの次に最も信頼する人である)が、マラッカに滞在することが
必要となったのだ。

パードレは同船において、水夫の他に彼とともに在るのはキリストの愛とキリストのために多くの労苦を
学ばんとする熱心な信者のみであり、パードレ、イルマン、その他現世の必要について彼を助けられる者は
一人も同伴しなかった。

船は広東の市に近いシナの一港(上川)に着いたが、その入国には様々に故障があった。シナにおいては
外国人の入国しようとする者、並びにこれを入国させようとする者に対して重罰が有った。何人もあえて
外国人を入国させようとはしないため、数日間ここに滞在した。パードレはその希望を実現する時をここで
待つことに決し、同港において、異教徒である一商人と交渉し、「自分を広東の市に連れていけば、同国に
おいて甚だ高価である胡椒を大量に与える。」との契約を成し、商人は数日後、再び来て彼を同伴する
予定にて去ったが、我等の主には別に定められた所があり、パードレは熱病に罹り数日中に死したり。

(1554年12月23日(天文二十三年11月29日)付、パードレ・アイレス・ブランダン書簡)

フランシスコ・ザビエルの最期についての報告。



この地にはまた塩もなく

2019年09月19日 17:24

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 14:23:55.28 ID:KfDzYQf0
我等の有する報告によれば、日本の国は土地が貧弱でありポルトガルよりも寒く、山多くして
雪もあるという。国民の知識は開け、道理を解す。
その食物は大根の葉の上に少しの大麦の粉をかけたものである。

この地には橄欖(オリーブ)油、牛酪(バター)、乾酪(チーズ)、牛乳、卵、砂糖、蜂蜜、また酢も無く、
サフラン、肉桂、胡椒も無いという。
また塩もなく、塩味を作るのに大麦の糠を用いるという。
最後に、病人に薬として与える物もない。

このようであるにも拘らず、我が(イエズス)会員13,4人は主の御恵により喜んで同地に赴くのだ。
彼等の困難は更に大きいが、狼の口より彼の国の霊魂を救うため、喜んで尽力するだろう。
愛する兄弟たちよ、汝等の希望を実行すべき時は既に来た。我等の主キリストはこれらの霊魂のために
多くの事を成し給える。故に彼等を助けることを恐怖のために中止すること無く、来たりて創造主を
知らざるこの人達のために尽力せよ。

この国はキリストの騎士のために準備されたるが故に、来たりて十字架を抱け。この国より永遠の
天国に召されるべきが故に、来たりて諸星および諸国を見よ。

 1554年4月24日 コーチンより

(1554年4月24日(天文二十三年三月二三日)付、パードレ・ガスパル・ピレラ書簡)

塩はさすがにあるだろ。



413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 15:30:44.58 ID:nRy2KSWH
伴天連に食わせる塩はねえ

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 18:53:22.06 ID:g9685+pm
とりあえず大げさに報告する営業日報

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 19:25:43.04 ID:vERIOLSj
塩は岩塩のことじゃないかな?

416 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/19(木) 19:26:47.54 ID:aUt9NW6c
塩は無いが死は満ち満ちていたさ

417 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/19(木) 20:22:41.03 ID:Nz58l5e9
しょ、醤油はあったし・・・。

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 20:29:36.94 ID:/u1TXQSZ
味噌はあったろ!

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 20:58:08.75 ID:vRWDmWnV
コーチンて何

420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/19(木) 21:07:18.05 ID:Nz58l5e9
>>419
インド南部の都市・コーチじゃね?
wikipediaでみたらポルトガルが占領してたみたいだし

421 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/19(木) 21:25:25.65 ID:huLnoxn/
>>418
????「クソガァああああああああああ!!!」

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 21:48:41.93 ID:mLsM5rPb
結局言いたいのは「オレってすごい」だし

423 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/20(金) 08:13:03.27 ID:CBJNSAf3
>>418
>>412の
塩味を作るのに大麦の糠を用いるという。

コレが味噌のことかな?なお焼き味噌ではない

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/20(金) 15:28:20.75 ID:qpWchHR6
糠味噌じゃね糠味噌やぬか漬けを何か誤解してたとか

425 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/20(金) 16:11:05.87 ID:Qy3rYT1n
九州山口は麦味噌多いからそのせいかも?

鷹と狐とキリスト教

2019年09月13日 16:18

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/13(金) 12:34:42.04 ID:OtcjglaC
国王(大友宗麟)の鷹匠(彼は家中キリシタンである)の一僕の青年が、国王の愛していた鷹を放った時、
風が吹いて流され帰って来なく成った。これに青年は恐ろしくなって逃げ出し、主人は鳥が逃げたことを
知って、家中で諸方に出て捜した。青年の母は大いに悲しみ、泣きながらパードレの元へ来て、その子を
救うようデウスに祈ることを請うた。パードレは「それを行うが、あなたもまたデウスに祈るべし」と
言った。

翌朝、パードレが住院を出ると、偶然鷹が自分の住院の上を飛んでいるのを見つけた。そこでキリシタン
である武士の家に人を遣わし、「来たりて鷹を捕えるべし」と伝えたところ、彼はこれを捕え、
このようにして王の怒りを免れた。

このキリシタンに一人の婢があった。彼女がキリシタンと成る前には、狐が夜中に来て彼女を戸外に
連れ出していたこと、家族一同の知る所であったが、キリシタンと成ってからは再び来ることはなかった。
諸人はこれ(狐)を悪魔で有ると言っている。

(1554年(天文二十三年)付、イルマン・ペロ・ダルカセパ書簡)

逃げた鷹も見つかるし狐も逃げ出すキリシタンの奇跡



194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/14(土) 11:23:28.54 ID:59kvg2LR
良いことが起きたら神様のおかげ
悪いことが起きたら悪魔のせい
まさに洗脳

文字を介した時のみ互いに了解する

2019年09月11日 17:04

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/11(水) 12:10:28.06 ID:71LzdRlh
シナ人と日本人とは言語大いに異なり、その会話は互いに理解することが出来ないが、
日本人がシナの文字を知り、書いたものを理解するのは甚だ驚くべきことである。
シナの文字は諸大学においてこれを教え、これを知っている坊主達は諸人より学者と認められる。

シナ文字(漢字)は一字ごとに一物を示し、日本人がこれを学ぶに当たっては、先ずシナ文字を書き、
その上にそれを示すものを画く。例えばその文字が人を示す時は、その字の上に人間の形を画き、
他の一切の文字についてもまた同様にし、文字は集まって辞書を成す。

日本人がこの文字を読む時は日本語にて読み、シナ人はその国語にてこれを読む。これ故に話す時は
互いに理解できず、文字を介した時のみ互いに了解する。文字の意味を理解していても、国語が異なる
故である。

(1552年1月29日(天文二十一年一月四日)付、フランシスコ・ザビエル書簡)

ザビエルによる、漢字についての記録



191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/11(水) 18:46:02.36 ID:4Ut0lZHC
中国国内でもそうだったようなことを、昔中井貴一が出てた番組で紹介してた
しかしザビエルまめだな~

彼等は甚だ無遠慮で、殊に外国人にはこれを軽蔑し常に嘲罵する。

2019年09月10日 16:13

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/10(火) 12:59:34.92 ID:a/OvRRAA
コンパニヤのパードレ等を日本の諸大学に派遣することは、この国(日本)の俗人たちが、当国にも
学校および学者が有ると言って、その迷信を弁解するが故にその必要がある。そして大学に赴く
パードレ等は、諸宗派を駁撃し、坊主たちが俗人より金を引き出す為の手段が欺瞞であることを
説明し、世に公にしなくてはならないが故に、甚だしい迫害を受けるであろう。
坊主達は魂を地獄より救出すると称して生計を営んでいる。故にこれを成す能力が無いといえば、
少しも容赦しない。この事と、その他多くの事によって大いに迫害を受け、苦労が多い。

私はパードレ・メストレ・シマン、また彼が不在の時はコインブラのコレジョの院長宛に書簡を送り、
右の諸大学には尊師が引見して適当と認めた人の他は派遣しないよう要求した。彼等は思わぬ
迫害を受けるだろう。日中には時間を問わず、夜中に至るまでも訪問と質疑に責められ、また身分の
ある人に招かれて辞退することが出来ない事もある。祈祷、黙想、思索の余暇も、精神上休養の
時も無く、最初の間はミサを行うことすら叶わず、絶えず質問に答えるしか無く、祈祷を成し、
食事睡眠を取る時間すら欠乏することが有る。

彼等は甚だ無遠慮で、殊に外国人にはこれを軽蔑し常に嘲罵する。ただしそれは、我等が
この国の諸宗派の明白なる非行を攻撃し、地獄に行く者は救済の道無しと説くが故である。

また、我等は地獄より魂を救済する事が出来ない故に、何も知らないと言ってくる者がある。
彼等は煉獄の何たるかを知らず、彼等の質問に答えるには、学問が有り弁論に巧みであることが
必要であり、詭弁を弄する者に対しては直にその矛盾を指摘することを必要とする。坊主達は
矛盾を指摘された時、また答弁することが出来ない時は甚だしくこれを恥じる。

日本の主要大学である坂東(足利学校か)は遠く北方に有り、他の諸大学も同様である故に、
厳しい寒さに遭遇する。寒地に居住する者は才知が有り鋭敏である。ただし米の他に食うべき物は
無い。また小麦、各種の野菜、その他養分の少ないものが有る。米から酒を造るが、その他に
酒は無く、その量は少なく価格は高い。

最大の試練は不断にして明確たる死の危険である。当地は労苦が多い故に老人には適せず、また
甚だ若い者は非常に経験がないので用をなさないのみならず、却って己を滅ぼすであろう。

この国は罪悪を犯すのに適し、彼等の罪悪を責める我等に少しの過失が有ればこれを誹謗する。
この事についてはメストレ・シマン、また不在の時はコインブラの学長に宛てて詳細に通知した。
尊師が仮に、日本に派遣されるべき者は先ずローマに来るべしとコインブラに命じられれば、私は
非常に満足する。

考えるに、日本に派遣されるべき者はフランドル人、又はドイツ人で、イスパニア語あるいは
ポルトガル語に通じた者である。何故ならば彼等の肉体は労苦に耐え、また坂東の大寒を凌ぐことが
出来るからである。
イスパニア、及びイタリアのコレジョにはそのような人が多数有るはずで、彼等はイスパニアや
イタリアでは言語に熟達しないため説教を成すことが出来ないが、日本に於いては多くの収穫を得るだろう。

(1552年1月29日(天文二十一年一月四日)付、フランシスコ・ザビエル書簡)

ザビエルが山口での布教への反発とそれへの対応について記した記録である。



なにゆえその始めよりその教えを当地方に弘布せしめず

2019年09月09日 18:13

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/09(月) 13:25:58.89 ID:bFJF2ZJX
(山口に於いて)他の人達来たりて、「デウスがもし全世界の救主、または統治者であるならば、なにゆえ
その始めよりその教えを当地方(日本)に弘布せしめず、今日に及んだのか。」と問うた。

「デウスの教えは世の初めより今に至るまで世界の各地において、人間の意中に明示されている。
無人の森林の中で成長した者も善悪を識別し、他人が己に対して成すことを欲しない事を、他人に対して
成すのは罪であると承知している。」

我等はかくのごとくして十誡を説明し、

「彼等の創造主もこれを教え給えるため説教者に付いて学ぶ必要は無く、第一誡の魂を造り給えしデウスの
あることは、理性を有する人間ならば、誰であっても考えつくことを得る。

父母がもし自力によって子を生むのであれば、望み次第にこれを有するべきだが、子女を望んで得ない者、
また望まぬのに多数を有する者がある。

人がもし己に対して他人がするのを欲しない事を他人に対して行わず、また彼を造りし者を崇敬すれば、
デウスの教えを聴いたことがなくても、デウスは己を救うべき光明を授け給うだろう」と答えた。

彼等はまた、「智力が充分ではなくこの事を理解するに至らず、また己を造りたる者を知らない者も
多いが、彼等は一体どうなるのか。」と問うた。

「彼等の智力が足りなくても、そのわずかに知る所を善用し、その知れる悪しき事を悉く棄てて善を
行うならば、デウスは御慈悲深く、また何事も見給う故に、彼が受けた恵みを善用するのを見て、
己の霊を救うために成すべき所を心中に感得せしめ、道理に反して木石を尊崇せず、人間を救う力のある
真の聖者を尊崇せしめ給うだろう。

このようにして自然の教えに従って生活すれば、デウスの御慈悲によって己を救うべき徳を獲得すべし。
懲罰を招く者は、その責は己に有り、我等の主デウスの御恵が欠けていたからではない。彼等は道理に
反したことを行い、創造主にあらざる木石及び人間を崇拝して多くの罪を犯した故に、救いを受けることが
出来なかったのである。」

右、ならびに他の質問をなせし者は甚だ多数であり、朝から夜に至るまで屋内に充満したが、
パードレ・コスモ・デ・トルレスは彼等を悉く満足させた。この地の坊主達は我等がその罪を攻めるが故に
我等を悪口し、或いは悪魔が一つの偶像を通じて、我等はその門徒であると告げたと言い、また悪魔が
我々の存在故に、天より投げた雷が王(大内義隆)の家に落ちたのを見た者が多いと語った。
また我等は人間の肉を食べると言って、我等を疵付けようとする者もあった。

主はまた戦争を起こして(大寧寺の変)我等に艱難を下し給うたが、戦争は国王が死んで止んだ。
当市は八日間火と血の中にあり、この際行われたのは勝者万歳の法律にして、或いは報復のため、
或いは略奪のため人を殺した。この期間我等を憎み、また我等の有する僅少なる物を略奪しようと欲した
者たちは、常に我等を捜索した。我等はしばしば大いなる死の危険を冒したが、主に仕えんと欲する者を
特に護り給う御慈悲深き御手は我等を一切より救い給うた。

(1551年10月20日(天文二十年九月二十一日)付イルマン・ジョアン・フェルナンデスフランシスコ・ザビエル宛書簡)

キリスト教の布教初期の、日本人からの有名な疑問と、それへの解答を記録した記事。
つまり「布教する前から神の教えはみんなの心の中にあったんだよ!」という話ですね。



宣教師たちは、その豪奢な生活のため他より憎悪されている

2019年09月07日 16:23

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/07(土) 09:41:03.44 ID:1yu1Nqpy
耶蘇会(イエズス会)宣教師たちは、その豪奢な生活のため他より憎悪されている。何故なら、
彼らが外出する時は、騎馬・徒歩の二百人あまりの同勢を以てし、修道者のようではなく、在俗の
王侯のように暮らしているからである。また一万二千ヅーロあまりの年収が有る諸港と数多の土地を有し、
その司法権を掌握して、軍隊と艦隊を有し、それを以て彼らの欲する港や土地を征服する。

(文禄2年(1593)マニラにてフィリピン総督に原田喜右衛門が語った日本事情)

キリシタン追放令以前の長崎の様子を語ったとされる原田喜右衛門の証言



374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/07(土) 09:59:23.35 ID:EZycz+jK
>>373
これ始めは西洋での習慣通りに粗末な格好で徒歩で通訳以外連れずにやってたんだよね
そしたら日本人は日本の習慣通りにしてないと全く話を聞いてくれないってんで、日本の坊主と同じようにやるようにしたらこうなった

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/07(土) 11:53:26.34 ID:6y8uFZHF
それにしても度が過ぎてる感じ
原田が話を盛ってるんじゃ

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/07(土) 11:57:04.71 ID:Hew4njoB
フランシスコ会「跣足(はだし)で布教しろよ」

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/07(土) 12:49:53.54 ID:EzNjBb6u
>>374
日本の僧侶と言うより、ヨーロッパのカトリック司教領主のノリだな。

キリシタンはこのような卑しむべきものは見ない

2019年06月21日 16:30

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 00:17:36.40 ID:ktoSxB+q
国王(大友宗麟)にパンヤリヤン Pantaliao というキリシタンの一子(大友親盛)が有る。彼は年齢16歳で、
彼の父の兄弟である叔父(田原親賢 / 紹忍)の嗣子となった。

この田原親賢は先年報告した通り、養子のシマン Simao (田原親虎)がキリシタンと成ったため、これを
廃嫡した人である。

ドン・パタリヤンはキリシタンと成って既に4年であるが、思慮深く性質も良く、殊に良きキリシタンで
あるため、王は甚だ彼を愛している。この人については長く報告することも出来るが、簡略にするため
やだ2,3の事を述べる。彼は臼杵より4日路の城に居て、その叔父が承知しないためわずかに4,5人の
キリシタンの家臣が共に居る。叔父の妨害は甚だしいが、一層信仰を固くし、しばしばパードレ、イルマンたちに
書簡を贈って、常に彼のためデウスに祈ることを請い、その信仰については、これを捨てるならその前に死する
覚悟であることを、我々が疑わないようにと願っている。彼の求めに応じてパードレ一人が告白を聴きミサを
行うため同地に赴いたところ、彼の喜びは甚だしく、寸時もパードレの元を去らず、デウスが天使を降ろし
給うた思いがすると言った。復活祭の日は多数の異教徒に囲まれていて城を出ることが叶わなかったため、
キリシタンの家臣を集めて、立派な祭壇を設けて一同祈祷を成し、諸人の頭には薔薇の冠を置き、頸には
ロザリオを懸けた。終わって彼等を饗応し、貧民に食物を与えた。

付近の異教徒の貴族が彼の居城に来た時、彼に金の屏風を贈った。屏風は内部に木を用い、紙を合わせて
作った物で、日本人が部屋の壁掛けのような目的で使っている。
この屏風には異教徒たちが喜ぶ絵が描いてあったが、彼は難しい顔をしてこれを見、他の点では甚だ立派で
高価なものであったが、その面前でこれを焼かせ、使者には「キリシタンはこのような卑しむべきものは見ない」
と言った。

彼は臣民がキリシタンと成ることを非常に希望している故、デウスの御恵により彼等の君主に成った時には、
必ず皆洗礼を受けること疑いない。

(1584年1月2日(天正11年11月30日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)

田原紹忍がキリシタン嫌ったのも、キリシタンが信仰を理由にこの金屏風の話みたいな事するからでは…。



184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 16:27:20.84 ID:u/Ny+gN0
>>181
奈多八幡宮大宮司の子がキリシタン嫌いでどこがおかしいの?
仮に彼がキリシタンとなった場合にどのようなことが起こりうるか考えろよ
デメリットしかないと思うけどな

良き老王フランシスコは

2019年06月20日 17:09

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/20(木) 00:37:47.96 ID:EX6KxfGe
王(大友宗麟)は今(既に通信した通り)臼杵より3レグアのアクミ(津久見)と称する町にいる。
この頃、同所に甚だ良き家数棟を建て、その中にミサを行うべき立派な祈祷書を設けた。
彼は老後の休憩所(隠居所)として世子(大友義統)から、その滞在している地方を貰い受けることを
希望していたが、世子が昨年これを与えたため、ここに移った翌日、イルマン二人を招いて、
同地方に有る寺院三ヶ所にある仏像を尽く破壊し、一つも残らず焼く事を命じたためこれを実行した。

王はまたビセプロビンシヤル(ガスパール・コエリョ)より、同所に駐在するためのパードレ一人、
イルマン一人を請い受け、同地方の二千人を超える異教徒に説教を行わせることとしたが、一部は既に
洗礼を受け、他の者は今教えを受けている。
この町に居た坊主たちには甚だ親切に話させ、彼(宗麟)が既にキリシタンに成っている故、彼等も
キリシタンと成ることを勧め、己(の生活)を支えるに足るものを与えることを約束した。諸人皆これを
良しと考え、今ドチリナを授けられている、

この町は甚だ静かであるため、パードレ一人とイルマン一人が駐在していた小僧院には、豊後の国の
坊主達が木の箱の中に、他の立派な箱を納めたものを宝物として密かに蔵してあった。
この箱には釈迦の教えが、金の文字によって九巻に認められた、甚だ珍しいものが納めてあった。
この書物は彼等の習慣に従って製本され、確実なる文書によれば、これが作られて270年経っているが、
今も新しいもののように見えた。その一巻はインドの管区長に送るが、同所より尊師の元に送り、
坊主達がその宗旨の書物を尊重している事を御覧に供するであろう。

この他に彼等が甚だ珍重する、釈迦の門弟19人の絵を描いた19枚の紙を納めた箱がある、世子が
父なる王にこの地方を譲った後、豊後の坊主達は世子の元へ行き、急いでかの書物と肖像を取り出し、
パードレ達の手に入らないようにすることを願った。この宝物を失うだけでなく、これを焼かれることの
危険があったためである、世子は直ぐに人を遣わして書物と画像を王に請わせたが、良き老王フランシスコは
世子の使者の来る前に使いをイルマン等の元に遣わし、彼等が寺院に於いて第一に取り棄て、又は焼却すべき
ものはかの書物及び画像であると伝えさせた、そのためこの事は既に実行されており、世子に対しては
その使者が遅かった旨を答えた、

右のほか、王はイルマン一人を外の二つの町に派遣し、その住民に説教をさせた、これにより400人余が
キリシタンと成った、

(1584年1月2日(天正11年11月30日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)


うーん…



180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/20(木) 08:43:33.06 ID:3qib0QTB
庶民から金を巻き上げるアイテムなんだし焼却した方が後々良い事になる

彼は当地において信長のよう

2019年06月19日 15:10

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/19(水) 01:30:36.02 ID:dilkD3xh
柴田殿(勝家)は去る5月22日(天正9年4月20日)月曜日に我等を招待した。彼は越前国の半分以上、
及び征服した加賀全土の王の如き人で、領土及びその兵たちに対しては、当地において信長のようであった。
諸人は彼を上様 Vyesama 、その子(養子の勝豊、もしくは勝政か)を殿様 Tonsama と称していた。

饗宴は立派なもので、我等、すなわちダリヨとイルマン・コスメ、および私は各々食卓3つを与えられ、
私一人、食卓の頭(上座か)に置かれ、我等に対し多くの親愛が表せられたため、縁側に居る武士たちは
驚いた。また高槻から我等と共に来たキリシタンたちを別の食卓に招いた。

彼(勝家)はヨーロッパ並びにインドのこと、および尊師(イエズス会指導者)について色々尋ねたが、
ここに記すには長すぎる。また3,4回繰り返して、当所に聖堂が有ったならばキリシタンの数は増加するだろう、
もしパードレ又はイルマンが当地に居らねば、キリシタンと成った者たちは直ぐに失われるであろう、と言い、
ダリヨを招いて、私に市内を見せて良き敷地と認めた所を彼に通知したならばこれを与え、聖堂が出来たなら
恩恵を加えるであろう、と言った、彼の子もこれより先に同じ事を言い、この事について父に話す必要なく、
彼自ら我等の満足する地所を与えるであろうと言った。

(1581年5月29日(天正9年4月27日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)

北ノ庄で柴田勝家に対面したフロイスの記録。勝家、領地で上様って呼ばれていたのですな。
そりゃ信長も国掟で勝家を縛ろうとするわ。



23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/19(水) 14:17:43.21 ID:M0+GVcV7
>>22
もう少し読み込んでみるといい

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/20(木) 09:37:30.92 ID:3qib0QTB
>>22
国掟が出されても上様と呼ばれていたのかな?w
縛りになってないな

都への往復に危険

2019年06月13日 15:47

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/13(木) 01:18:22.30 ID:NpktaL/T
今、ビジタドール及び同行者が、都への往復に危険に瀕し、恐怖を抱いたことについて少しく述べるのは
不適当なことではあるまいと思う。第一の危険と恐怖の原因は、山口の王なる毛利 Mory が豊後より都に
赴く路に当たる領内の諸港、特に日本全国に於いて有名である塩飽 Xiuaqui の港に通知を発して、そこを
通過するパードレ達を捕らえるように命じたことが豊後に聞こえたことである。パードレはまた豊後滞在中に
我等の友人の一人から、決して塩飽の港に入らないよう注意を受けたが、都に赴くには毛利の両国に沿った
港湾を通過せざるを得ないので、その危険は甚大であった。

また一層恐怖を加えたのは、乗船の船頭が、我等の大敵である坊主が所領する、大坂と称する市の者で
あった事である。ただし船頭は豊後の王の家臣の如き者で、塩飽にも、その妻子のいる大坂にも、毛利の何れの
港にも決して寄港しないことを王(大友宗麟)と約束したので、恐怖は幾分除かれた。ただし彼は異教徒で
あったので、大いに信頼することは出来なかったが、これ以外に信用すべき船が他に無かったため、
ビジタドールはパードレ4人及びイルマン3人と一緒にこの船に乗り、船頭は常にいかなる事があっても、塩飽に
寄らないと言い、また毛利の領内の町を通る時は、パードレ達を隠していた。

遂に塩飽の前に着くと、船頭は「塩飽に入港せざるを得ないが、決して不幸の起こることはない故、安心する
ように」とパードレに伝えさせた。この伝言を聴いて、この船頭が約束を破り、また異教徒が己の利益の
ためなら容易に陰険なる処置に出ることを思って、諸人皆大いに恐れたが、我等は彼に対して反対する力が
無いために、様々に交渉した後、彼の望むように任せること止むなきに至り、パードレ達は一切をデウスの
御手に任せ、同所に滞在している一昼夜の間は絶えず恐怖を感じていた。しかるにデウスの摂理は、その地の
司令官が前日数レグワ離れた場所に毛利(毛利氏の拠点か)を訪問し、その帰任はパードレ達の出帆後となるよう
計らい給うた。

第二の危険は右に劣らず、パードレ達に対するデウスの摂理もまた少なからざるものであった。堺に近づいた時、
南蛮(日本においては我等をこう称した)のパードレの長が、沢山の宝を持って通過するという噂が立ち、
常にこの海を横行する海賊が多数集まり、堺より6,7レグワの一港に寄港することを聞いて、同港へ行き
安全に略奪を行おうと考えていた。ところが風が強くなり、パードレがこの日のうちに堺に着くことを希望した
ため、船頭にかの港に寄って順風の機を失う事の無いように頼んだ。船頭は同港において納税の必要(海賊への
通行料であろう)があると言って初め拒絶したが、パードレを満足せしむるため、日本の慣例に従い税を堺より
送る事として航海を続けた。
海賊たちが待ち受けていた港に寄らなかった所に、我等の主の摂理が認められた。

海賊たちは我々の船が通過するのを見て、多数の船に乗って出港したが、中にパードレの船よりも大きなものが
二艘あって、ほとんど追いつこうとしたが、風が止んで櫂を用いることが必要となった。兵士たちは敵が
近づくのを見て戦闘の準備を始め、船は急進して逃げた。敵もまた同じ速度で追撃して堺の港まで進み、
小舟は我等の船とともに港に入ったが、大船はパードレの船のようには海岸に近づくこと出来ず、小銃の
着弾距離の所に停まった。もし航路がさらに長いか、また右の船がもう少し小さければ、我々が海賊から
逃れることは出来なかったであろう。この時我々の恐怖がどれほどであったか、尊師も推察されるであろう。

既に港に着いて、キリシタン及び多数の異教徒が小銃その他武器を持って駆けつけたが、海賊たちに
150クルサドを与えて協定を遂げた後、我等ははじめて安全と成るを得た。

堺より豊後へ渡る際の危険もまた右に劣らぬもので、海賊のことと、再び毛利の領内を通過しないことを考え、
路を島々の外(四国の太平洋側の航路を取った)に取り、この航路に1ヶ月を費やしたが、この間
日本の船の不自由の他に、数回非常なる暴風雨に遭い、デウスを想うのみであった。1回は非常に激しい
颱風に遭い、港に入ったが、風は24時間継続した。またある日海賊の船が1艘来た。それのみでは恐怖は
感じなかったが、合図をして他の船を招くのを見て恐れ驚き、この間に一昼夜を経過した。
暴風雨または海賊の危険は、この種の航海においてはパードレ達の常に遭遇するところであって、デウスの
御手に縋り摂理に頼って、常に種々の危険より免れるのである。

(1581年2月15日(天正十年一月二十三日)付、パードレ・ガスパル・クエリヨ書簡)



167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/13(木) 22:17:55.95 ID:igVSyUJR
塩飽のアルファベットカッコ良すぎ

京極高吉の改宗

2019年06月11日 14:28

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/11(火) 14:08:49.60 ID:tf9swAlS
我等が安土山に立派なガザを建てたことは、当地方に於いて非常に有意義であった。信長は特権として
城の瓦と同じ瓦でガザの屋根を葺く事を許したが、城の瓦のように金は用いなかった。
ガザは三階建てで均衡のよく取れた、甚だ立派な爽快なる建物であり、毎日多数の大身達がこれを見るために
来たり、我等はこの機会に彼らに説教しデウスのことについて語った。そしてガザにおいては毎日説教があり、
大身達が各地方から集まったために、この年ににコンパニヤ(イエズス会)が都、その他諸国に知られ、
デウスの教の広まりは、それまでの多年の間の成果と同じくらいであった。そのため、このガザが多数の人に
キリスト教の教えを知るに至る方便と成ることを期待している。もし敵が、例のように妨害を加えることが
無ければ、本年の収穫は少なからざるものと成っていただろう。

説教を聴いた者の中に、元近江国の王であり、今は国を失っているが、信長の庇護を受けている大いなる殿で、
(安土)城内にある最も立派な邸宅の一つを所有している人があった。この人はキヨクドノ(Chiocundobo
京極殿:京極高吉)と称し、夫人とともに説教を聴かんと決心し、デウスの教えを喜ぶあまり、四十日間
引き続いて説教を聴いてよくこれを悟り、四十日の末に夫人とともに洗礼を受けた。
この人に11,2歳の一子(京極高次)が有り、その頃他の町において信長に仕えていたが、父はこの子が
帰るのを待って全家族と共に洗礼を受けさせようと考えた。しかしながら、その後数日を経て我等の主が
彼(高吉)を御許に召し給うたため、その希望を達すること出来ず、又その子並びに家族はみな異教徒のままで
あったのみならず、子たちは父の死が神仏の罰によるものと考え非常に恐れたが、母はこれにかかわらず
信仰堅く、唯一その邸宅に住んでいる。我等の主が彼女によっていつかその子達を導き給わんことを期待する。

(1581年2月15日(天正十年一月二十三日)付、パードレ・ガスパル・クエリヨ書簡)

京極高吉の突然の死は、実際に仏罰だと噂されたらしいですね。