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フロイス達の京都観光

2020年10月13日 16:19

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 15:18:14.69 ID:82vcNcd0
イルマン・ルイス・ダルメイダが(都から)豊後に向けて出発するために、キリシタンの希望に従い、
私は彼とともに復活祭の第二の八日目に、都の見物をした。
日本においてはしばしば散策し、寺院、その他古跡を見る習慣があり、都には多数の観覧すべき場所があった。
これを観るために、絶えず諸国の人々が集まった。しかしながら悉くこれを記述するのは不可能であるので、
私が思い出せる所を述べる。

我々は先ず30人のキリシタンと共に、日本全国の君である公方様の宮殿観覧に赴いた。キリシタンである家臣の
紹介によって入門を許され、休養のために別に設けられた家屋を見たが、私は今日まで見た中でも
最も清浄・爽快、かつ立派なものであり、その精巧なること、清潔なること、優雅なることに於いて、
これに並ぶ家を、ポルトガルに於いても、全印度に於いても見た記憶がない。

家の窓外には甚だ美しく、また珍しい樹木の庭が有った。杉、柏、蜜柑、その他我等の間に知られていない
樹木が植えられていた。それらは尽く人の手が加えられ、或いは鐘の形、或いは塔の形、また屋根の形、
その他様々な形を成しており、百合、石竹、薔薇、野菊、その他各種、色彩及び香気ある花弁が多数咲いていた。
彼ら(日本人)は心を慰めるため、好んで花弁の栽培を行うが故に、これを観る者には絶えず驚嘆すべき
事がある。我々にとっては特に珍しいものも有る。

同所より同一構内の他の庭に案内されたが、ここは遥かに最初の庭に勝っていると思った。
その厩は杉材の家で、屋内は全部、良き筵を敷いてあり、高い身分の諸侯を入れるに足りた。
馬はそれぞれ別の個室を有し、床、及び左右には皆板を張っていた。筵を敷いた所は馬を預けた者の居所である。

他の門を出て一の街路に出た。長さはリスボンのルアノバ(新街)の六、七倍、幅は二倍ほどで、
左右の木は皆甚だ美麗にして、高さはそれぞれ同じほどで、我等をして復活祭のときに用いたいと思わせた。
この街路はダイリ(内裏)、即ち日本全国の最も名誉あり、元は皇帝であったが、今は服従されていない
君主の宮殿に至るものである。
この内裏の諸建築はただ外部より一見し、またその庭もそのようにして観覧した。何故かと言えば、(内裏は)
これに仕える者以外は、何者も入ることを許さないためである。

この市(上京)を出て何れの方向に赴こうとしても、そこでは日本全国の中で最も清潔で、風景の良い田園が有る。
何故ならこの島(日本)は三百レグワの広さがあるが、全国に都に勝る所は無いからである。

同所を出て我等は真っ直ぐにして広く平坦たる街路を通行した。街路は城のように悉く門を備え、夜間はこれを
閉鎖する。こうして我等の通行した距離は、リスボンのセー(大会堂)よりボア・ビスタ街のエスペランサの
聖母の会堂に至る程である。この市街は緞子、その他の織物を製造加工し、また金扇、その他裕福層に
用いられる品を作る商人の家、及び事務所の在る所で、中央に阿弥陀の堂がある。全市中最も通交の多い
場所で、毎日、殊に午後、この時間は店を閉め用が無くなるため、多数の人が来て偶像に寄進を成し、
また祈祷を行う。

我等と同行したキリシタンの武士は、この堂を出て、今回改築した当国の長官の宮殿を観るため我等を案内した。
これについて述べるべき事は多いのだが、今はその庭園についてのみ述べる。但し公方様の庭のように各種の
樹木は有るが、その事については説かない。庭の中央に幅二十歩の湖水がある。水は金力によって二十三レグワの
遠方より引き、人の手によって造ったものだが、自然によって作られたような岩からここに流入している。
湖水の中に多数の島、及び小島がある。木及び石の橋によって、最初の島から他に渡る。そして皆、甚だ良い
樹木の下に有る。これについて私が記述する所は、実際の三分の一にも及ばないこと、疑いない。

『一五六五年四月二十七日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

フロイス達の京都観光の記録。この頃の京は戦乱などで衰退していたと言われがちですが、宣教師達は
非常に見事な都市だと認識していたみたいですね



635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 16:09:06.10 ID:j42u0JCI
ポルトガルがお粗末なだけだよ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 21:41:27.24 ID:hUql5rMY
衰退って言っても、戦後すぐの東京みたいな感じじゃね?
インフラは破壊されてて不十分で食料供給にも不安があるけど、人を集める力はまだまだある、みたいな

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 05:30:44.15 ID:uVKAm0a1
上京くらいは直したんじゃないの
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又(日本には)、生きながら葬る方法がある

2020年10月09日 16:19

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/09(金) 00:25:35.05 ID:eFHnGJal
又(日本には)、生きながら葬る方法がある。甚だ信仰深くして、阿弥陀の栄光に入らんと欲する者が
これを行うのを常とする。イルマン・ルイス・ダルメイダ及び私が本年、都に向かっていた時、
伊予と称する国の内。豊後より四十レグワの町、堀江と称する所に着いた時。我々の到着の六、七日前、
悪魔の如き犠牲を捧げたことを聞いた。

その方法は次の如くであり、当地方に於いては常に行われることである。
六人の男子と二人の婦人が一団となり、数日前より町を巡って喜捨を求め、これを集めた後、
友人、及び親類に別れを告げて、

「彼らの期待する阿弥陀の栄光に入ることを長く猶予することは出来ない、速やかに行ってこれを求めんとす。」

と云い、甚だ良き服を着て、喜捨の金を袖に入れ、多数の人に送られて海岸に至り、一艘の新造船に乗り、
頸、腕、腰、脚、および足に大きな石を結び、再び海岸の諸人に別れを告げると、これら諸人は多く
涙を流して涕泣し、その幸福に入ることを心中大いに羨望する様子を見せた。

彼らは海上に漕ぎ出て、親類、友人は船に乗ってこれに従い、再び彼らと決別する。
海岸を離れて、小銃の着弾距離の三、四倍の所にて、一人ずつ深き海、寧ろ地獄に投身する。
追随する人々は、直ぐに乗る人の居なく成った船に火を付ける。これに乗って航海する価値有る者が
無い為である。

その海岸に接して、記念の小堂を建て、小さな棒に紙の小旗を付けて屋上に立て、各人の為に一本の柱を建てる。
これの多くの文字を記し、小松を植え、堂内にはサント(神仏)を賛美する詩歌にて満ち、多数の人が
毎夜家を出て、この悪魔の殉教者八人の為に建てたこの堂に赴き、この地の住民は毎日行ってこれを拝するのを
常とする。

イルマン・ルイス・ダルメイダ、及び私が、この町に住むキリシタンの武士の娘に洗礼を授けるためその家に
赴こうとし、この堂を通過した時、四、五人の老女が殉教者に祈るために堂に来ており、その手に数珠を持ち
内より出たが、我々が頭を下げて敬意を表さないのを見て、或いは我等の無知を笑い、或いは聖徒を軽蔑し
侮蔑したことを責めるように、恐ろしい顔をした。

海に投じた者の中に、手に長い鎌を携えた者があった。これは通路を防ぐ密林の木を切るためなのだという。
また、自ら海に投ぜず、船に大きな孔を作り、栓をして、海上でこれを抜いて船とともに海底に沈むことも有る。

『一五六五年二月二十日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信



404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/09(金) 00:47:19.45 ID:dtEnwOKt
補陀落渡海かと思ったけど
補陀落だと観音菩薩の治める南方の浄土を目指すから
阿弥陀の治める西方浄土に向かう場合は使っていいのだろうか

松永久秀の信貴山城について

2020年09月29日 18:30

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/29(火) 17:32:16.41 ID:nz7SxZNj
少し長きに失するが、弾正殿(松永久秀)の領せるこの町(信貴山城)に於いて私が見た所について語る。
貴兄ら最も愛する兄弟が日本の教化のためデウスに祈るべき材料を得るためである。

前に述べたように、この領主は財力及び所領多く、多数の人が服従しているのを見て、国風により
この町に築城するに決し、一つの山を選定し、石が甚だ柔らかいためこれを切って数個の塔を作り、
その中央にゴア市の範囲の三分の一に等しい野を残した。

ここに多数の井戸を掘ったが、三ブラザにして水が多く出た。彼は最も信任している家臣と、
最も富んでいる大身たちを招き、囲いの中に敷地を分与し、家を造らしめた。着手以来五ヶ年となるが、
皆競って他よりも良く、高価な家を造った。

家は数階にして、我が国風の良き窓格子があった。またこれらの家は堀、及び塔と共に、今日まで
キリスト教国においても見たことがない、甚だ白く光沢の有る壁を塗っていた。壁がこのように白いのは
石灰に砂を混ぜず、甚だ白い特製の紙を混ぜる故である。

家及び塔は、私が見た中で最も良い瓦で、様々な形があった。また指二本分の厚さで、真っ黒なものを以て
覆っていた。このような瓦は、一度葺けば四、五百年も更新する必要はない。私は六、七百年を経た寺院の
多数に於いてこれを見た。

この地に入りて街路を歩行すれば、その清潔にして白きこと、あたかも今日完成したばかりの物のようであり、
天国に入ったような感がある。外からこの城を見れば、甚だ心地よく、世界の大部分にこのような美麗なる
物があるとは思われない。

入ってその宮殿を見るに、人の造ったものとは思えず、これについて記述するには紙二帖が必要である。
宮殿は尽く杉で造り。その匂いは中に入る人を喜ばせ、また幅一ブラサの縁はみな一枚板である。
壁は尽く昔の歴史について描かれ、絵を除いた地は尽く金である。

柱は上下一パルモを真鍮にて巻き、また尽く金を塗り、彫刻を施して金のように見える。
柱の中央には甚だ美麗なる大薔薇があり、部屋の内面は一枚板のごとく見え、甚だ接近しても、継ぎ目を
認めることは出来なかった。また他に多くの技巧を用いていたが、私にはそれらを説明することが
出来ない。

この宮殿の多くの建物の中に、他に比べても更に精巧なる室が有った。
奥行きおよび幅四ブラサ半にして、黄色の木材を用いていた。甚だ美麗にして心地よき波紋(木目)が有った。
この木材は加工甚だ良く、鏡のようであった。然れどもこれは木材の光沢ではなく、一種の漆であると思われる。
庭園及び宮庭の樹木は、甚だ美麗であると言うより他ない。

私は都において美麗なるものを多く見たが、その殆どはこれと比べるべくもない。世界中でも、この城のように
善、かつ美なるものは非ざるなりと考える。故に日本全国よりただこれを見るために来る者が多い。

『一五六五年十月二十五日附、イルマン・ルイス・ダルメイダ書翰』

松永久秀の信貴山城についての記録



597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/29(火) 17:54:51.25 ID:90ZDbwIW
>>596
多聞山城の方だね

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/29(火) 19:53:59.12 ID:nz7SxZNj
>>597
原文を確認しましたが、やはり信貴山城のこととして書かれていますね。

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/30(水) 01:00:43.05 ID:yM8mzulb
>>600
横からだが、
耶蘇会士日本通信』の註だと信貴山城のこととしてるけど、
時期的には久秀の本拠は多聞山城っぽいんだよなぁ
また、信貴山城は山城で結構な山の中
「町」とか「中央にゴア市の範囲の三分の一に等しい野」ってのは想定しづらいってのもある
一方、多聞山城は東大寺から北に1キロほどの現奈良市街の平山城だったりする

松永久秀に詳しい人に解説お願いしたい

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/30(水) 05:16:42.93 ID:1Ol7i0vl
>>603
多聞がハレの城
信貴がケの城

観光誘致するなら多聞だよね
奈良を望む政治の城

キリシタン全体にとって甚だ悲しむべき、また我等の敵にとって大いに喜ぶべき報知

2019年09月29日 14:20

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 12:52:44.29 ID:c91QPm4X
8月25日頃、我等並びにこの国のキリシタン全体にとって甚だ悲しむべき、また我等の敵にとって
大いに喜ぶべき報知が豊後に達した。すなわちドン・ベルトラメウ(大村純忠)は死し、その兄弟である
有馬の王(有馬義貞)は逃げ、ポルトガルの帆船およびジャンク船は横瀬浦港を去り、会堂及び
同地全体は他の多数の村々とともに焼かれ、キリシタンは皆死し、または迫害を加えられているという
報知である。(大村純忠の義兄である後藤貴明の反乱の事と考えられる。純正の死は誤報)

而してこれは、ドン・ベルトラメウが領内の仏像を焼いたためであり、その部下の者も、彼の親戚である
他の君主と供に暴起して悉く領地を奪い、有馬の王もその弟の奉じたキリストの教えを好遇し、
弟がキリシタンと成り、仏像を焼き、坊主に迫害を加えたにも関わらず、仏より何等の罰を受けることが
無かったため、「仏に何の力もないことは明らかである」と言い、その兄弟のごとくデウスの教えを
奉ぜんとし、またその領内にデウスの教えを弘める許可を与える事が良いと思い、また既に領内2ヶ所に
おいて千二百あまりのキリシタンが存在していた。

このような状況で家臣たちがこれに叛起し、デウスの教えに大いに反対するその従弟(後藤貴明)が
叛徒の首領と成った。

我等はこの報知を得て大いに驚きまた悲しみ、この事についてのみ語り、キリシタンは恐怖し、異教徒たちは

「デウスに力有れば仏の力よりドン・ベルトラメウを救出すべし。ドン・ベルトラメウの如くデウスの教えを
愛し、仏に迫害を加える者は無かった。宣教師たちが説いていたようにデウスに力があるのなら、その
僕を助けるべきである。」と言って大いに罵言し、また

「キリシタンの教えは偽物であり、滅ぼすべきものである。何故ならその教えの入った所には必ず
戦争及び紛争が起こる。」と言い、その議論を確証するため、日本に於いて最も古く、また立派であった
二つの都市、すなわち博多及び山口がキリシタンの教を受け入れた後滅亡したこと、その他多くの事を
挙げ、人民をして我等に大なる嫌悪を懐くに至らしめ、また我等は人を喰う者にして魔法使いであると
彼等の頭に入れ、また我等は日月も仏像も拝することを禁ずるが、そんな事を為し、また説く者は全く
信ずるべきではないと言った。

このような話は我等の行く各地において坊主に共通した所である。

(1563年11月17日(永禄六年十一月二日)付、イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

後藤貴明の反乱の報についての記録である。キリスト教が入った所では平和よりもむしろ戦乱が起こる、
という印象がこの時代から既に有ったのですね。



469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/29(日) 13:33:51.38 ID:bMxm3j9d
隆盛の有馬に屈する形で大村は有馬から婿を迎え隠居、実子は後藤へ婿にやって反乱の目を潰すが、純忠が領内の寺や菩提寺を廃するとこれに怒り、これより大村を仇敵とみなした
なにもキリスト教だからではない、跡目を継げなかったことが争いの元凶なのである
なお龍造寺が隆盛を極めると後藤貴明は隆信の子家信を養子とし実子清明を隆信の養子に、大村純忠は娘を隆信の子家種の室に送った

海賊に遭難

2019年04月22日 17:59

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/22(月) 14:05:14.07 ID:10EQUDe/
(ルイス・ダルメイダは)パードレ・コスモ・デ・トルレスの滞在する大村へ向かうこととし、
枝の祝日(1570年3月19日(元亀元年二月十三日))の前夜、秋月を出発した。

途中2日間を費やして聖週の月曜に、高瀬において乗船し、木曜日には大村に到着して告白をなし
聖体を受けようと計画していたのだが、我らの主であるキリストには別のお考えがあり、私達が高瀬を
出港した後、甚だ強い風が船首に向かって吹き付けたため、高瀬より3レグワの小弯に入り、
風が静まるのを待って、7レグワ隔たった有馬の王(有馬義貞)の領内の、他の地へ渡ろうと考えていた。

火曜日の夜、強風は静まり我々の進路に向かって順風が吹いたため、甚だ喜んで出帆し、これであれば
聖週の木曜日には大村に到着すると思われた。風も甚だ良く、夜半には有馬の海岸へ着き、岸に沿って
進んでいたその時、海賊の船十艘が我々を襲い、我が船は小さかったため、そのうち二艘のみが我々に迫った。

船には何の防御も無かったため、彼ら海賊が我々が携えてきたもの、すなわち冬の衣服を悉く奪うのを
妨げることは出来なかった。この時陸地はなお雪を以て覆われ、寒気は厳冬の如きであり、私の病は
全く寒気によって発したため、この時十分に衣服を着していたのだが、このため彼らは私を襲い、
一人目は第一の衣を奪い、二人目は第二の衣を、三人目は襦袢を奪い、四人目は私に下着を残すことを
欲さなかった。

私が肉体を露わにした後は誰も私に近づかず、彼らが、我ら一同を裸体にした後は、その他の衣服は
少しもなかった為に、船の道具、すなわち櫂碇、網碇、その他網具、および筵に至るまで悉く奪い、
少しの水も残さなかった。我々の一人が、我らに慈悲を垂れ櫂二本にても残すよう請うたが、
彼らは激しくこれを打ち、「そのような事を言うなら悉く首を斬るぞ」と暴言を発し、船には一物も
残すこと無く去っていった。

我らは陸より、少なくとも1レグワ4分の1の所に捨てられ、どうすることも出来なかった。我々は皆
寒気のため死に瀕し、陸に着くための櫂も無かった。さらに、我らが主は更に多くの功徳を与えるため、
聖週において自ら苦しまれたのと同じように我らを苦しませようとし給い、西風が陸地より吹付け、
我らは全く陸に着く望みを失った。風は非常に強く吹き、浪の高くなるに従い我々は益々陸地より
遠ざかった。

我らは皆寒気のため死にそうであった。主デウスが翌朝太陽を与えられることを期待したが、夜が明け始めると
悉く雲に覆われる日となり、また非常な暴風となり、さらにこの辺りは潮の流れが急であるため甚だ
波も高く、我らの船は波のため益々遠くへ流され、又しばしば転覆しそうに成った。

完全に夜が明けると、船底に海賊も取ることを欲しなかった破れ筵三枚を発見し、くじを引いてこれを
分け、私と一人の水夫が一枚を得、これをもってわずかに肩のみを覆い、他は完全に露出していた。
日本のイルマン一人は他の三人とともに一枚を取って、これを以て頭を覆った。寒気に耐える事を得た
水夫たちは辛抱して、最後の一枚を帆となし、その夜離れ去った約5レグワの陸地に至ろうとした。

有馬の地から2レグワの山湾の中央に至ると忽ち暴風が起き、海は喜望峰におけるが如くに荒れ、波浪が
船を撃つごとに「最期来たり、我らの命は終わるべし」と思われた。

午後に至り、我等の主キリストは寒気のため半死の状態に陥り、体はずぶ濡れの我々を導き二つの島の隙間を
通過せしめた。もしこの二島のうちどちらかに船が着いていれば、我々は悉く死んだであろう。

我々はこの隙間を通り砂地に乗り上げたが、既に多数の漁師が我らを待ち受けており、その家に誘い、
彼らのうち最も裕福な一人は私、並びに同伴者数名を歓待し、その貧しき衣服を諸人へ与え、盛んに
火を炊きまた速やかに米を煮て我らに与えたため、大いに慰めを受けた。しかしながら皆寒気に打たれ、
ほとんど半死の状態であった。

(1570年10月15日(元亀元年九月十六日)付、イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

宣教師が船での移動中海賊に遭難して文字通り身ぐるみはらされたお話。なんとか生き残ったので運のいい話



816 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/23(火) 13:42:05.34 ID:AxCKhtpu
一人目は第一の衣を奪い、二人目は第二の衣を、三人目は襦袢を奪い、四人目は私に下着を残すことを
欲さなかった。

私が肉体を露わにした後は誰も私に近づかず、


アポクリン汗腺!!!

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/23(火) 14:24:03.16 ID:xzggI1Wy
身ぐるみ剥がれる時すら聖書風なのがさすが

故に、もし彼を殺したいのであれば

2019年04月02日 18:09

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/02(火) 14:55:31.65 ID:IjxqhFJQ
イルマン・ダミヤンが私に語った所によると、彼が都に在った時。名をアルバロ Alvaroと言う一人の
キリシタンが、その主君の城より異教徒の兵百人を伴って都に赴いたが、途中アルバロの主君の敵である
一国の領主の家臣である兵に出会い、彼に気が付きこれを殺そうと決心し、また見つかった兵も死を覚悟した。
この時、この兵は一人であったのだが、剣を抜いた時、その首にかけたロザリオが現れた。また十字架と聖像は
背に懸けていた。

アルバロはこれにより、彼がキリシタンであることを知ると、切っ先を下げ尋ねた

「貴殿はキリシタンであるか、また名はなんと言うか。」

「然り。名はシモン Simaoである。」

これを聞いてアルバロは彼を抱きしめ、赦した。
アルバロの異教徒の兵たちは「彼は敵であるのに、どうして命を与えたのか」と問うた所

「彼は私と同じくキリシタンだ。ゼズス・キリストの教えは、いかなるキリシタンも他のキリシタンを
殺すことを禁じている。故に、もし彼を殺したいのであれば、先に私を殺すべし。」
と答えた。

かくの如くしてアルバロはデウスの愛のためシモンを死より救い、彼を十五レグワ先の都に伴い、
多くの他の不孝から安全たらしめた。何故ならばこの地方はシモンの主君の敵である領主に属し、
またシモンはこの地方で良く知られていたからである。

(一五六八年十月二十日(永禄十一年九月二十九日)付、イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

そら主君側からしたら禁教もしたくなりますな


肥前五島の国に在った時見た怪物について

2019年03月31日 21:25

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/31(日) 09:21:36.46 ID:S5t0XkMU
デウスをその技に付き称賛する材料を与えんがために、私がこの冬に、肥前五島の国に在った時見た
怪物について述べたい。

この五島には約6レグワの荒野があり、ここに多くの猟獣が在る。中に犬に似ているが手足短い
一種の動物(山椒魚?)が在る。その皮は光沢が有って絹のように柔らかであり、日本人はこれを最も
珍味とする。その皮は甚だ高価であり、饗宴を催す時は、これを盛んにするため、この皮を以て
煮炊きするのを例とする。

この動物は甚だ老いたる後、海に入り、徐々に大きさは鰹 Atunsほどの魚に変ずる。これを捕らえると、
元陸地の動物であったことが解る。私は陸上の動物が腐敗すること無く、他の動物に変ずることがあると
いうのは虚妄だと思っていたのだが、半ば魚に変じた、未だ動物であるものを捕えたと聞いて、これを
見たいと望んだところ、一匹の半魚半動物が国王の元に持ち来たり、王はこれを私の元に送った。

私がこれを見たところ、陸上の動物であることを否定出来ず、また完全に魚に変じようとしつつあることも
否定出来ず、大いに驚いた。このようなことは自然外の事であるので、その手足を切り、骨を抜き、乾燥して
ヨーロッパへ送り、今日までかつて書物に見たことも無いものであることを示す。

その手は既に鰭に変化しているが、先端には猶爪と毛がある。足は先端が半ば鰭と成っているが、なお指には
関節及び爪を備え、下の方は鰭となりつつあり、しかもその全体を見る時のイメージとは大いに異なっていた。

(一五六六年十月二十日(永禄九年九月八日)付、イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

宣教師が五島で変な生き物を見たというお話。



761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/31(日) 22:33:54.70 ID:+bVGBju1
          \       ヽ           |        /        /
          \      ヽ               /      /
‐、、   殺 伐 と し た 肥 前 五 島 に 山 椒 魚 が ! !   _,,-''

       ,-'"ヽ         ∩___∩
      /   i、  _,、    | ノ      ヽ
      { ノ    "'"  "'"'"/  ●   ● |
      /         |    ( _●_)  ミ
      /          彡、   |∪|   ミ  _/\/\/\/|_
     i    し ま う ま  \  ヽノ  /   \          /
    /              `ー-ー'" }   <  ニャーン! >
    i'    /、                 ,i   /          \
    い _/  `-、.,,     、_       i     ̄|/\/\/\/ ̄
   /' /     _/  \`i   "   /゙   ./
  (,,/     , '  _,,-'" i  ヾi__,,,...--t'"  ,|
       ,/ /     \  ヽ、   i  |
       (、,,/       〉、 、,}    |  .i
                `` `     ! 、、\
                       !、_n_,〉>

    /'''7'''7     /'''7       / ̄ ̄ ̄/    / ̄ ̄ ̄ /
    / /i  |      / /      .. ̄ .フ ./.    / ./二/ /  . . ____
  _ノ / i  i__ . ノ /__,l ̄i   __/  (___   /__,--,  /    /____/
 /__,/  ゝ、__| /___,、__i  /___,.ノゝ_/    /___ノ

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/31(日) 22:44:39.11 ID:xKnrE8Th
なにこのAA

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/01(月) 00:24:20.23 ID:s3ZiAlra
ニホンアシカかな?

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/01(月) 07:16:30.93 ID:6CbXJ3lZ
(ニホンカワ)ウソです

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/01(月) 09:51:25.06 ID:ZC7wtgPd
このシリーズ昔VIPで流行ったよな

766 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/01(月) 11:50:02.25 ID:0IwgBSpL
俺はアザラシ
海のパンサー
俺は泣かない
何があっても
もしも俺が泣くならば
それは別れの時だろう。

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/01(月) 12:59:35.24 ID:Vasc+rhc
標本送るあたりが光栄の大航海時代そのもので好き
現地に残ってれば最高なんだけどなあ

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/01(月) 15:43:29.52 ID:oTun4hzp
ウチの生簀で泳いでいるわ

宣教師も燻される

2018年10月22日 17:29

351 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2018/10/22(月) 08:50:39.48 ID:2QB8bUrM
翌日の早朝、(大友家の)軍隊は2レグワ前進して敵に接近することになったため、私はその地方に
在住するキリシタンを訪問するため引き返すことと成った。彼等キリシタンの多くは私が何度か
この地を通過した際に帰依した者たちであって、かつてパードレを見たことが無かったためである。

軍隊は食事が終わると喇叭(法螺貝)を吹き、部将たちはそれぞれ部下の兵士、および行李(資材を運ぶ
部隊)とともに出発した。兵士は皆よく武装し、列を整えて馬上の部将に随い、宿舎を出るや、この宿舎に
火をかけた。

陣営は約1レグワの長さがあり、約30ヶ所に別れていたが、悉く竹木及び藁を以て造られていたため、
またたくまに恐ろしき大火となり、四方は叫喚と煙のため地獄のような様相であった。
しかし軍隊には労働者多数があり、この日の正午には朝焼いたのと同じ宿舎を備えた陣営が、
次の場所に出来るのである。

私は宿舎を焼かれたため希望より早く出発したが、この日、風は私が進む方向へ吹いたため、
1レグワあまりの間、この煙のため苦しめられた。

そしてこの軍隊は行進中も火を放ち、敵の諸村は終日燃えた。

(1570年10月15日(元亀元年9月16日)付イルマン・ルイス・ダルメイダ書簡)

敵も味方も燃やすし宣教師も煙に燻される大友軍