突き折るほど働いて

2017年10月29日 16:38

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/29(日) 16:35:00.69 ID:aWEy2xZH
鑓の柄というものは、軽くて硬いことに利があるが、上田宗箇は杉の柄の鑓を常に所持していた。
人がその理由を問うと

「突き折るほど働いての討ち死に、本望ではないか」

と答えたという、
滋賀与三右衛門も杉の柄の槍で、主人がその理由を問うと
「いざという時投げ突きにいたします」と言った。

阿波の三好が上方に進出して度々戦のあった頃、彼らの大方は竹の柄の鑓を持っていた。
それ故に、その頃の狂歌に

『阿波武者は 世々をかけて突ぬらん 皆鑓の柄を竹にてぞする』

これを京童が口々に唱えたとか。

(士談)



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歯を白く、髪も美しく

2017年07月07日 17:40

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 17:09:42.14 ID:ssyeJvnd
神君(徳川家康)は、

「武道を嗜む士は、戦場へ赴くからには必ず死を遂げるという心掛けが
なければ叶わない。白歯の者は、歯が黄色にならないように心掛けて、
髪も香りを留めるのが良い」

と仰せられたということである。

上田主水入道宗古(宗箇)と申す武士は、

「討死の首になった時のことを心掛けるべきである。されば月代が後ろ
下がりでは首になった時に詫び言顔になって見苦しい。

それゆえ、後ろ高(後ろ上がり)に剃るのが良い。その前日には月代を
剃って首を綺麗に致す心掛けが第一である」

と申した。

――『明良洪範』



82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 23:31:50.02 ID:ORWkGDa9
白歯のものってなんつうか初めて聞いたな

上田宗箇の剛勇

2017年04月21日 10:19

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/21(金) 08:55:27.66 ID:uFvNYzkl
上田主水(宗箇)は初め丹羽長秀に仕え、小姓奉公などしていたが、本能寺の変後、明智光秀への関与を
疑われた織田七兵衛尉信澄が大阪城(石山城)の本丸に居たのを、長秀の軍勢で取り巻き、信澄が自害に
及ぶ時、上田主水(当時16,7ほどであった)が城内に飛び入ると、信澄は既に自害しており、
そこでその頸を受け取って退出したという。あくまで剛勇の生まれ付きの者であった。
後に太閤秀吉に1万石で仕えたが、関ヶ原の時三成に属した科を以て、本領を没収された。

ここで、浅野紀伊守(幸長)はかねてより彼を知る好であったので、徳川家康に対し「茶友達」との事で
身柄を引き受けたいと要望した。
上田は三成に属しただけで、事の顕れた悪事もなかったため、家康は免許した。
以後、浅野家に属し1万石を領した。

実は上田は、その頃までさして名を得た功は無かったのだが、浅野の屋敷の近隣にあった
中村式部少輔(一氏)の屋敷に火事が出た時、破風口に一人出て延焼を防ぎ止めた振る舞いは、
只者とは見えず、当時の人達はこれを大いに賞賛した。
また、大阪の陣において柏の井で一番に鑓を合わせた。
以上の人に知られた働き2度のうち、一度は火事の覚悟であったといえる。

大阪冬の陣の時、浅野但馬守(長晟)の仕寄の場所に大筒を設置したが、但馬守の足軽が竹束の間から
外を覗いたところを、大阪城内より鉄砲にて難なく撃ち殺された。
その直後、上田宗箇は大筒に乗り掛かり、顔を出して四方を見回した。

彼をめがけて城中より鉄砲が雨のごとく降り注いだが、彼はまじろぎもしなかった。
類まれな勇者であったといえる。

(士談)



846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/21(金) 10:06:23.60 ID:Y9xTky+j
戦が少なくなると武士が名を上げるには火事の対応とか無意味に躰を危険に晒すとかぐらいしか無いって、淡く切ないお話しですね

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/21(金) 16:33:14.29 ID:pNPhOchv
へうげものの武闘派上田宗箇を思い出したけど
大坂冬の陣でこの場面あったっけ

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/21(金) 16:45:51.95 ID:5HHheB3O
敵がくれの茶杓作った位しか出てない

織田信澄討伐顛末

2011年10月22日 22:03

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 22:02:09.69 ID:nVKMcVLq
天正十年(1582)六月、丹羽長秀織田信孝の四国攻めの補佐として大阪にあった。
ここに、明智光秀が京の本能寺、および妙覚寺において、織田信長・信忠親子を弑殺したとの情報を得る。
長秀は切歯扼腕し、信孝と共に大逆の光秀を討つことを議した。
この時、織田信澄は、彼が明智光秀の婿であったのでこれを大阪の守備に残し、長秀・信孝は馬を走らせ
森口まで進んだ。

しかし、織田信澄はやはり明智光秀に与していた。

信澄は長秀たちが出陣すると密かに伊丹の一揆を大阪に呼び寄せ、長秀勢が明智との合戦に及べば
この一揆勢を持って挟撃する、という密謀を進めていたのだ。

時に、大阪に残っていた丹羽長秀の家臣である長束藤兵衛正家がこの情報を察知した。

長束はすぐさま急使を立て森口の長秀に伝える。長秀は知らせを聞いて驚愕し、すぐさま信孝の元へと行くと

「信澄は大賊の婿であります!更に長年それと親しんできました。先ずこれを誅するべきです!」

信孝も同意し、軍勢を大阪に返し、信澄の居る大阪城(本願寺の跡地に作られたものだろう)を、
信孝は搦手より、長秀は追手より攻め立て、ついに信澄を千貫櫓にて討ち取った。
ちなみに信澄の首を取ったのは、長秀の家臣、上田左太郎重安(宗箇)であったという。

時に六月六日。これこそ賊魁明智光秀に打撃を与えた、最初の一撃であった!
…と、丹羽家では記録している。

なにげに10年ほど後には有名になる人たちが活躍している、丹羽家においてはこう事になっていた、という、
織田信澄を討ち取った顛末である。
(丹羽家譜)




425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 22:36:17.23 ID:Mukm8SQ5
胸糞悪い話だ

ある時、浅野幸長が古田織部から

2011年07月27日 23:09

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:44:40.24 ID:/pLjZPZs
>>173
ある時、浅野幸長古田織部から、狭い茶室での道具の置き方・所作の仕方等の稽古を受けた。

「よいですかな浅野殿、客も炉も自分の右側にある時はこうする。客が右、炉が左の時はこう。」
「ふむふむ。」
「客も炉も左の時はこう、客が左、炉が右の時は…って、この辺は前の稽古の時どう教えましたかな?」
「………済まぬ、忘れたようです。」


そこで二人は、前回の稽古で同席した上田宗箇を呼んで、この件について問いただした。

「………申し訳ござらぬ、それがし、師の教えを失念いたし申した!!」
「(え~)………」
「………?」
「……………」

「…と、とにかく、こういうものはその場その場でやってみなけりゃワカランものにござるよ。」
(織部候云、兎角その座敷にて置合てみねば、たしかならず)

「なるほど、そういうものですか。」
「うむ、そういうものです。」


織部のおかげで一つ勉強になった
…わけもなく、こーゆーお人に「白黒つけろ」とか㍉にゴザルよ。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 09:56:45.63 ID:K5IF7UPx
>>175
みんな忘れたのかよwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:02:15.87 ID:IUg9pvcb
>>175
織部も忘れてる?www

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:10:52.93 ID:O5JhFgs2
消防のころ先生が答え忘れてみんなに聞いてもわからなかったこと思い出した

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:30:13.96 ID:WBUAFs8e
小学校の問題の解答くらいは、その場で考えられるだろ・・・と思うけど、焦るとそれすらも分からなくなるんだよね

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:38:13.40 ID:Gb/IrSc2
これ、小学校の問題と解答とかそういう話じゃなかろ。
マニュアルも正答もない、どうやったら非礼にならずに人をもてなせるかという話なんだから。
当然正解なんてないよ

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:46:37.99 ID:O5JhFgs2
前の稽古の時教えたことあるんだから正解はあるだろ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:57:05.26 ID:Gb/IrSc2
「教えたことある」なんて文中に書いてないけどねw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:03:41.54 ID:O5JhFgs2
読解力が乏しいのか、単に引っ込みがつかなくなっちゃったという
ちょっと悪い話

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:43:32.16 ID:YemAPnjX
ひどいオチだw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 21:32:09.63 ID:r2+J8sfP
ひどいお茶でもある

上田宗箇の茶室「和風堂」

2011年06月17日 00:06

179 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/06/16(木) 02:35:23.66 ID:GGJWKNrl
まとめサイトにあるように、細川忠興公は「(茶)道具がみたい」と言った大名に
武具を見せて「武士の道具はコレじゃ!」と言ったことがありましたな。
ところがこれを本当に実践していた茶道流派がありました。

茶道 上田宗箇流(の伝来道具)
http://www.ueda-soukoryu.com/index2.htm

上田宗箇が造った茶室「和風堂」の全体図もありまして、これがどうみても
「防御施設つき殺る気まんまんな茶室」なんですな。虎口も搦め手もちゃんとついている。
ここは、本当に生半可な気持ちで茶道を学んではいけないようです。




180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 02:44:45.17 ID:hO131Qev
>>179
ちょっと無理があるんじゃないか?
これが「殺る気まんまんな茶室」なんて言ったら
ありとあらゆる武家屋敷は全てキリング・ハウスってことになっちゃうのでは?

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 12:29:17.98 ID:1dRCDXkH
日本家屋ってどうしてもそういうとこあるのかねー
前に畳の敷き方とか調べようとしてぐぐってたら
「天井板は、相手が刀を振りかぶって襲って来た時に
刃先がひっかかる方向にはる事」とか書いてあって
エエエってなった
普通の和室の話ですよ

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 12:42:25.13 ID:1UmKF+II
海外も似たようなもんじゃね?
西洋のドアが内開きなのは暴漢対策とか聞いた事あるぞ

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 13:12:38.54 ID:n0XnG8jU
内開きのほうが暴漢に蹴破られやすい気がするんだが

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 21:35:43.52 ID:m3RFcGVk
>>183
押し込まれるのは、体力に差があっても多少は耐え易いし、物を置いたりできるからじゃない?
引かれるのはなかなか耐えられないと思う


195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 02:40:29.22 ID:AuINOfKA

>>183

亀だが内側扉だと家具とかでバリケード作れるからじゃない?
外開きだと空いたら終わりだし。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:32:38.05 ID:98eS61Dy
>>195
更に亀だが
いきなり銃口向けられた時に盾になるものの有無は大きいかもなあ

一発二足軽

2011年02月13日 00:01

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 23:52:47 ID:PxnisQlv
大坂の陣の時のことである

浅野幸長の陣において、銃弾を防ぐ竹束の側で足軽が、大筒を修理していた。
この時足軽、大筒の砲身にしがみつくような形でいたらしい。

と、この足軽に大阪城より撃ちかけられる。この時一発の銃弾が、
なんとこの足軽の頭から入り尻に抜け、さらにその後ろにいた足軽の胸に当たり
二人ともその場で死んでしまった。
一石二鳥と言うが、これは一発二足軽であろうか?

これに大阪方は大いに盛り上がったが、ここに浅野軍の上田宗箇が駆け寄り、
やおらその大筒の上に乗り立った。
そして大阪城の方を覗き込み

「さあ撃ってこい!撃ってこい!」

と挑発。これに怒った大阪方からの銃弾が上田宗箇に集中したが、しかし一発も当たらなかった。

これには敵味方双方から『主水(上田宗箇)のありようは見事!』と賞賛されたそうである。


上田さんにとってはいい話だけど銃弾一発で犠牲になった上、上田さんを引き立たせる
役回りになった足軽2人にはお気の毒なおはなしw




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 23:58:17 ID:IhRenedr
頭から尻に抜けって想像しただけでグロい…
まぁこれは上田さんの良い話だろう
精度が悪いって分かってても中々出来るもんじゃない

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/12(土) 00:17:11 ID:2ADAvvr6
人体を縦に貫通するほど威力が火縄銃にあるとは思わなかったな。

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/12(土) 00:25:51 ID:f3XLYuZu
いや、逆じゃなくてよかった。
尻に図星ときたときにゃあ体感的にスローモーでいくんじゃないか。

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/12(土) 00:53:04 ID:QyWR3jky
鉛に掘られながら死んだ足軽A
焼き味噌弾で死んだ足軽B
運命の弾を共有した戦場の悲劇だな
だが、彼らの整備していた大砲こそが後々…
権現様が矢弾飛び交う掘りの前で憂愁に耽るわけだ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/12(土) 22:43:18 ID:kVqRZ+4N
>>769
大坂の陣の時って浅野幸長死んでるんじゃ…
まあ浅野の陣ってことか

利家夜話より、秀吉公の次の天下

2010年10月18日 00:01

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 11:57:05 ID:dOgAmx+B
いい話スレなのに評価の低い話が出ている前田さんの評価のいい話投下してみる。
まとめの方で既出(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3872.html)なのだがもう少し詳しい話です。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 12:25:04 ID:dOgAmx+B
[利家夜話]より

ある時蒲生氏郷は、前田利長細川忠興・上田主水正・戸田武蔵守らを招き
雁鍋を振る舞った。
鍋を囲み談笑していたが話が進むうちに「秀吉公の次の天下は誰のものか?」という話題になった。

即座に氏郷が「それならその男の親父殿だろうよ」と利長を指さした。
「皆は合点が行かぬようだが、今上で加賀大納言殿の他にどれほどの人物がいようか。北陸三州を治め、
京までの道筋を阻むものはない。
西国の毛利輝元が上洛を試みようとも、備前に宇喜多秀家が控えているし、関東の徳川家康が
上洛しようとすれば、この飛騨が会津におる。即座に食らいついて、箱根を超えさせぬ」
と言った。
次に主水正が、息子利長がそこにいるにもかかわらず
「では、利家様が亡くなられた時には誰が天下を取るか」と問うと、氏郷は間をいれず
「その時は、この氏郷が取り申そう」と答えた。




752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 12:31:25 ID:sxb9exRZ
レオンさん、家康さんと政宗さんどうするつもりだったんだろ・・・

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 12:56:36 ID:dYWb7bSP
>息子利長がそこにいるにもかかわらず
わかってはいるものの思わず噴いてしまったw

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 13:58:15 ID:O4v0a1PA
>>751
上洛すれば天下が取れるかのような物言いにひっかかるな
蒲生にとっての「天下=畿内を制圧」くらいの認識だったのかな。

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 14:04:54 ID:X+mL+MdS
>>752
「家康や政宗ごとき物の数ではない」といったところじゃないの?

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 14:25:59 ID:W9J6r3vl
同じ地理条件で、家康の関ケ原への転進を見過ごした上杉の立場は

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 16:15:37 ID:ICqXT9yD
>>754
同じく左遷された黒田さんは「九州を平らげて威勢を増してから上洛しよう」と動き始めた
ラスボスに警戒された者同士でも、視野の広さと情報収集能力に差があるなー
前線指揮官と参謀の差なのか、蒲生は機内にこだわりがあったのか

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 19:20:02 ID:JPyH3Dws
三成は秀吉の死ぬ直前に九州の転封の話があったけど
都でなにかあったとき間に合わない、と断ったよね

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 20:51:13 ID:VoorcZUI
>>760

「九州の惣主にしてやる」だっけか。
断った三成が関ヶ原の合戦直前に軍資金が足りず
「あの話を受けていれば」
と嘆息するという話につながる。

このあたりが本当だとすると、死の直前の秀吉の構想は日本各地に
それぞれをまとめる総括者を決めて、
その上に秀頼がいるという統治形態だったのかと思う。
765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 21:03:48 ID:wjZU/OJl
>>754
このころの「天下」の概念は室町以来の、「畿内近国」をさしたものだと考えたほうがいい。

上田宗箇と大阪の陣・いい話

2008年10月16日 11:17

716 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/25(月) 00:00:19 ID:B9t2JU0x
関ヶ原の決戦によって、西軍に属していた上田宗箇は牢人となった。

しかし、ほどなく家康から罪を許され、宗箇は浅野家に、1万石で仕える事となった。しかし、古田織部の
高弟でもあった宗箇は、武将としてではなく、茶堂として召抱えられた。これは、新たに大領の主となった
浅野幸長が、当時の上流社交の基本である茶道の基礎を、浅野家に打ち立てるために、宗箇のその方面の
才能を必要としたためであったが、それは、浅野家のほかの家臣からの嫉妬と嘲笑を買うことにもなった。
彼らは、

「我が殿はさすがに大身である。茶坊主を万石でかかえるとは。」と、あからさまに宗箇を侮蔑した。

幸長は「気にするな。一旦事あらば大いに働いてくれ」と、宗箇に脇差を与え、我慢するよう言った。
宗箇は「そのときは、この脇差に必ず、血をつけてご恩に報いましょう」と誓った。
浅野家の家中の者たちはそれをも「茶坊主が血をつけようとは。鼠の血か猫の血か」と、さらに嘲った。

やがて、大阪の陣が起こる

和泉国樫井で陣を張っていた浅野家は、大阪より、、勇将、塙団右衛門の部隊が接近との報を聞き、
一旦退却の方針を取った。が、宗箇は
「ならばわしは隠居する。隠居ならば軍令を守る義務は無い。」と、自分の部隊だけそこに残った。
やがて、やってきた塙の軍勢に踊りかかった宗箇の部隊は、先ず団右衛門の胸を槍で一突きに突いて
重傷を負わせ、さらに一気呵成に攻め立て、塙の部隊の武将の一人の首を、先の脇差にて取った。
この攻撃に、大阪方は壊乱した。彼はここにて、浅野家随一の戦功を立てたのだ。
自らの働きを持って、武将、上田宗箇は、自身の面目を保ったと言えよう。


戦後、宗箇は、浅野家家中一同の前で
「さてさて、ここにお集まりのお侍衆の中で、この茶坊主よりも手柄を上げた方はいらっしゃるかな?」
とやって、さらに家中の憎しみを買ったのは、まあ、これはご愛嬌w




717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 00:32:53 ID:PZIS9tjA
最後が余計だw

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 07:55:54 ID:h4fKZp6z
相当頭にきてたんだろうなw

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 08:01:15 ID:WsVaOkwp
明らかに最後の戦乱だったから他の家臣どもは負けっぱなしで終えなければならなかったと。
やりきれんだろうなぁw