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一休ニ休三休さん

2019年03月27日 18:37

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/26(火) 21:08:59.63 ID:e6GTpZue
他板ネタですが続きを希望

645 名無しんぼ@お腹いっぱい (スッップ Sdea-k4dH) 2019/03/26(火) 20:03:40.58 ID:vVeS3svOd

一休宗純 一休さん

山崎二休 越前出身の琉球の医師

一尾三休 公家出身で子孫は旗本

探せば他にも見つかるだろな



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世の中は くうてはこして寝て起きて

2019年03月21日 18:01

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/21(木) 15:53:53.99 ID:k5IvEHvc
一休和尚の歌として、『世の中は くうてはこして寝て起きて さてさて其の後は死ぬるばかりぞ』
というものが一休物語に見える。「はこする」とはクソをひる事であり、「はこ」は糞筥の事である。
またこれを「まる」とも言う。丸く細長い故である(おまるの語源)。

いかにも、人の一生は食うてはこして寝て起きるより他の事はない。しかしこの事たやすくなり難い
故に、君に仕える人もあり、士農工商、各々がその家業を勤めるのは、食いてはこして寝て起きて、
畳の上で死ぬべきが為である。であるのに、君にも仕えず家業をも勤めず、手足を動かさず人の宝を
目当てにして、好色大酒博奕して一生をおくらんとする者は、道路に倒れ死するか、獄屋の前にて
死するかであろう。

(安斉随筆)



805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/21(木) 18:11:41.39 ID:biJr3OHv
>>804
一休さん「くだらなすぎて笑う」

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/21(木) 19:31:16.55 ID:l1o1mw+o
シコって寝て起きてでは無いんだな

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/21(木) 19:37:59.72 ID:tRxEhkyD
ロリコン和尚が

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/21(木) 20:26:43.05 ID:wT3KvidZ
>>804
なーんか勝手な解釈が論語や孫氏をビジネス書()にしたものと同じ臭いがする

幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだ

2018年10月17日 17:22

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/17(水) 02:22:43.06 ID:+jmlmL63
幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだ


池田光政様が母君の福照院様のところへお越しになったとき
福照院様が何でもいいから御物語をするようにと仰せられた。
吾(作者、このとき十五、六歳)は、童の時に人から語り聞かされた
後も先もない物語を慰みとして一つ二つ申し上げますと言って話した。

一休和尚が道を歩いていると、道の傍の木の梢に童が一休に小便をかけて
ひどく笑った。一休は腰から銭を取り出してその童にやり
「よくもかようの仕打ちをしたな」
と言って去っていった。その童はよいことをしたのだと思って、人が通ったときに
また同じことをして銭を貰おうと待った。そこに士が通ったので、さっきのように
小便をかけて笑ったところ、怒った士にぶたれてしまった。

一休が利口なので人を使って意趣返しをしたのです、と申し上げると光政様は
「この物語の趣旨はそうではないだろう。一休に誠の志があるなら最初に
 小便をかけられたときに強く叱って、私は出家しているからぶたないが
 他人にかようの仕打ちをしたら命を失うぞ、と教えてやればいいのにどうして
 銭をやり人に仕返しをさせるのか。よこしまな心があったからではないのか。
 かような話が若輩の者の心にかなうはずがない。幼児に聞かせる物語でも
 心得があるべきだ」
と仰せられた。愚耳に留まったので記す。


――『烈公間話』



319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/17(水) 14:32:15.93 ID:pOFKU+KZ
一休ならありえる話と思えてしまう

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/17(水) 15:53:08.01 ID:EuvSQKPV
>>318
一休はとんでもない食わせもんだしなぁw

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/17(水) 16:06:42.37 ID:mXcoWGCT
一休の捻くれ具合を知らんかったんだろうなぁ…

一休さんと次休さん

2016年09月24日 09:06

103 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/24(土) 06:59:51.42 ID:O5X/52cq
一休さんと次休さん

大永四年(1524年)、大内義興が嫡男義隆らと共に2万の兵を持って尼子経久に属する安芸の諸勢力を攻めた時の事。
安芸の守護武田光和が篭る銀山城を陶道麒(興房)と包囲した義隆であったが、堅固な銀山城の前に城攻めが長引いていた。
そんなある日、義隆は諸軍に備えを解かぬ様固く申し付けると、道麒を誘い根の次休蔵主の旧跡を見に土地の古老を道案内として出掛けた。

山を越え、谷を深く下り、道も細く丸木の橋も朽ち掛けた道を行き、漸く次休蔵主庵の跡へ着くと、
百年余りの歳月を経た為今や庵室は跡も無く成り果て、境界さえ見分けがたく、深い苔に礎も埋もれ、池の水は枯れ果て(以下長いので略)… と言った有様であった。
義隆は眼に映るものごとに心を動かされ、蔵主の昔のことを聞きたく思い、道案内の老人に話を乞うた。

古老曰く、申し伝えによれば百年余り前三蔵主とは。山城紫野の純蔵主(一休)、伊勢の養源寺の虎蔵主、それに安芸の次休蔵主のこととか、いずれも世に聞こえた禅僧であった。
その一人の一休禅師はある日「安芸の次休は深山の中に入り、跡をくらまし、名を隠そうとしておる。かの所に赴き、その邪か正かを見分けよう」と、次休に会いに紫野を旅立った。
次休蔵主は現在過去未来三世通達の僧ゆえ、一休の訪問を予め感知し、侍者に向かい
一休宗純が私を試みようとたった今、龍宝山を、出発したよ」
とおっしゃり、そののち
「今日こそ到着の日、美味い魚を取ってもてなしてやろう」
と遥か遠い川辺に出て、釣り糸を垂れていた。一休はもとよりこれを知らぬが、川辺まで来て釣り糸を垂れる次休に
「これ、おじいさん。次休蔵主の庵室を知っておいでか?」
と問うと、次休は
「あなたは純蔵主でしょう」
と答え、一休は愕然として
「あなたは神通方便でも得ておるのか?なぜ拙僧の名を知っておられるのか?」
と尋ねた。次休はこれに
「貴方は私を試みる為にここまで来たのでしょう、私が次休です。」
と、名乗り手をたずさえ庵室に入り歓談が始まった。

104 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/24(土) 07:00:01.39 ID:O5X/52cq
次休は自ら釣ったすずきの膾やじゅん菜の吸い物を進め
「あなたの旅の疲れを慰める為、わたしの神通方便をお見せしましょう」
と、皿の中の銀糸に作った膾をとって、むしゃむしゃと噛み
「この魚を再び元の魚に返してみせましょう」
と皿の上に吐き出した。」
すると、すずきはたちまち生き返って跳ね上がり、龍門三級の波を起こす程の勢いであった。
一休はこれを見て
「あなたは魚を再び生きた魚とされた(中略)拙僧はまたこの魚を仏にしてお目にかけましょう。」
と言うと、裳裾を高々と掲げて、
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
と敷物の上に糞を垂れ
「万法は一に帰す。食は尽く糞に帰す。されば糞中の虫である三世の諸仏は、この中に隠れておりますぞ。
昔の少康師は、一度南無と唱えれば、一体の仏、口より湧き出でさせ、続けて十声唱えれば、十体の仏を出したとか。
彼は口中より仏を出だす。拙僧は肛門から仏を出だす。少康師よりなお勝っていることよ」
と、手を打って大笑いした。

次休、これを見て「風顛漢め、人々をたぶらかすまいぞ」とおっしゃって、また一杯の水を口に含んで吐き出されると、炎となって空中にほとばしった。
一休は「あなたは孫博が草木をしてみな火光に変じた術を会得しておられるのか。(中略)拙僧もまた活手段を行じましょう」
と、鉢の水を飲んで、仏殿の内に向かい小便をし、「あなたは水を転じて火をなされた。拙僧はまた、山は是れ山、水は是れ水じゃによって、元の水に返したのじゃ」
とおっしゃった。
次休は「あなたは私を試みるがため、こうしてわざわざやって来られ、私はまたあなたの知恵を計るため、このような方便をお見せしました。
あなたはいまだ神通力を得ておらぬものの、自由自在の手段を用いられた。おかげさまで今日初めて高僧と言うものにお会いできたわけです。
我が禅宗、この国に伝わって年久しいが、今あなたが現れて、さだめし大いに世に興隆することでしょう」
と褒め称え給うたと申します。一休もまた「わたしもまた、生身の文殊支利菩薩にお会いできました」と、三度拝礼して、やがて暇乞いし、帰京した。(長いので以下略)


(陰徳太平記)



105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/24(土) 07:57:01.24 ID:XO9yYF3G
ダイナミックすぎる

107 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/24(土) 09:18:00.61 ID:IZtf/wAU
とりあえずこの後は京に帰った一休さんが、次休がナンバーワンだと周りに語ったり次休が超能力で遠くの寺の火事を消したりする話を古老がして大内義隆から褒美貰って
大内義隆が、安芸を征服した暁には此処にまた大きな伽藍を建ててやると語って、大内義隆の安芸征服は是からだ、義隆先生の次回作にご期待くださいエンド

>>105
奇人と名高い一休さんも後世に脱糞ニキにされるとは思うまい

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/24(土) 15:49:26.64 ID:VxWqyVUz
>>103-104
一休さんの奇人エピソード多すぎぃ!
時代がちょっとずれそうだけど劇中劇?だからいいか。

住吉と 人はいへども

2016年07月01日 13:53

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/01(金) 03:19:54.48 ID:VYgtXtuS
一休が住吉の松斎庵に居住していたとき、

住吉と 人はいへども すみにくし 銭さへあれば どこも住よし

(醒睡笑)




899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/01(金) 14:29:39.49 ID:Nw4xz5Oy
へー戦国の人だったんだー

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/01(金) 14:48:30.94 ID:5lmJmodw
       , -‐' ´ ̄ ̄ ̄``丶、
     /              \
    / /ヽ、   _, -─ ヽ    ヽ
    l l r'ニコ  ̄ {二ニヽ \    l
    ヽ 、__   、 _ ,   l    |
      ヽ. {しiヽ   {し'j`  /    !
     rl   r‐'        !/´ヽ. /
     l_l   ヽ        jツ }'
        ヽ   ヽニニア!    、__ノ
        \  ヽ--'    j jヽ
        `7 、__   //  l‐- 、
      ,  -‐''l !l、   //   l!   `ー- 、
     /     ! ヽ >'´ /    / !      \
   /     l   ヽ/     /          ヽ

       滝川 一休 [たきかわ いちやす]
          (1543-1610)

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/07(木) 11:14:04.49 ID:Oj+reHmk
>>899
Yes
一休禅師は長生きした人物なので、
晩年には応仁の乱を経験し、戦国時代に突入していました
戦国時代の中で生涯を閉じたのよ

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/07(木) 11:47:47.60 ID:18ifkYPF
いい歳して若い愛人を囲うとかやり手やもんな一休さんは

一休和尚は御臨終の時、並びに本阿弥行状記の筆者は誰であるのか

2016年03月11日 13:46

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/10(木) 21:30:55.87 ID:l/ankN4B
一休和尚は御臨終の時、「しにとうない」と弟子に仰られたことは
とても珍しいことで、一休でなかったらこのような事は仰ることができないだろう。
それゆえ今の代までも尊ばれているのだ。
この意味は筆紙の及ぶところではない。
(本阿弥行状記)

>>371-374 >>376
本阿弥行状記の筆者は誰であるのかというのと、成立年代について少し述べたいと思います。
本阿弥行状記というのは、大きく分けて上巻と中・下巻の二つに分類できます。

上巻は一~六十四段で構成されていて、

一~十四段:光悦と妙秀の逸話
十五~五十段:松平信綱が上京した時に、信綱と板倉重宗に光悦が意見した内容を書き上げたもの
五十一~六十四段:鷹峯と本阿弥家の逸話

に分けられます。五十段では「家父光悦」と書かれているので光悦の子の光瑳が五十段目まで担当し、
五十五段では「親光瑳」との記述があるので、五十一段からは光悦の孫で光瑳の子の光甫が担当したと読み取れます。
そして、光甫が上巻を編纂した考えられます。

中・下巻は上巻の附録として六十五段~三百八十段あり、光悦と光甫の二人が書き残した反故紙から取り出した逸話と
編集者の聞いた話を混雑校合せずに列挙したものだとの説明があります。
では編集者は誰なのかというと、三百三段に「堀田公老中、酒井雅樂公御大老の砌」に「祖父の被申は」とあるので、
酒井忠清が大老で堀田正俊が老中であった延宝七、八年の時には当主光甫であったので、
彼の孫で本阿弥家当主を務めた光春だと推測できます。

いつ頃中・下巻が成立したのかというと、
一番新しい逸話としては二百四十九段と三百四段に吉宗の諡号の「有徳院」の名がみえるものが挙げられますので、
宝暦元年閏六月二十九日に吉宗に諡号が授けられた後ということになります。
つまり、今までちょっといい話・悪い話に投下した本阿弥行状記出典のもので本阿弥家と光悦の意見に該当しない、
戦国武将の逸話等の作者は戦国期の光悦でも江戸前期の光甫でもなく、吉宗の時代の光春の可能性がある、
いや、かなり高いと思われます。

それは、光甫の編纂したので江戸前期のものと思われる上巻も所々おかしな記述が見受けられるからです。
石川五右衛門の名が堂々と出てきたり、寛永二年を秀忠の代としていたり(秀忠は生きているが家光に譲っている)します。
また、家綱の諡号「厳有院」の名がでてくるので延宝八年以降に光甫は編纂したことになるのですが
光甫はその二年後の天和二年に八十二歳で亡くなるので行状記は八十歳でまとめたという計算になります。
加えて、もう延宝七年には鷹峯を返上してるのにまだ住んでいるという記述があったりして事実と矛盾があります。

そして本阿弥行状記の大きな問題点として、原本が現存していないということがあげられます。
今残っている写本は数種類ありますがそのどれもが同一系類で、奥付の由来が途中まで一緒なのです。
そしてその写本の最初は宝暦元年初冬に佐々木高豊という人によるものなのですが、その写本も失われており、
現存の写本は天保以降に写した写本の写本の...となっています。

先の上巻の誤りは写していく過程で生じたものかもしれないとの指摘があると思いますが、
刊本されない家伝書だからといって、宝暦頃まで写本が一つもない、現在も一つの系統しかない、というのはおかしな話です。
いちおう大田南畝が『仮名世説』の中で本阿弥行状記の妙秀の話を書いています。
『仮名世説』が刊行された文政八年には存在したことになりますが、
それ以外に江戸期にこの行状記の内容に言及したものは寡聞にして知りません。
上巻の光悦の意見の箇条書きは、家康も見たと行状記の中に書かれていますが、
そんな記録はどこにもありません。

なので、この本阿弥行状記は大体吉宗の頃に当時の本阿弥家が一から書き上げた書で、光悦でも光甫も書いてない
と言われても反論の仕様が無いのですね。
実際のところは、光悦や妙秀の元となった逸話自体はあってそれを膨らませていったのだと思いますが、
とりあえず、本阿弥行状記の作者を光悦や光甫と考えるのは少し危険かもしれませんね。



『初祖達磨大師』と書くべきを

2016年02月16日 17:44

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 02:49:19.54 ID:EKCT9y2h
 洛陽の某の元に一休の筆がある。
『初祖達磨大師』と書くべきを、『初祖磨大師』と書かれ、そのまま"師"の字の下に"達"の一字を書いて、そのはねを引き上げて"磨"の字の頭に点して置いてあると聞く。
 慣例通りのものである。この活人の底の働きは、言語の及ぶところにない。
(本阿弥行状記)

私もよくやります



340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 09:07:15.52 ID:E7gWz3Jd
>>337
消して書き直すのめんどくさいもんな
公式文書じゃなければ俺もやるわ

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 09:51:24.49 ID:NcNAty0/
昔、いしいひさいちの漫画で日蓮直筆の「南無妙法蓮月経」の書を手に入れた道具屋の主人が
書いた本人に法外な値段で買わせることができると大喜びする、というやつを思い出したよ。

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 10:07:13.85 ID:xcfy70n8
>>337
今なら国会で野党の追及を受けそうだな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 10:19:40.76 ID:2mNhTnlm
>>341
志賀直哉の清兵衛と瓢箪を思い出した

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/16(火) 15:59:50.29 ID:il9ecMq6
>>337
昔は矢印の代わりにはねを引き上げてたんだね
実に興味深い

一休と美少年

2013年01月06日 19:54

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 17:45:37.34 ID:JQ7zQg3R
世に生き仏と言われた一休和尚も岩木ならぬ身の悲しさには女色男色を
見て心を動かすこともあったのである。かつて一休が駿河に行脚した時、
府中に小玉弁之助という田舎には似つかわしくない実に艶やかな美少年
がおった。

一休は彼を一目見て大変堪え難く思い、しきりに弁之助を口説くも
拒否されるばかりであった。そこに一休が一首の狂歌を送った。

「花は根に鳥は古巣にかへれども人は若さにかへることなし」

弁之助はこの狂歌に心動かされて返事を送り、その夜に一休を訪ねてきた。

「あなたの御望みに従います」

「これはよく来たな。しかし今朝までは左様に思っておったが、
今はもうその念も去って用なきことだ。早く帰りなさい」

一休はそう言って弁之助を帰したそうだ。
いつもながらその心の動く時にこれを動かし、動かない時には堅くこれを
動かさないことは、実に行く水の如く、誠に敬服のことである。

――『一休禅師 頓智奇談』




44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 19:40:18.94 ID:sFzTHeAL
アニメ化不可能な一休さんだな

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 19:57:03.18 ID:jHAy2Bxv
(男色が)好き好き好き好き好き好き♪(美少年を)愛してる♪
まあ坊さんなら美少年好きは当たり前と甲斐の虎が

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 20:51:55.10 ID:wRA34UrV
最期も、孫くらいの年齢の女性を侍らせて死にとうないだもんなあ

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 20:54:52.04 ID:z4RRmrRx
死にともな、ああ死にともな、死にともな

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 20:59:22.62 ID:8JYGJM2b
>>45
アッー! アッー! なむさんだアッー!♪

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 21:20:04.74 ID:Pf6zJm12
門松はメイドの足袋の一里塚 愛でたくもあり愛でたくもなし

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/06(日) 21:32:55.22 ID:3SAwhwqW
>>49
一休が天才に思えてきた