感状を与えなかった

2014年08月12日 18:50

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/12(火) 11:44:39.26 ID:91sz6eqC
黒田家中の三宅若狭守家義が、ある時黒田如水・長政親子にこのように申し上げた

「私も兼々武功をなしてきましたが、今後後代に至った時には証拠もなく、また人も
知らないということに成るでしょう。
これは子孫のためですので、御感状を頂けないでしょうか?」

黒田親子はこれを聞くと

「其の方には、上方口並びに豊前表の押さえのため、小倉の城に近い若松城を預け置いている。
これは天正のころ、上杉謙信の押さえのために、武田信玄が高坂弾正を越後表に置いたのと
同じ意味である。

其の方の軍功のことは、家中の諸士は兼ねてからよく知っている。後代に至っても
その記憶は著しいことだろう。」

そう言って感状を与えなかった。

黒田家においては、封禄を多く与えられている家臣で、黒田如水・長政の感状を持つものは
居なかった、という。

(黒田家臣伝)

それにしてもどうして感状与えなかったんだろう?他家に転職されるのを防ぐためですかね?





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