秀吉の愛妾が秀頼という男子を生んだ

2015年10月06日 19:26

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/06(火) 00:47:37.43 ID:0a5oehs5
 賊魁(豊臣秀吉)には子がなかったので、妹の子を自分の養子にした。賊魁が、大閤と自称するに及んで、その養子を関白にし、伊勢・尾張などの州を分って領土としてやった。
 
 壬辰(1592)年の冬になって、秀吉の愛妾が秀頼という男子を生んだ。
〈ある者の言うには、大野修理大夫(治長)なる者が、秀吉の寵を得て、つね日ごろから寝室に出入りし、秀吉の愛妾とひそやかに通じて生んだのだ、と〉

秀頼が生まれてからというもの、関白(豊臣秀次)は、自然と心に疑いや懼れが生じ、暗に叛意を抱いた。石田治部(少輔三成)は、彼に従いながら、これを陥れた。
秀吉は、関白を自決させようとしたが、関白は紀伊州高野山に逃れ、剃髪して僧となった。秀吉は、ただちに、その所在で、またこれに死を賜った。
〈倭の法では、死罪に当る者でも、領土を捨てて僧侶になれば、通例として不問に付すのであるが、秀吉だけは、関白を殺してやっと満足したという。〉

 関白の屋敷も包囲し、その部下を一人残らず殺してしまった。その屋敷は没収して、加賀大納言(前田利長)の与えた。

(看羊録)

秀頼出生にまつわる浮名が朝鮮の捕虜にまで耳にしているということは、当時でも有名なゲスネタだったのかも



404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/06(火) 07:52:40.25 ID:ipxYJqjU
スキャンダルはいつの時代も盛り上がるんだねえ。
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