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日本の隠居政治について

2020年12月24日 16:54

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/24(木) 14:18:03.10 ID:vKv5Wdsd
日本の隠居政治について

宣教師ヴァリニャーノによって書かれた『日本諸事要録』によると

「すべての領主や貴族は、大いなると小なるにかかわらず、その子息が結婚して十八歳か二十歳に達すると
 邸や領地の統治を譲り、自分の為に保留した僅少の財産を持って引退し、助言をすることによって
 子息を補佐する習慣がある。」

と述べられている。隠居制度のない海外への紹介文だが、現代的な隠居のイメージとは違い
当時は当主の年齢より、嫡男の結婚を契機として当主が隠居することが普通だったようだ。
ヴァリニャーノも会っている大友宗麟が、丁度天正4年(1576)に数え19歳の義統に譲っていて
翌年に義統の嫡男の義乗が生まれている(=つまり結婚はそれより前)のでまさにその例だろうか。



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下および豊後教区の諸領主

2019年09月06日 17:43

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/06(金) 14:12:56.16 ID:p5lmBOCz
下(西九州)および豊後教区の諸領主は、自領の港に入るポルトガル船に関連して、常にイエズス会から
収める利益に着眼している。したがって領主たちは、たとえキリスト教徒であっても、常にその脳裏には、
司祭たちが自分の希望する場所にポルトガル船を入港させる事ができるし、その船の積み荷の中の相当量は
彼ら司祭たちの物である、という考えから離れないでいる。それ故領主たちは常に自領の港にポルトガル船を
入港させようとするし、また彼らは貧しいために、贈物や借金を求めるのだが、決してそれを返済しよう
とはしない。

そして司祭たちが彼らの希望することをしなかったり、或いは出来なかったりすると、とたんに冷淡と成り、
動揺し、憤激し、司祭に対して当然払うべき考慮を払わず、自分たちの義務を果たさず、教会にも行かない。
領主が異教徒である場合には直ちに多くの非礼を成し、キリスト教徒を迫害し、棄教させようとする。

日本人はその領主によって強力な支配を受けているので、司祭は下の教区に於いて、或いは豊後教区に
於いてすら、幾度も腹立たしい思いを経験し、常に大きな迫害を受けた。

下の諸領主は、ポルトガルの船舶の税金から得る多額の利益を目的としており、その為同船が自国領に
入港することを希望した。そして各領主は司祭やキリスト教徒たちが居れば、自領の港に最大の利益が
もたらされるであろうと考え、異教徒であっても、自国の港に司祭たちが教会の建設やキリスト教を
布教する事を承認したのだ。

(ヴァリヤーノ『日本巡察記』)

イエズス会から見た九州の領主たちへの印象。



日本人に対し無礼であり、気が利かぬ

2018年12月10日 18:43

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/10(月) 17:58:09.86 ID:Ea7f08oE
日本人に対し無礼であり、気が利かぬ


ドン・プロタジオ(有馬晴信)やドン・バルトロメウ(大村純忠)は私に多くのことを語り
教会側の態度の誤りを指摘し、バテレンたちは日本人に対し無礼であり、気が利かぬ
あまたのことがあると語り、神社仏閣の破壊はバテレンたちが教義に反するというので
不本意に行ったことに過ぎないという。

彼らは
「我が国に住んでいるバテレンたちが、日本人の美しい習慣や高尚な態度を学ぼうと
 あまり努力せぬことは全く無智なことと思われる」
と語り、とるべき手段を示した。
私(ヴァリニャーノ)は、日本人の大いなる天禀の才に驚嘆して、これを認めた。


――『日本巡察記』


この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものが

2014年04月25日 18:45

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:30:05.08 ID:Ne/HH6LT
この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものがほとんどない。
必要となると謀反を起こし、敵と組み、また自分自身が領主となる。
それから、よりをもどして味方になったかと思うと、また裏切る。

しかし、それで自分の名誉を損なうということはないのである。

『日本諸事要録』より。
ヴァリニャーノ司祭の、すごーく率直な、侍への評価。




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:25:45.53 ID:WNB1MB+g
従属国衆を家来とおもっちゃってるんじゃないか

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:39:05.78 ID:64o6U2CJ
戦国時代ですし
とはいえそういう武士ばかりではないと思うけど

それに、助けるはずの東ローマで略奪、暴行、ついでに滅亡させちゃったりする
宗教的情熱あふれる西洋の騎士もなかなかのもんだぜ?! 耶蘇教の神父さんw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:53:21.53 ID:zogf4qTm
弟が王位簒奪したから助けてくれ、と懇願してきた亡命皇子を
帝位につけてやったのに、約束の金を払わなかった方が悪い、
と言ってみる

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 14:05:57.82 ID:hSnNRti9
かといって同じカトリックの都市をヒャッハー!したら破

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:29:34.24 ID:TsjUD0jW
カトリックじゃなくて正教の都市ですから

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:31:59.17 ID:X+tYX9QW
たぶんコンスタンティノープルに行く前にハンガリー(カトリック)の都市をヴェネツィアの要請で
攻撃して教皇に一時的に破門された事を言っているのだろう
とスレ違いだが言ってみる

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 23:30:42.79 ID:OD4bQaKz
アルビジョア十字軍とか

オルガンティーノは困った事態に陥っていた

2013年10月11日 19:38

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/11(金) 00:16:56.14 ID:WICHRbS2
 1591年、京にいる宣教師オルガンティーノは困った事態に陥っていた。彼は巡察師
ヴァリニャーノの一行が豊臣秀吉に謁見できるよう手続きをしていたのだが、秀吉は
巡察師の上洛を望んでいないだけでなく、不快の意向を漏らしていた。
 ある日、キリシタン大名の黒田官兵衛孝高が宣教師たちのために発言すると、秀吉は
「お前は性懲りもなくバテレンどものことを話すのか。お前がキリシタンであり、バテレンらに
愛情を抱いておったために、お前に与えようと最初に考えていたよりも低い身分にしたことを
お前は心得ておらぬのか」と言って黒田官兵衛の口を封じたので、黒田官兵衛はそれ以上、
発言することが出来なかった。
 それにも関らず、黒田官兵衛は宣教師たちの窮状を何とかしてやりたいと思い、同僚の大名
である 増田長盛に取りなしを頼んだ。長盛はその頼みを引き受けて、ただちに秀吉に進言した。
そのおかげで秀吉はインド副王の使節として巡察師ヴァリニャーノの一行の謁見を認めた。
(ルイス・フロイス書簡)





297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/11(金) 08:31:15.47 ID:RIj+WRDm
>>295
官兵衛さんについて、まだまだ一次資料からも出てくるってことか。

低い身分てどういうことだろ?
従五位下が他の武将と比べて低いとも思えないし
中津六郡のことかな?

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/11(金) 09:53:07.58 ID:0rnvDN+C
大河がきまってからぼつぼつ新史料出てきてるから楽しみではある
なお大河自体はまったく期待して無いもよう

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/11(金) 09:58:39.56 ID:LsGm1yaq
クロカン最大の手柄って北条を説得して開城させた事
見せ場は関が原で浪人集めて大友攻め
道糞の説得に失敗して幽閉されたのは愛嬌