一色義定謀殺顛末

2015年01月15日 18:50

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/14(水) 19:32:15.91 ID:I5LgzJhZ
一色義定殿を討ち果たした宮津城の御座敷は八畳敷であった。その間に、一色殿、家老の日置主殿介、
細川忠興様の三人がおられた。
一色殿と忠興様は向い合って座って居られた。主殿介は忠興様の右脇にあった。
忠興様の御腰の物は、左の勝手口より中島甚充持ち出したが、柄の位置を悪く置いたため、
少々取りにくい形になっており、これに米田宗堅気が付き御肴を持ってきた折、うっかり御腰の物に
触った体をして、それを刀を抜きやすいように置き直した。

そうして、忠興様は刀を抜かれた。一色殿も脇差しを抜いて抵抗しようとしたが忠興様の刀が早く、
これを切付けた。そして日置主殿に向いかかったが、主殿は逃げていった。
一色殿は供の侍二人が引き立て、屋敷の外まで退いたが、そこでドウと音を立てて倒れ、
その時相果てられた。

忠興様は日置主殿を追ったが、主殿は逃げ延びた。この時主殿の弟二人が、忠興様に斬りかかった。
そして斬り合いをしている所に、忠興様がお側に召し置いていた坊主が薙刀を取って庭に飛び降りるように
言い、そのまま二人で厩に入り、その柱を盾にしてせり合いをしていた所、その内に広間に居た
家臣たちが追いつき主殿の弟達を仕留めた。

この時、一色殿の侍は36人、この方の仕手は17人であった。
「相手二人に仕手一人宛にしても、まだ二人余っていた」
後に忠興様は常々このように話された。

一色殿の居城である弓木城へは、御舎弟の玄蕃殿、松井殿、有吉殿、米田殿、その他馬廻衆が城攻めを
仰せ付けられた。すると城中より申し入れがあった。
『城中の者達を皆討ち果たすおつもりであるのなら、御内儀様(忠興姉)に死んでいただき、その後皆で
切腹いたします。
もし命をお助けいただけるのなら、御内儀様は無事そちらにお渡しいたします。』
これによって何れも命を助けることに決まり、城を受け取った。

細川家の米田助右衛門殿は、宮津城でのこの謀殺計画を心もとなく思い、鈴峠を西から登っていた。
この時一色家の真下梶助は、宮津城から脱出し、弓木城に合流しようと、東から鈴峠を登った。
そしてこの両人は峠の上で鉢合わせ戦いとなり、真下が相果てた。
この時の真下の最後の有り様を、先年、忠興様が会津表にお下りになった時、米田助右衛門が忠興様に
お話になったのを、私(著者)も承った。
細川忠興軍功記)

細川忠興による、一色義定謀殺についての記録である。



256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/14(水) 20:53:06.61 ID:WKUSAWvL
三歳様、36人・・・ゴクリ

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/15(木) 01:13:29.81 ID:RyIdZmyZ
なお、後日御内儀に斬り付けられた模様

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