「実際はさぁ」

2015年01月08日 18:45

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/08(木) 03:20:24.92 ID:FE/AjC1a
「実際はさぁ」

世間巷では上泉主水(上泉泰綱)が長谷堂合戦の折りに朴の木屋敷で討ち取られた話で、首級を挙げたのは
坂野弥兵衛か金原七蔵かってそんな内容で盛り上がる事が多いよね
でも、実際はさぁ、味方が前線で倒した敵で、首級実験でも名前のわからない身なりの良い
大剛の士分のものがあったんだけど、誰の首かわからないからそのまま放置されてた凄い形相のものが
その日の遅くに直江方から「そちら(最上軍)に討たれたものの内に上泉主水の首級があるから、
出来ればそれを返してくれ」と使者が来たから主の名前が判明したんだよね
事実ってそんな事が多いよね

「鮭延越前旧臣岡野九左衛門覚書」

使者が来なければ上泉泰綱を討ち取った事に当分気付かなかったであろう
最上軍の昔話




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慶長5(1600)年9月15日、直江兼続の手紙

2014年09月11日 18:50

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 13:51:09.60 ID:6EVqz2OS
慶長5(1600)年9月15日の直江兼続の手紙

「(秋山定綱殿へ)
(13日に畑谷城を落とし、)昨十四日最上居城に向け在陣し候處に
山形近辺の城五六ヶ所是も明け逃げ候
此の外二三ヶ所降参し候
仕置丈夫に申し付候
近日に隙明け申す可く候
御心安かる可く候」
『編年文書』

直江兼続は畑谷から富神山を抜け、軍の一部を菅沢から長谷堂北の平地にも展開した

その夜、長谷堂の鮭延秀綱の切り込み隊とは別に山形城からは夜陰に乗じて楯岡光直と清水義親の軍兵800が直江軍の本陣を突こうとしたが、水原親憲の鉄砲隊に奇襲を予期され、兵200ほどが討ち取られた

「尚々此書中調候半ばに敵働き候由申し候あひだ則ち乗り出し
敵の打つけにのり頸弐百余り取り候
飛脚見分の如くに候」
(手紙を書いてる途中に最上軍からの夜襲があり、迎撃して敵の首級を200ほど上げました)
『編年文書』

兼続は近日中には山形城も落とし、最上攻めはすぐにも終わるでしょうと結んでいる

長谷堂合戦序盤の
直江兼続の意気揚々振りを伝える手紙

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 13:56:55.21 ID:6EVqz2OS
同じ頃上泉泰綱も小山田将監へ手紙をしたためていた

「庄内人数白岩さが江(寒河江)迄請取り在陣候」
(庄内の志駄義秀と下吉忠らの別動隊も最上領の白岩城や寒河江城を落とし、着々と軍を進めています)

『小山田家文書』

関ヶ原の戦い直前の時期の
地方の戦いの一幕