一条禅閤兼良公は博学多才の御方である

2016年01月05日 17:43

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/05(火) 04:57:05.46 ID:TholDEX4
 一条禅閤兼良公は博学多才の御方である。

彼を招いた歌の会等で、天満宮の尊影を崇め掛け置いていましたら甚だご立腹なされ、尊影を取り除かなかったらその席に着かれませんでした。
この事を知っている人は、彼がお加わりになる席には、決して天満宮の尊影かけなかったという。

この理由は彼が常々仰せられるには、
『菅家は唐朝までの書を知りなさっている。私は末代に生まれたので、明朝までの書を知っている。であるので菅家の次席には立たない。』とのことであった。

倭漢のことに博識であるが故に、慢心してしまいこのようになられたのだろう。

彼は乱世になると都に住むこともできず、美濃君の畑と申す所に御隠居なされたという。
(本阿弥行状記)

一応、落ち着いてからは京に戻れたのですがね



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足がるといふ者長く停止せらるべき事

2015年02月18日 18:41

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/18(水) 00:43:58.70 ID:7BONnx8n
足がるといふ者長く停止せらるべき事

 昔から天下が乱れることはありましたが、足軽ということは旧記などにも記されていない名前であります。
平家のかぶろという事が珍しい例としてありましたが、このたび初めて出て来た足軽は度の越した悪党であります。
それは洛中洛外の諸社・諸寺・五山十刹・公家・門跡の滅亡は彼らの所行のせいであるからです。
敵が立て籠もっている所には役に立たないが、そうでない所々を打ち破ったり、火をかけて財宝を探す事は、昼強盗と言うにつきます。
このような例は先代未聞の事です。しかしながらこれは武芸が廃れたから出て来たのです。
名のある侍が戦うべきところを、武具を抜いて彼らに着せたから起きた事です。
そうであるので、随分の人が足軽の一矢で命を落として、当座の恥辱だけでなく、末代までの瑕疵を残したと聞いております。
いずれにせよ主のいない者はあってはなりません。
今後もこのようなことがあれば、主方それぞれとかけあって糾明してください。
また、土民商人であれば、在地に仰せ付けられて罪科のある禁制を置かれてたら、足軽の数が千に一となりいなくなるでしょう。
まさに下剋上の世である。外国への聞こえにも悪く恥ずかしいことである。

(樵談治要)

モヒカンに対処しきれないお公家さんの将軍に対する頼み事です



428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/18(水) 01:50:45.44 ID:EqMmNWpK
>>427
そういえばこの樵談治要って、一条兼良が9代将軍足利義尚のための教育用テキストとして書かれたのだけど、
後に豊臣秀頼の帝王教育のためのテキストとしても使われているんだよなあ。