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義士塚の由来

2020年03月01日 15:19

869 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/02/29(土) 21:12:04.74 ID:da+cNF5Z
義士塚の由来

三浦市の新井城近隣にある義士塚について。北条早雲との戦いを繰り広げていた三浦道寸義同には荒次郎義意と言う息子がいた。

彼は身の丈・七尺五寸(2m25c)、五尺八寸(1m85cm)の大太刀を奮って戦うリアルホンダムか西に真柄直隆あれば東にこの人ありとでも言うべき荒武者であった。

その逸話については既出であるが、ある日の戦場でも荒次郎義意は陣頭に立って大暴れしていたが、彼の前に敵うもの無く北条方は攻めあぐねていた。
戦線が硬直する中、北条方4名の剛勇の若武者が荒次郎義意に戦いを挑む。だが、この4名をもってしても義意は討たれること無く、4名の若武者は敗れ逆に命を奪われそうになった。

しかしここで義意の父、三浦道寸が待ったをかけ若武者4人の勇気を褒め称え、世に役立つ勇士となるだろうからと、彼らを解き放ち返してしまった。

若武者らはこれに感じ入り、いつか恩返しをしようと誓い戻っていった。
それから新井城が落ち、三浦氏は滅亡。道寸もその息子義意も自害して世を去る事となった。

これを知った先の4名の若武者らは今こそかつての恩返しせんと、連れ立って新井城または新井城を望む場所にて腹を切り、三浦親子に殉じた。

新井城近隣の者達は彼ら4人を4つ(彼ら4人と別に新井城の戦いの戦死者や刀剣を供養した塚もあったと言う)または2つの塚に葬りねんごろに弔ったと言う。
だが、今ではこの義士塚も宅地開発などによって1つとなってしまい、その由来を知る者も少なくなっていると言う。



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夫婦地蔵の伝説

2020年02月29日 16:48

868 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/02/29(土) 09:12:56.97 ID:DnRDXe5n
良い話スレの方に元就の浣腸もとい間諜の話があったので調べたら多分既出でない話を見つけたので…

夫婦地蔵の伝説

三浦市の新井城近くにある夫婦地蔵の謂れ。

三浦道寸義同と北條早雲の合戦の折、引橋の近くに茶屋を営む老夫婦が居た。
そこへ1人の百姓が訪れ、老夫婦と世間話に及び、話が弾むうちに人の良い老夫婦は百姓に三浦氏の事から新井城の様子までを喋ってしまった。

これから暫く後、三浦方は1人の男を捕らえ、北条方の間者であるとして処刑した。老夫婦の茶屋を訪れた例の百姓であった。

後に新井城が落ち三浦氏が滅亡した際、茶屋の老夫婦は自分達が間者に城の事を話したせいで三浦一族が滅亡したのではないかと自責の念にかられ、心中してしまったという。

近隣の者らはこの事を知ると、茶屋の跡に地蔵を建て夫婦の霊を慰めた。

「三浦半島の史跡と伝説」 松浦豊著