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城中には家を1宇も残さぬように

2019年01月20日 19:08

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 18:39:36.49 ID:G7bkcu8p
(中国大返しの頃)

秀吉は三好武蔵守殿(吉房)と小出播磨守殿(秀政)両人を召し寄され、いかにも密かに仰せ聞
かせられたが、その様子はまったく知られず、この2人を御城(姫路城)に残し置かれた。

御合戦が目出度く収まって後、この両人の雑談でその時の有様は定かに知られ、それまでは人々
が推量したまでであったと聞いている。その次第は、

「合戦が負けとなって(秀吉が)討死となったならば、御袋様(大政所)と御前所(高台院)を
しずしずと片付けて(御袋様御前所しつしつとかたつけ申)、城中には家を1宇も残さぬように
焼き払えとの御指示であったが、このように目出度く収まった」

と、両人は後に喜んで雑談されたのだと相聞こえ申し候事。

――『川角太閤記』



639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 19:12:12.77 ID:hNL8ounx
よくわからんな

山崎の合戦の時堀は留守居じゃないし秀吉の家族は長浜だよな

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 20:09:30.77 ID:2x4KpY7B
堀秀政ではなくて小出秀政でしょ
伝聞だろうから何処かで入れ替わっているかもしれんし、敗戦後の長浜の処理を頼んだ二人を合戦で死なせない為に残したってことかもしれん

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 20:44:18.75 ID:hNL8ounx
すまん普通に空目して変なこと言った

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/17(木) 05:40:01.15 ID:jhMglM8j
堀秀政
小出秀政
小笠原秀政
津田秀政
中川秀政

秀政多過ぎ

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/17(木) 06:46:05.86 ID:8kiO8YrY
長政
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木下藤吉郎、堂洞城攻めの功

2018年04月26日 18:51

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 19:54:47.09 ID:isUtGnGf
織田信長が美濃国ドウノ洞(堂洞城か)に出陣する時、当時まだ乗馬を持っていなかった
木下藤吉郎に対し
「汝の一門の内にて馬を借りて乗ってくるように」
そう仰せになると、藤吉郎は「畏まり候」と、海東郡のオトノコウという場所に、彌助という
綱差しが居り、これは藤吉郎の姉婿であったのだが、彼の所持する栗毛の草役馬(農耕馬)を
借り受けた。

しかしこの馬には、鞍はあるが鐙がなく、しかしながら腐った金鐙が片方だけあり、
もう一方には細引きを付けて鐙の代わりとした、

そして馬は準備できても、藤吉郎には供に連れて行く者も居なかったのだが、この時
彌助は、これから合戦に行くことを知りながら「私が付いていこう」と、藤吉郎の供をした。

藤吉郎は堂洞にて坪内十郎右衛門という者を討ち取った、堂洞城の城主である坪内某は、
本丸に追い詰められると詫び言をして開城し、助命を受けた。そして信長に対し、岐阜に
退去する間の安全のため人質を乞うた。

信長はこの坪内への人質として、木下藤吉郎を遣わした。その出発前、信長は藤吉郎に言った
「道中にて坪内を、汝もろとも打ち殺す事もある。お前の命を私にくれ。」
これに藤吉郎は
「何れの道にても、御用にて命を召されること、いと易き御事であります。」
そうしっかりとお請けした。

信長は坪内を藤吉郎もろとも殺そうと思っていたのだが、藤吉郎が潔く命を差し出すことを
不憫に思い、そのまま指し行かせた。その後、藤吉郎が各務原より無事に帰国すると、
美濃国の織田領の内より七千石の知行が与えられた。

藤吉郎は俄大名と成ったが、これを切り盛りする人材が居ないことに困り、七郎左衛門といって
清須で連雀商人(行商人)をしている者があり、彼は藤吉郎の伯母婿であった。
藤吉郎が小竹といった幼少の頃は、この七郎左衛門を主人のように尊重していたのだが、
今や七千石の主となった藤吉郎は七郎左衛門を呼び寄せ、七百石を取らせ
「末々いかほどの大名に成ってもその十分の一を取らせる」と約束し、木下家中のおとな(家老)と
した。後の杉原伯耆守(家次)はこの七郎左衛門の事である。

馬を貸した姉婿の彌助には五百石を取らせた。後の三位法印(三好吉房:豊臣秀次実父)と申すのが
この彌助である。

(祖父物語)



807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 20:08:25.07 ID:h0+s79/n
>>806
秀吉が敵を討ち取った事があるんだね!
小男で非力なイメージだったから意外だった

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 21:00:27.02 ID:E63W07aK
>>806
>豊臣秀次実父
(´・_・`)

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 18:08:20.54 ID:7yEMWFBt
杉原伯耆も秀吉が天下取った直後に発狂して亡くなるんだよなあ…

810 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/04/26(木) 18:33:18.40 ID:0K6Usc3/
約束反故にされたもんな

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 19:53:27.83 ID:fAuyfDAC
秀吉がいなかったら埋もれていただろう秀長とか浅野長政なんてのがいると思うと
実際に埋もれてしまった人材ってのはたくさんいるんだろうな

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 20:36:51.10 ID:KtbdE/GA
爆弾正だって弟が長慶の目に留まらなければ埋もれていた人材だし

羽柴秀次公の父、武蔵守(三好吉房)殿は

2011年12月16日 22:01

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/15(木) 22:44:00.33 ID:k1M5pya0
関羽といえば、元和年間に刊行されたと言われる笑話集
「戯言養気集」にこんなのが

羽柴秀次公の父、武蔵守(三好吉房)殿は、髭に一段と自信があった。
十人ほどが髭を見にきて「なんと見事なお髭でしょう。日本ではとうてい見つかりません。
きっと唐物でございましょう」といったところ、大変ご満悦であった。
皆が帰った後、武蔵守はその中で特に仲のよいものを呼び戻し、
「この髭は実は日本のものなのだ、ただし他言無用だぞ」
とねんごろに語ったそうである。




377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/15(木) 22:50:10.18 ID:LYjS0cQR
>>376
これは江戸初期の、安楽庵策伝師匠の醒睡笑にも載ってるな。
どうもどう時代から、よほど有名な笑い話だったらしいw

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/15(木) 22:54:32.97 ID:k1M5pya0
ついでにこれが載ってた本によると
「醒睡笑」では三好吉房に遠慮してか「大名」とだけのってて
「軽口福おかし」では宗祇の逸話になってるとか

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 00:25:05.34 ID:VHtBRGng
弥助さんは秀次にまで「うちの父は頼りなくて…」と言われてるぐらいの人だからなあ