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夜襲じゃない方の河越夜戦の話

2013年01月20日 19:02

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/19(土) 21:08:55.20 ID:cnHI7wVa
>>202でその話が出たから、
いつか書こう書こうと思っていた話をば
出典は北条五代記

かつて武州江戸城には上杉朝興が居を構えていたが、北条氏綱に城を奪われ河越城に逃げ込んだ
そこに追い込まれて十余年、病気を患い若くしてこの世を去り、その跡は嫡男朝定が継いだ
その朝定、服忌七十七ヶ日も経たないうちに深大寺城を再興し、反撃の準備にかかった
「親父の喪くらいちゃんと服せよJK。軍神も不孝者なんかに加護なんぞを与えないだろうになあ…」と
民衆に噂される始末

さて朝定の動向を察知した氏綱は朝定勢が万全の備えで待ち構えている深大寺城を華麗にスルー、
一挙に上杉本拠の河越城の間近である武州は入間郡の三木まで軍を進めた
これに対して朝定も兵を繰り出し、ついに合戦が…始まらない

両軍の軍師「ちょっとまって、まだ吉兆が出てないから!あと五分、あと五分だけまって!」
 呑気なものである

そうこうしているうちに日もどっぷりくれ丑三つ時、
空は晴れやかで満月の光が露草を美しく照らしだし、旗がたなびく田畑の中、虫達が鳴き声を競い合い、
もののふ達もそのあまりに詩情的な光景に勇者の道も忘れただただ感じ入るしか無かった…

軍師「GO/NOGO判断はGO!MINAGOROSHIにしろー」 空気読めよ、お前

打ち鳴らされる軍太鼓、響き渡る鯨波の声は高き天の雲にまで反響し、地獄の底にまで響き渡るかのようであった
互いに進みぶつかり合い、互いに矢を射かけ、その様はさながら神仏の争いの如き凄まじさ、
その一進一退の攻防にこれはちょっとやそっとのことでは勝負もつくまいと思われかけたその時、
上杉朝定方の一隊が崩れ、あとはもう将棋倒しのように一挙に瓦解し、日が明ける頃には
河越城も北条方の手に落ちた
朝定は難波田弾正の松山城に難を逃れ、上杉家残党もそこに集結した

氏綱はそれを聞くと追撃を決意、勢いに乗って松山城に押し寄せる
難波田弾正は残党を率いて防戦するも、士気の差、数の差はいかんともしがたく敗走した
その時に例の詩合戦(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3372.html)の話になるのであった

夜襲じゃない方の河越夜戦の話

関連
上杉朝興の遺言
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7215.html
難波田憲重、山中主膳の歌に
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3372.html

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上杉朝興の遺言

2013年01月18日 20:04

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/18(金) 18:09:52.04 ID:yadoiax/
武州の国司、扇谷家の上杉朝興は度々の合戦には負け、江戸城も落とされて
おもしろくなかったが力は及ばず、何とかして北条氏綱を亡ぼしたいものだと、
骨髄に徹して思い暮らしていた。

しかし、重病に侵された朝興は瀕死の状態になってしまう。
朝興は子息朝定、三田・萩谷以下の老臣を呼び出して遺言を残した。

「わしの命は尽きようとしている。汝等はしかと遺言を聞いて背いてはならない。
わしは氏綱と合戦すること十四度に及ぶが、一度も勝つことはできなかった。

この事が未来永劫の恥辱に思うのだ。この恥辱は妄執ともなるであろう。
よいか、わしが死んだら仏事作善よりもまずは氏綱を退治して国家を平定せよ!」

天文六年四月下旬、朝興は朝の露と消えた。上杉朝定は十三歳で家督を継ぎ、
父の遺言に従って仏事作善をかえりみずに、まず武州深大寺の古要害を取り立てて
城とし、氏綱を退治せんと支度を始めた。

しかし、この動きを知った氏綱が出兵したために河越城の戦いが勃発し、
朝定は敗北して松山城へ走った。

――『異本小田原記』