中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~

2017年02月11日 17:06

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/10(金) 16:06:11.92 ID:DUhfrXD6
中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~


『宝塚の民話』より
慶長7(1602)年の秋は大変な不作でした。
旗本の渡辺氏が治めていた中筋村も納める年貢に困っていました。
代官からは毎日のように
「あわ、ひえでも良いから納めなさい」と矢のような催促が来ます。
「あわやひえまでも納めたら我々は一体何を食べたらいいんだ。
 全員が餓死してしまうではないか」
村人たちは代官所へ行き、何とか一年待ってもらいたいと願い出ましたが
聞き入れられません。

困り果てていたその時たまたま村人のひとりが
米俵を積んだ舟が淀川筋を登っていくのを見かけました。
聞くところによるとその米は、姫路藩主・池田輝政の幼い息女が亡くなり
その百か日の法事の御供養米として、京都の法華宗・本禅寺へ
お届けする品だということでした。
そのことを知ると村民の代表達が本禅寺へ馳せ参じ事の次第を話し
「村民をお救い下さい」と嘆願しました。

話を聴いた寺の日邵上人は
「お困りなのはよく分かったが、法華宗の宗義として他宗のものには
 米一粒、銭を一銭たりとも援助することはできないのです。
 たとえ何人かの法華宗のものがいたとしても、村全体のために
 米を分けてやる訳にはいきません」
との返答です。

その返事を聞いて急いで村へ戻ると、村人すべてを集めて訳を話しました。
「食べるものがなくなり、子どもたちまで死なせるくらいなら」
と今度は村民全員で本禅寺へ行き
「村に住む者は皆、法華宗に帰依します。
 これは子々孫々まで変わることはありません。
 このたびの願い、どうぞかなえてください」
と申しあげ、お願いしました。

そして気持ちの変わらない証(あかし)として
一 中筋村に暮らすものは全員、法華宗を守り、子々孫々まで法灯をかかげます。
一 他の宗派から宗旨がえを求められても応じません。
一 前の宗派へ隠れて詣でることもしません。
という証文をお寺に差し出しました。

ようやくのことお米を融通してもらい年貢を納めることができた中筋村は
全員あげて法華宗の陣門流に帰依しました。
それからしばらくして京都に詣でるには道のりが遠いことから
古くからあった村の寺を建て直しました。

その寺の名は、亡くなった池田輝政の息女の法名
"縁了院殿妙幻叔霊"の妙幻に因み"妙玄寺"としました。
その上村の角には"南無妙法蓮華経 法界"と刻まれた法界石を建て
村の宗派が法華宗であることを明らかにしたということです。


以上の話は宝塚市の妙玄寺に実際に伝わる話だが、ここで出て来る輝政の娘は
どうも督姫の連れ子で池田利隆と婚約していた万姫のことらしい。
近年になって鳥取市の正栄山妙要寺に肖像画が発見されたとか。



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