658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/20(火) 14:48:25.10 ID:/SKO6RgJ
当都の国内(畿内)に、奈良と称する人口甚だ多き町がある。数日間当地に滞在したが、広大にして
荘厳なる寺院が多数あり、特に三つの大いに注目すべきものがある。
一つはエボラ(ポルトガルの大司教が駐在する都市)の門の塔と同じ程の高さで、甚だ大きな
金属の偶像(大仏)である。私はエボラの出身であるのでこのように比較するのだが、一羽の鳩(境内には
多数の鳩がある)が、この偶像の頭で羽を休める時、下より見た者には、甚だ小さな雀のように見えるを
以て、このように断定した。手のひらは男子の大股での一歩の広さがあり、顔は幅約四パルモである。
この像の両側に他の二つの像があり、殆ど同じ高さである。他に木の立像が二つある。高さはレシオ
(リスボン市のロシオ、即ちドン・ベルド四世広場)に行く下の門の外壁と同じ程である。
その側に至って、悪魔の巨大なことに驚いたほどである。
この寺院は参拝者が甚だ多い。
第二は多数の鹿の在る事である。市内に在るのは三、四千であろう。この寺院に属し、良く人に馴れ野に出て
草を食って帰る。市街を歩行すること犬のごとくである。
彼らは寺院及び偶像に属するが故に、諸人これを尊崇し、もし鹿一頭を殺す者があれば、その罪によって
殺され、財産は奪われ、一族は滅ぼされる。鹿がもし一街にて死することが有れば、同街はその鹿が死んだ
理由を説明する義務があり、もりこれを成さざれば大いなる罰を受ける。
第三は、町内に広大にして深い湖水(猿沢池)のある事である。湖水には魚が充満し、その大きく、かつ多数
なること実に驚くべし。もし人が湖水の岸にて手を拍てば、そのようにして魚に食物を与える習慣なるが故に、
数えることも出来ないほど多数の、かつ甚だ大きな魚たちが来集するのである。
またこの魚も、寺院及び偶像のものであると称してこれを殺さない。彼らは、湖水の魚を殺す者は癩病に成るのだと
信じ、この恐怖のためこれを行わない。
坊主はこの魚を食することを、重大なる罪悪であるとし、これを重大視するが故に、もし魚を食す者があれば、
直ぐに司祭の地位から退かされ、俗人と成る。
このように彼らは、罪では無いことを大いなる罪とし、本来罪悪とすべきことを甚だ軽視している。
この地には又、牝鶏が無数に在る山がある。これも偶像に属するが故にこれを殺さない。
他にも多くの事があり、数ヶ月を費やしたとしても、観尽くし語り尽くすことは出来ないだろう。
当地においてはしばしば、悪魔が彼らと語ることが有る。狐、蛇、その他類似の獣類の形でしばしば現れる、
また夜間、死者の墓より、青く恐ろしい炎を発することが有り、その死者が地獄に有る証拠だと云う。
また死体を墓地に運ぶに当たり、悪魔が空中に在ってこれを奪うことが有る。またしばしば、人の体内に
入ることも有る。このため諸人は大いにこれを恐れ、壮麗なる寺院を建てて、前記の像を置いてこれを
尊崇する。諸侯は戦争に於いて勝利を得んことをこれに祈り、多額の寄進を成す。諸人大いにこれを尊崇する。
彼らは(傲慢で有ることを以て)その領土を奪われることを甚だ恐れるがゆえに、彼らに服従する者達に
対し、力の限り努力して当地に有るコンパニヤの人を迫害せしめ、その死を希望している。
然れども上よりこれを許されざるが故に、悪望を抱くにとどまり、その罰を受けて大いに苦しむ。
『一五六五年九月十五日附、パードレ・ガスパル・ビレラ書翰』(日本耶蘇会通信)
東大寺大仏殿の戦い以前の、奈良の様子。この時代も大仏、鹿、猿沢池が最大の注目点なのですね。
当都の国内(畿内)に、奈良と称する人口甚だ多き町がある。数日間当地に滞在したが、広大にして
荘厳なる寺院が多数あり、特に三つの大いに注目すべきものがある。
一つはエボラ(ポルトガルの大司教が駐在する都市)の門の塔と同じ程の高さで、甚だ大きな
金属の偶像(大仏)である。私はエボラの出身であるのでこのように比較するのだが、一羽の鳩(境内には
多数の鳩がある)が、この偶像の頭で羽を休める時、下より見た者には、甚だ小さな雀のように見えるを
以て、このように断定した。手のひらは男子の大股での一歩の広さがあり、顔は幅約四パルモである。
この像の両側に他の二つの像があり、殆ど同じ高さである。他に木の立像が二つある。高さはレシオ
(リスボン市のロシオ、即ちドン・ベルド四世広場)に行く下の門の外壁と同じ程である。
その側に至って、悪魔の巨大なことに驚いたほどである。
この寺院は参拝者が甚だ多い。
第二は多数の鹿の在る事である。市内に在るのは三、四千であろう。この寺院に属し、良く人に馴れ野に出て
草を食って帰る。市街を歩行すること犬のごとくである。
彼らは寺院及び偶像に属するが故に、諸人これを尊崇し、もし鹿一頭を殺す者があれば、その罪によって
殺され、財産は奪われ、一族は滅ぼされる。鹿がもし一街にて死することが有れば、同街はその鹿が死んだ
理由を説明する義務があり、もりこれを成さざれば大いなる罰を受ける。
第三は、町内に広大にして深い湖水(猿沢池)のある事である。湖水には魚が充満し、その大きく、かつ多数
なること実に驚くべし。もし人が湖水の岸にて手を拍てば、そのようにして魚に食物を与える習慣なるが故に、
数えることも出来ないほど多数の、かつ甚だ大きな魚たちが来集するのである。
またこの魚も、寺院及び偶像のものであると称してこれを殺さない。彼らは、湖水の魚を殺す者は癩病に成るのだと
信じ、この恐怖のためこれを行わない。
坊主はこの魚を食することを、重大なる罪悪であるとし、これを重大視するが故に、もし魚を食す者があれば、
直ぐに司祭の地位から退かされ、俗人と成る。
このように彼らは、罪では無いことを大いなる罪とし、本来罪悪とすべきことを甚だ軽視している。
この地には又、牝鶏が無数に在る山がある。これも偶像に属するが故にこれを殺さない。
他にも多くの事があり、数ヶ月を費やしたとしても、観尽くし語り尽くすことは出来ないだろう。
当地においてはしばしば、悪魔が彼らと語ることが有る。狐、蛇、その他類似の獣類の形でしばしば現れる、
また夜間、死者の墓より、青く恐ろしい炎を発することが有り、その死者が地獄に有る証拠だと云う。
また死体を墓地に運ぶに当たり、悪魔が空中に在ってこれを奪うことが有る。またしばしば、人の体内に
入ることも有る。このため諸人は大いにこれを恐れ、壮麗なる寺院を建てて、前記の像を置いてこれを
尊崇する。諸侯は戦争に於いて勝利を得んことをこれに祈り、多額の寄進を成す。諸人大いにこれを尊崇する。
彼らは(傲慢で有ることを以て)その領土を奪われることを甚だ恐れるがゆえに、彼らに服従する者達に
対し、力の限り努力して当地に有るコンパニヤの人を迫害せしめ、その死を希望している。
然れども上よりこれを許されざるが故に、悪望を抱くにとどまり、その罰を受けて大いに苦しむ。
『一五六五年九月十五日附、パードレ・ガスパル・ビレラ書翰』(日本耶蘇会通信)
東大寺大仏殿の戦い以前の、奈良の様子。この時代も大仏、鹿、猿沢池が最大の注目点なのですね。
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