三好家落人の島

2018年01月04日 17:28

450 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/01/03(水) 18:27:12.08 ID:DNcERBxF
 香川県善光寺市沖に伊吹島という島がある。
 さて、この島は落人の島でもある。それ自体は瀬戸内にはよくある話だったが、この島は少し毛色が違うところもあった。
 というのも、この伊吹島は西国に数多存在する平家伝承の島ではなく、戦国期三好家の落人の島だというのである。

 天正元年のこと、義兄である第十五代将軍足利義輝に従って反織田信長の兵を挙げた三好義継は摂津若江城で自決、
三好宗家はこれにて滅んだ。
 しかし義継の死に先んじて子の義兼、義茂の二人は家臣に擁せられて四国へ落ち延びていた。
 四国でも三好家の形勢よろしくない中、弟の義茂は何時の時にか讃岐の沖合にある伊吹島へと逃れた。
 ところがこの地には讃岐国衆大平氏に仕える合田氏が先に開拓に入っていた。
 大平氏は善通寺合戦等でも西讃側に属した反三好党だったことも災いしたか、後から入植した三好残党との関係は急速に悪化。
 このため後に三好義兼が八十騎を率いて島外より来援、合田氏と合戦に及んだのだという。
 しかし合戦は双方の痛み分けに終わり、三好残党の大将義兼は討ち死に。
 合田氏側もその後、主君大平氏共々戸次川で没落しており、三好党を追い落とすほどの力を保てなかったようで、
以後三好党は島の東部に、合田氏は島の西部の勢力分割が確定した。
 両家の集落間では婚姻禁止や交通の制限等の相互敵対の掟が近世まで残っている。

 また新たに義茂を当主に担いだ三好党も合田氏同様、四国本土の三好勢力が戸次川で壊滅した上、讃岐新国主の生駒氏は
当初在地勢力に極めて厳しく当たった為か義茂、正継は早世、自決と続き、孫の義浄の代にようやく島の有力者として認められ、
以後幕末まで政所と呼ばれる地位(庄屋相当?)にあって島政に携わった。

 ○○家の子孫を名乗るのは珍しくなくても、集落丸ごと落人の村というのは戦国時代では珍しく思ったので投稿。
 でもって近代まで伊吹島の三好系住民と合田系(先住系)住民は仲悪かったそうなので悪い話に。



451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/04(木) 13:37:30.11 ID:BiI5NWw0
>>450
そこまで一応共存できたのは仲が良いのか悪いのかw

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/04(木) 13:40:58.66 ID:Qlprx8oR
力が拮抗してたんでしょうな

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/04(木) 15:11:02.38 ID:DwCVvaBO
>>450
どの辺のどんな島かなと思って調べたら、
1950年 5000人
2010年 700人
2017年 400人

って人口推移データ出てきてそっちのが目を引いたわ
限界集落やべぇな
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この根本を三好は推し量り

2017年01月25日 09:21

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 04:00:28.67 ID:CHjahkZO
佐々木承禎(六角義賢)は、三好のことを憎んで、「四国から異な者が
上り居て、威を振るうことかな」と、終いには三好追討のことを

公方に勧め、時に東山へ勢を出した。この根本を三好は推し量り、
松永(久秀)を大将として、公方を弑逆した。

承禎は家来の後藤という者の娘が、公方に近侍しているのを縁として、
公方に親しかった。

松永は三好の乳母に密通し、これを縁として三好は松永に親しかった。

――『武功雑記』



549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 11:53:48.33 ID:8SvKVSKd
さすがゴールドフィンガー霜台さんやで

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 18:09:13.59 ID:ivLwVkKw
黄素妙論(震え声

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/26(木) 19:09:47.99 ID:6U7WMmld
黄素妙論は道三が松永に渡した本だが
松永が書いた、という意味でなければスマソ