国主の若い息子は

2016年07月15日 15:44

858 名前:御存じ豊後の大友さん家が、キリスト教にハマるきっかけ。[sage] 投稿日:2016/07/14(木) 20:31:40.10 ID:VYAaTYrJ
宗麟パパは熱心なキリシタン信者として有名だが、それは彼が晩年になってから。
確かに若い頃からキリスト教に興味津々で、教会に対しても面倒見がよかったが、
1575年以前までは、本人がいちばん熱中していたのは禅の教え。
臼杵にでっかい禅寺(寿林寺)を造らせ、京の大徳寺から偉いお坊さんを招聘して、
次男の親家を、成長後はそこの住持にさせようと考えていたという。しかし…


「国主の若い息子(次男)はなんとしても仏僧になりたがらなかった。彼は僧院で書物から学ぶどころか、
 武器をとり、撃剣、相撲、その他それに類した修錬に専念して、
 もし国主が自分を無理やりに僧侶にするつもりなら、 切腹して果てるか海で投身自殺する、と言った。
 国主は息子がどんなに恐るべき、かつ激しい性格か知っていたので、彼にとって息子のことは
 重荷であり憂慮の種であった。そこで彼がこの件でフランシスコ・カブラル師に助言を求めた時に、
 司祭は彼に、その息子が冷静になり、その激しく頑固な性格が克服されるためには、
 殿下が彼をキリシタンにさせる以外の救済法とては思い浮かびませぬ、と説いた。
 この忠告は国主には望ましいものに思われ、フランシスコ・カブラル師はその息子に
 理解力に応じて教えを授けた後、臼杵において洗礼を授けた。
 そして彼にドン・セバスチアンの教名を与え、国主は受洗の際に列席した」 
 (フロイス日本史・豊後編Ⅱ)


性格矯正のきっかけを与えられめでたしめでたし、と言いたいところだが、
結局この次男は「もともと性格が頑迷すぎる」上に虚栄心も強すぎたので
改宗も大して効果がなかった、と本書でバッサリやられてる。
親心を理解しない次男に対してもフロイスさんはじつに手厳しい。




859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/14(木) 23:19:46.26 ID:60TOaBpq
そんなにバトル派だったのに
朝鮮で逃げた卑怯者って言われちゃうのか

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/15(金) 00:44:28.04 ID:YKycFMfZ
>>859
君主の命令は絶対だからね

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/15(金) 01:49:02.09 ID:62hdoRhR
>>859
朝鮮で逃げて、天下一のヘタレ言われたのは
例の長男じゃなかったけか?
この話の主役の次男も、朝鮮で一緒に逃げてたのか?
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