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細川忠利と『南蛮起請』

2010年09月09日 00:01

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 23:33:06 ID:sYHBuVTN
細川忠興の三男で、忠興の後を継いだ細川忠利。
このスレの人たちには、伊達政宗の江戸での行状などを赤裸々に記録した『細川忠興・忠利往復書簡』などで
その名を知られているだろう。

ところでこの忠利、キリシタンである細川ガラシアを母としているにもかかわらず、いや、むしろ
母としているためと言うべきか、大のキリシタン嫌いであった。

彼は自分の領内のみらなず、幕府にも積極的に対キリシタン対策の必要を訴えていた。
そして寛永12年(1653)、忠利は幕府老中に

「日本国きりしたん改一同につかまつるべし(日本国中のキリシタンの改宗を、一斉に行ないましょう)」

との提言をした。この忠利の提言により『南蛮起請』という、非常にえぐい政策が生まれる。

さて、南蛮起請とは何か。
これはキリシタンからの改宗を宣言し、二度とキリシタンに立ち返ることはないと約束する起請文である。

が、この南蛮起請のえぐさは、ここから先である。この起請文を破ると罰がある。
その罰がどんなものか、原文から見てみよう


『上には天公・デウス・サンタマリアをはじめたてまつり、諸々のアンジョ(エンジェル・天使)の御罰を蒙り、
死にてはインフェルノ(地獄)と言う獄所において諸天狗の手に渡り、永々五衰三熱の苦しみを請け、
重ねてまた現世にては、おっつけラザル(らい病者)になり、人に白らい黒らいと呼ばれるべきもの也。
よって恐ろしきシュラメント(誓詞)、件の如し。』

そう、キリシタンに立ち返れば、キリシタンの神の罰を受ける、と言う内容を、キリシタンの言葉で記した
恐るべき誓約書であったのだ。
これは当時「きりしたんのいやがり候文言の書き物」と表現された。


細川忠利の提言によって生まれた「南蛮起請」についてのお話。




844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 11:04:32 ID:c+/CnA4y
忠利は、ガラシャの子供じゃなくて、
ガラシャが細川家に嫁いできたときに一緒にきた、
小侍従を三歳が孕ませて、ガラシャと自分の子だとした、
という話を熊本の本妙寺の一族から聞いたんだが、
アレどうなんだろうなあ。
小侍従の方は家臣に下げ渡されたんだが。


851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 13:20:19 ID:ZWK6xvSz
>>844
山田風太郎の小説でも、ガラシャの子じゃないってなってたな。
忠興が謀反人の子供に細川家の家督を継がす事はできないからって。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 22:29:43 ID:WMwx+cv6
>>844
ときたま聞く話だけど、どうなんだろうなあ。
有名な「霜女覚書」によると、当時ガラシャのそばで仕えていた忠利の乳母に、
内記様(忠利)への形見をを託した、という話が出てくるし、まあおそらく忠興の男子の
上三人はガラシャの子とみるのが自然だろうな。
小侍従というと、ガラシャの代わりに秀吉のところへ行ったという話が出てくる侍女だよね確か。

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 23:11:55 ID:GCvOMTff
どうでもいいけど「ガラシャ」と「乳」が同じ行に出てくると「ブラジャ」みたいに見えてくるな…

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 23:11:55 ID:GCvOMTff
どうでもいいけど「ガラシャ」と「乳」が同じ行に出てくると「ブラジャ」みたいに見えてくるな…

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 02:27:03 ID:LGA3Mvz0
>>865

三斎さんが「三十六歌仙」を「百人一首」にすべく
アップをはじめました

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 03:02:06 ID:rEIW7TRq
まとめブログなんで>>865まで含んだw
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秀吉、幽霊を見せられる

2010年09月08日 00:01

806 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:12:57 ID:nBqCk5nz
天正16年(1588)9月14日のこと。
泉州堺の天王寺屋宗珍、油屋正由と言う者たちが伏見城の豊臣秀吉に拝謁して言うには

「この頃堺に、市橋庄助という外科医と島田清庵という内科医が住むようになったのですが、
この二人が実に奇妙な術を使うそうです。」

そう申し上げた。興味を持った秀吉は早速二人を呼び寄せ、術を披露させた。
これが同月17日であったそうだ。

彼らが大鉢に水をたたえ、紙を菱形に切って水に浮かべると、これがたちまち本物の魚となって水に泳ぐ。
はたまた懐中からコヨリを取り出し、その端を口で吹くと縄に変わり、それを座敷に投げ出すとさらに
大蛇へと変じる。
また五穀を盆に入れ、砂をまくと小蟻のように動き出し、見る見る芽が出て花が咲き実が成る。
さらに鶏の卵を手のひらに握り、手を開くと殻を破ってヒヨコが現れ、これも見る見るうちに鶏に成長し、
「コケコッコー!」と鬨を作った。

彼らに秀吉の女房連中から
「お庭に富士山を出してもらって、それを見物したい」
とのリクエストがあった。彼らは庭の障子を閉じ、しばらくしてこれを開くとたちまち庭に富士山が出現。
これには一同あっと驚いた。
また障子を閉じしばらくして開くと、今度はそこに近江八景。
また開けると堺の浦、次は須磨明石と、様々な風景が出現する、並み居る人々、彼らはいかなる神仙かと
驚き怪しんだ。


807 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:13:54 ID:nBqCk5nz
さて、ここで秀吉が声をかけた

「余は未だ、幽霊というものを見たことがない。これを出してみせよ。」

すると両人

「日が落ちてからなら、お庭に現しましょう。」

そう言って、一旦退出した。

夕刻となり二人は再び召しだされた。
彼らは秀吉の側の人達に言って、座中の燭台の火をすべて消させて障子を開いた。
外には9月17日の月がかすかに照っていたが、風が騒いだかと思うと突然のにわか雨が通り過ぎた。
庭の草木に着いた水滴が月の光を反射し、なにやら物凄まじい雰囲気がした。その時である。

庭の植え込みの木の間から、怪しいものが現れた。白衣の女であった。
彼女はみだれ髪が顔にかかり、苦しげな様子で庭の中に佇む。
人々は不気味さに気味を悪くしているうちに、彼女はにじり歩き、縁側へと近づいた。
秀吉がその女の顔を見ると

「…あれは!?」

彼女は秀吉が未だ藤吉郎と言って身分低かった頃、愛人にしていた菊という女であった。
菊と秀吉はひどい喧嘩別れをしたのだが、やがて秀吉が出世すると彼のもとにやってきて、
秀吉の身辺でまた使ってくれるよう頼んだ。しかし秀吉は別れた時に浴びせられた雑言が許せず、
彼女を召し使うことを拒否する。

すると菊は非常に怒り、秀吉に向かって恨み言をがなりたてた。
これに秀吉も激怒し、菊をその場で手討ちにした。

その菊が今、目の前に居る。

「菊とわしの関係を知る者は殆どおらぬ。当然この術師の二人が知りようはずもない。いったいどういう事か。」

みるみる表情を不快にし、すぐさま彼らを追い出した。二人がいなくなると幽霊も消えた。
秀吉は

「あの者達は奇怪至極である!召し捕えて拷問せよ!」

と命じた。
そこで直ぐに彼らを捕縛し厳しく取り調べたところ、市橋庄助、島田清庵はそれぞれ告須蒙(コスモ)、寿間(ジュモン)
と言う洗礼名を持ったキリシタンであると判明した。彼らの行ったのはキリシタンの秘術であったそうだ。

9月19日、両名は京の粟田口において磔とされた。
さらに秀吉は、大阪京都はもとより全国に指令を出して、キリシタン弾圧を強化したという。

秀吉が幽霊を見せられた話。





808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:33:47 ID:EvL1c3Xn
むう…面妖な。

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:38:51 ID:AS2MzYOI
こうゆうのはエセでも本物でもぬっ殺されるのがお決まりだな

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:46:38 ID:0d1qhdrj
コスモとジュモンって誤ってタイムスリップしちゃった未来人だろ
立体テレビを使って奇術師として生計を立てようと思ったらこのざまだよ

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 23:56:39 ID:cNHnxIBT
>>811
彼らに秀吉の女房連中から「お庭に富士山を出してもらって、それを見物したい」
とのリクエストがあった。彼らは庭の障子を閉じ、しばらくしてテレビとブルーレイデッキの設置を終え、
観客にアクティブシャッター式3Dメガネをかけさせてからこれを開くとたちまち庭に富士山が出現。

夢も希望もないぞ

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 00:16:57 ID:kiBUnWJl
電源はソーラー式か?

ドミニコ会宣教師コリャード編纂『懺悔録』より

2010年09月07日 00:00

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 23:12:30 ID:8PYj9kDD
ドミニコ会宣教師コリャード編纂による『懺悔録』より、慶長末~元和初期頃の九州であったこと


信徒
「この間、将軍様のご法度に従って、奉行が都から下ってこられ、是が非でもこのあたりの
キリシタンを改宗させようと、皆に

『改宗したものは判を押して確認を取る、キリシタンの教義をとりあえず止めよ。
心で信じている分には構わないから、表向きだけでも改宗してくれ!』

と、しきりにお薦めになられたので、我々の女房、子供の命を守るためもあって、
口先だけですが改宗に同意しました。」


するとこの懺悔を聞いた宣教師は

「たとえ表向きだけであろうとも、改宗すると宣言した者をキリシタンと認めるわけには行かぬ!
お前は直ぐに、改宗確認の書類を持っている奉行、そしてお前の改宗の事を知っている
者たちに対して、直ぐに復信を宣言せねばいけない!
さもなくばお前はもうキリスト教徒ではない!」

宣教師のこの方針により、一旦改宗を認めたものの、復信を宣言するものが続出。
幕府は当然、これを大いに問題視。キリシタン取締は一層厳しく、過酷になっていくことに成る。
この偽装改宗の禁止は、日本から外国人宣教師があらかた居なくなるまで、
多くの犠牲者を生み出し続け続いた。


「信仰」の立場からは正しいのかもしれないが、指導者の、信徒の命を顧みない方針により
徒に幕府を刺激し「殉教者」を増やしたとしか思えない、「起こらなくても良かった」悲劇についての
話である。



789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 23:41:39 ID:lJcZLcQN
「嘘も方便」の日本人とドグマ的な西洋人の対比だね

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 23:45:14 ID:/jQ2LRfU
十兵衛「武士の嘘は武略」