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越相一和と長尾政景誅殺

2020年02月12日 17:21

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/12(水) 01:56:21.40 ID:4qsmf9PP
永禄十三年正月より、北条氏康公は越後の止観という僧と、小田原海岸寺も住持を中人として、
上杉謙信公と無事(和睦)を成し、御末子三郎殿を越後へなりとも前橋になりとも、差し越す旨を、
北條丹後(高広)、同伊豆守方まで仰せになった。
北條は直ぐに越後へ戻り、諸老方と相談の上、謙信公へ申し上げると、無事和睦は整った。

この時謙信は
「さしもの氏康の御息この方に申し請けるのに、人質というのは然るべからず。」と有り、養子と
される事に定まった。

先ず前橋まで罷り越し、彼の地に於いて対面をなされた。両家の侍各々会集し、慇懃の儀式であった。
この時北条家側は、氏康が病中であり、嫡子の氏政、および源蔵(氏照)が罷り越して在った。

北条三郎殿が養子になった事について、上田の長尾政景とその家門の者達は悦ばなかった。
この政景という人物は、上杉景勝公の実父であり、去々年以来その景勝が謙信の養子になっている故であった。

景勝は若年と言えども謙信の気持ちをよく察し、三郎との関係も好かった。
しかし謙信公は、政景が内々随わない事について奇怪に思われ、殿中に召し出すと長尾小四郎(景直)に命じて
成敗させた。そして政景の親族家臣、上下二百余人が政景の館に立て籠もって戦い、死んだ。
この討ち手もまた長尾小四郎であった。

松隣夜話

ここでは長尾政景が謙信に誅殺されているのですね。一族ごと。



849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/12(水) 16:04:06.97 ID:VCnzYYiH
>>848
後継指名しない悪い話だな
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上杉謙信、勝頼の敗報を聞いて

2013年08月21日 19:51

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 00:02:29.73 ID:jTES72Z1
上杉謙信の元に、長篠の戦いでの武田の敗報が伝わると、謙信は養子である景勝、景虎に向かって語った

「私は若年の頃より軍陣に臨み、幸いにして勝利を得てきたが、それは私の武道のお陰ではなく、いわば、時の運なのだ。

というのはな、勝利を確信した上で押し懸り、それで勝利を得るのが正道の弓矢というものである。
一方、負けるのが解っていて、それでも戦おうとするのは、目が見えぬまま何かを行うのと同じで、愚かの至である事
勿論である。

ところが私は、必ず負けると見ても、無二無三に攻めかかって、それで勝利を得てしまったことが度々有る。
何とも時の幸いとしか言えないではないか。

だがな、私が『撤退するのは卑怯だ』などと思って無理な働きをしようものなら、それこそ敗亡は一瞬のうちであろう。

信玄公は名誉の戦上手であった。信長さえ彼を神のように恐れ、一度も甲州に出兵することはなかった。
しかし彼の才能は天禀の致す所で、真似ようとして真似できる智慧ではない。

ところが勝頼は身の程を知らず、父の形ばかりを真似し、今度の長篠の大敗を招いたのだ。」

そして一息ついて

「こうなってはもう、勝頼も信長に対抗するような元気は無く、幕下の侍大将も、次第に彼を見限るだろう。

この隙を狙って我が旗を出せば、信州から西上野は言うに及ばず、甲州までも手に入れるのは容易である。
しかし年若い勝頼を辛い目に合わせるのは、私の本意ではない。

まあ、今に見ておれ。捨てておいてもやがては、私の幕下に従いに来るだろう。」

そのように言われたのである。
上杉謙信言行録)




938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 00:23:56.09 ID:ULY3rSq+
>まあ、今に見ておれ。捨てておいてもやがては、私の幕下に従いに来るだろう。
軍神様、予言が外れてます

いい話じゃない気がする

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 01:37:13.30 ID:UbioZX+F
御館の乱での中途半端な介入が勝頼の寿命をさらに縮めたような気もする

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 01:48:22.57 ID:Cg/D/ibc
この戦いに勝頼ほかない!

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 02:52:38.45 ID:5C4XOeBD
いい加減に四郎

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/21(水) 03:53:07.38 ID:Cg/D/ibc
織田まり!