家康、例のことをまだ根に持っていたのか

2014年09月03日 18:54

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 01:31:59.51 ID:a31q1JhW
家康、例のことをまだ根に持っていたのか


ある日、家康が代官等がいる前で、言った。
家康  「道路工事させていたんだけど、今日開通したさ」
代官たち「道路工事? どこのことっすか?」
家康  「こないだ丹沢と喧嘩したところwwww」
代官たち「ああwwwwww 例のガケっすかwwwwww」
家康  「(グフフ、丹沢め。次の鷹狩りでは目にもの見せてくれるww)」
それは、こんな出来事からであった。

武田遺臣・丹沢正忠は鷹に詳しかったので、家康はいつもお供に加えていた。
ある日の鷹狩のことである。

丹沢「家康様、この先は谷で、ガケになってて通れないっすよー」
家康「何を言う丹沢、この先にそんな場所はないぞ。わしは駿河に育ったんだから、
    甲州人のお前なんぞよりこの辺りはよっぽど詳しいのだ」

と、丹沢の言葉を無視して進んで行くと・・・

丹沢「ほらwwww 通れないじゃないっすかwwwww」
家康「ば、馬鹿なっ!? ……おい丹沢!! 何故通れないと言わなかった!!」
丹沢「言ったじゃないっすかwwww ひでえwwww」

家康は道を変えてから丹沢に命令した。

家康「よし丹沢、この先に鳥はいるか見て来い」
丹沢「行ってきました。鳥の姿は見えなかったっすね」

しかしその道を進むと、鳥がたくさん舞い降りていた。

家康「丹沢、どうだwwww お前の目にはこれが見えんのかwwww」
丹沢「さっきはいなかったんですよ!! サボってたわけじゃありません! 今来たんでしょう!」
家康「ププwwww そんなことは、言わんでもとっくに分かっとるわwwww」
丹沢「(ビキビキビキビキ)」

家康は帰ってから「今日は一日中、丹沢と喧嘩して愉快だったwww」
などと周囲に言ってはみたものの、まだ根に持っていたのかもしれない。
ついに谷を埋めさせて、実際に通れるようにしてしまったのである。

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 01:33:40.45 ID:a31q1JhW
この後、
『このように家康公は、お遊びの際のこともよくお心にとめられる方で、
「誰とはあの時あそこで酒を飲んだ」「誰にはあの時あそこで飯をおごった」
などと覚えてらっしゃり、そのことを話題にされることが常々あったのである。』

と綺麗にまとめているが、誰に飯をおごったか覚えているとかすっごいケチくさい。

家臣と他愛ない口喧嘩をして楽しんでいた、君臣の情も美しい良い話?
ケチのくせにムキになって道路工事までやらかしてしまった、悪い話?www

(原文)丹沢七右衛門正忠といひしは。武田が家人なりしが。
関東へうつらせたまふころより當家に参り。元より鷹の事に精しければ。いつも御供にめし加へらる。
ある時ならせたまふに。正忠この路筋には田切(谷の両側がガケになっている場所)のあれば。御路をかへ給へと申す。
君われ幼きより駿河にて生長したれば。路の案内よくしりたり。この路にさる所なしと宣ひて成せ給ふに。
はたして路絶たれば笑はせ給ひながら。丹沢かゝる田切のあるを。何とてしらさぬとて咎め給ふ。
また鳥の有無を見せにつかはされしに。かへりて来て見えずと申。
やがてその筋通御有に。鳥あまた下り居たれば。丹沢いかに汝には見えぬかと宣へば。
先にはなかりしが。たゞ今入懸しなりと申せば。そはわれもとくよりしりたりとてまた/\咎め給ふ。
還御のゝち。今日は日ひとひ丹沢とあらがひて。いとおかしかりしと仰らる。
後に、其日ならせられし道路の経営の事仰出されしに。代官等いづれの地かと伺へば。
先日丹沢とあらがひし所よと仰られしにて。速に分りたりしとぞ。
かく御遊行の折の事も。よく御心にとめられ。
誰はいつの時いづれにて酒のみし。膳給はりしなどゝ。おぼしいでゝ仰られし事つね/\″おはしましき。


東照宮御実紀附録巻二十四
ttp://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/tosyogu-h24.html




668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 07:12:03.36 ID:pRFXYSMW
「膳給はり」を「飯を奢った」と訳すのはかなり無理がある

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 07:17:05.83 ID:9YxrKypW
>>667>>668
ご馳走した、が適当?

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 12:56:01.43 ID:Ld2NlI/9
悪意のある現代訳をする自分自身の『ケチ』さに早く気づいてもらいたいと思ったw

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 13:27:39.13 ID:hdRQjglp
ケチのくせに、ってなあ

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 13:50:08.03 ID:7vh4XO9I
そんな人におすすめ!吉川弘文館より出版されている、徳川実紀を現代語訳した「家康公伝」!
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673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 14:38:34.13 ID:bmxlt6U4
ケチならワリカンにするか財布を忘れた振りをする
誰にご馳走したか覚えてる奴なんて普通に執念深いっていうんだよ

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 15:28:58.62 ID:9YxrKypW
>>673
へうげものの爪噛み権現さまで脳内再生

家康公「よし!たらふく食うがいい!」
○○「この量は…馬の餌???」

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 16:58:20.83 ID:C3Ulxmm/
爪って結構歯ごたえがあっておいしいよ

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 17:01:41.07 ID:BSYju9A5
お、おう…
まあ皮膚とかと同じ物から出来てるから食べれない事はないんだろうけど…

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 04:23:53.07 ID:1Sl+5Ehd
>>666

バージョン違いのやつ知ってる
もっと毒吐いてた


694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 10:09:11.98 ID:pzwcs+fV
そりゃ家康が最も恐れた男だからさ

695 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/09/04(木) 10:18:37.50 ID:3BMT0+fL
家康「ワシが恐れる男は百八人までおるぞ」




696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 12:16:44.79 ID:KiVL6D/E
あったあった

田澤七右衛門正忠は。もとは武田が末にて。丹沢久助と名のり。信玄をよび勝頼につかへ。天正十年武田没落のゝち。八月二十一日召し給ふ。
長久手御陣にしたがひたてまつり。井伊兵部少補がそなへにありて。首級を獲て高名ありしかば。舊領に加へ新恩をたまひ男を召され。そのゝちも。たび/\戦功ありしにより。御陣にしたがはせ。
またもろ/\の故実に精しければ。出御・入御の折。あるひは御上洛の折にも。御かたわらに供奉して。日夜をこたらざれば。御腰物・御馬并に黄金を賜ふ。
正忠元より鷹の事に精熟せしかば。御鷹野のさき/\へも。いつも御供にめし加へらる。

ある時ならせたまふに。正忠この路筋には田切のあれば。御路をかへ給へと申す。
君われ幼きより駿河にて生長したれば。路の案内よくしりたり。この路にさる所なしと宣ひて成せ給ふに。
はたして路絶たれば笑はせ給ひながら。丹沢かゝる田切のあるを。何とてしらさぬとて咎め給ふ。

また鳥の有無を見せにつかはされしに。かへりて来て見えずと申す。
やがてその筋通御有に。鳥あまた下り居たれば。丹沢いかに汝には見えぬかと宣へば。
先にはなかりしが。たゞ今入懸しなりと申せば。そはわれもとくよりしりたりとてまた/\咎め給ふ。

正忠われ不徳の身なれど。君の御仁徳のかしこさに。鳥も御路に伏すものなりと申せば。御喜色快然たり。
さればとて。正忠俄かに鳥を追ひて。御殺生やめさせ給へと申せば。丹沢汝は三国一の不埒者なりとて叱り給ふ。
還御のゝち。今日はひねもす丹沢とあらがひて。いとおかしかりしと仰らる。

致至のゝちも。しば/\″召し給へば。人々怪しみて。いかにして御気色にかなふか問ふ。正忠わが不埒故と申せば。ますます怪しむ。
大久保長安逆心のゝち田澤と改む。元和七年七月二十二日死す。

訳は任せた



697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 14:32:34.69 ID:rxz6zNIy
怖い奴筆頭って信玄さんでいいのかな?

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 15:57:02.10 ID:bbZQConB
>>696
この程度なら訳さずとも読めると思う

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 23:48:15.20 ID:PM/Lut0Z
読めない奴が>>670みたいなことを言うんだよな
情けない





とかいいつつ出御入御とかところどころわからないので>>698教えてw



700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 00:32:47.42 ID:aN0gU4KM
>>699
>>696をざっと訳すと

田澤七右衛門正忠は。もとは武田の家臣であり丹沢久助と名のり。信玄および勝頼に仕えた。
天正十年の武田滅亡の後、同年八月二十一日に徳川家に召し抱えられた。
長久手の戦いにも従い、井伊兵部少補(直政)の備えに属して戦い、首級を獲て高名があったので。旧領に加えて
新恩を賜い、さらに息子も家康の元に召された。

その後も度々戦功があったので、御陣に従わせた。また諸々のの故実にも詳しかったので、お出かけやお帰りの際、
あるいは上洛の折にも、傍らに供奉していた。彼はこの勤めを日夜怠らなかったため、家康より御腰物、御馬、並びに黄金を賜った。

また正忠は元より鷹の事に詳しかったので、家康が鷹狩を行う各地の猟場へも、いつも御供に召し加えられた。

ある時、家康が鷹狩に出かけた際、正忠が「この路筋は先が田切(両側が崖状に成って寸断されている場所)になっているので、
路を変えるべきです」と申し上げた。
しかし家康は、「私は幼き頃からこの駿河で成長したのだから、路の案内もよく知っておる。この路にそんな場所はないよ。」と言って
そのまま進んだが、はたして路は絶たれていた。家康はこれを見て笑いながら「丹沢よ、田切のあるのをどうして知らせなかったのだ!?」
と咎めた。

また、鷹狩の際鳥の有無を見るため遣わされた時、帰ってきて「鳥は居ません」と答えた。
その後、家康が正忠に確認させたあたりを通ると、数多の鳥が地面に降りて居た。そのため家康は「丹沢どうした?お前には
あれが見えぬのか?」と言うと、「先程は居りませんでしたが、たった今ここにやって来たのでしょう。」と答えた。これに家康も
「私はお前がそう答えるだろうということはとっくに解っていたよ。」と、またまた咎めたのである。

しかし正忠、「私は不徳の身ではありますが、家康公の御仁徳の有り難さに、鳥も路に平伏しているのでしょう。」と答えると、
家康も快さげに喜色を表した。
ところがここで、正忠は突然その場に居た鳥を追い払い、「どうか、御殺生はおやめ下さい」と申し上げた。
家康はこれに「お前は三国一の不埒者だ」と叱った。

家康は帰った後、「今日は一日丹沢とケンカして、大変面白かった。」と仰せになった。

正忠は隠居した後も、家康にしばしば彼を召し寄せられた。この事を人々は不思議に思い、
「どうして家康公のお気持ちに叶うのか?」と問うた。すると正忠は「私が不埒なためですよ。」と答えたので、人々はさらに
不思議に思った。

彼は大久保長安事件の後、田澤と名字を改めた。元和七年七月二十二日に死去した。




701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 00:57:28.37 ID:QeRVVbAx
田澤七右衛門正忠は、武田氏の末裔であって、もともと丹沢久助と名乗って武田信玄と勝頼に仕えていたが、天正10年に武田家が滅亡した後、家康公は8月21日にお招きになった。
正忠は小牧長久手の戦いに参加して、井伊直正の部隊で戦い、敵の首をとって高い評判を得たので、家康公は、正忠の昔からの領地に加え、新たに領地を与えられ、さらに息子をご登用なさった。

そのあとも、たびたび戦で功績を立てたので、家康公のご本陣に編入されることとなった。
また、正忠はいろいろな昔の慣わしについて精通していたので、家康公がお城へ上がるとき、下がるときや、ご上洛のときにも、家康公のかたわらにお供して、日夜励んだので、家康公は刀や馬、黄金をお与えになった。
正忠はもともと鷹の事に詳しかったので、家康公がお鷹狩に行くさきざきへは、いつも御供に加えられていた。

家康公が鷹狩に出たあるとき、正忠が「この先には急流がありますから通れません。道をお変えください」と申し上げた。
家康公は、「私は幼いころから駿河で育ったので、このあたりの道のことはよく知っている。この道にそういったところはない」とおっしゃったが、実際に行ってみると通れなかった。
家康公はお笑いになって、「丹沢、このような急流があるのを、どうして知らせなかったのだ」とお咎めになった。

また、道の先に鳥がいるかどうか、正忠に見に行かせたところ、正忠は帰ってきて「おりません」と申し上げた。
ところが、その道を行くと地面に降りている鳥がたくさんいたので、家康公は「丹沢、どうだ。お前にはこの鳥が見えないのか」とお聞きになった。
正忠は「先ほどはいなかったのですが。ただいま来たのです」と申し上げた。
すると家康公は「そんなことは、私もとっくに知っている」と言ってまたまたお咎めになった。

すると正忠は「私は仁徳がありません(から私が見に行ったときには鳥も身を隠していたのです)が、家康公のご仁徳のありがたさに、鳥もやってきて平伏しているのです」と申し上げた。
家康公は非常にうれしそうにされた。

正忠は「そういったことですから」と言って、急に鳥を追い払ってしまうと、「(ご仁徳を慕って平伏している鳥を)お殺しになるのはおやめください」と申し上げた。
すると家康公は「丹沢、お前は、日本・中国・インドでも一番けしからん奴だ」とお叱りになった。

家康公はお帰りになってから、「今日は一日中、丹沢とけんかをして、とても楽しかった」とおっしゃった。

正忠が引退した後も、家康公はしばしば正忠をお呼びになったので、いろいろな人が不思議に思って、「どうやったらそのように気に入られるのだ」と質問した。
正忠は「私がけしからん奴だからです」と答えたので、人々はますます不思議がった。

正忠は、大久保長安が家康公に背いた後、苗字を丹沢から田沢に改めた。正忠は、1621年の7月11日に亡くなった。



いじめないでね!

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 00:58:55.94 ID:QeRVVbAx
げっ、1時間かかって訳したのにダブった。

ごめんなさい。



703 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/09/05(金) 01:02:48.31 ID:XUeoxQbj
許す。大義であった(鼻毛プチー

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 06:58:35.04 ID:7UtAiZiN
わかりやすい訳ありがとう。

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 09:30:57.91 ID:pb2HMIwR
君達はやれば出来る子だと思ってた

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 23:25:32.99 ID:Go1NGoOK
>>701
家康が道路工事させた下りは、こっちのバージョンにはないんだね。

しかし田澤正忠って人も過激だね、殿様によってはその場で無礼討ちされてもおかしくない行動だ。
ちょっかいを出されて、イラっとしたんだろうなあww
でも、素敵なやり返しの方法だ。
お互い信じているからできることだよね。

君臣相信じ相親しむというのは、家康存命中の徳川の素晴らしいところだよね。
そうでもなきゃ、天下は治められないのかもしれない。

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/06(土) 11:41:55.21 ID:3Q6lDSEc
>>701
反骨だが有能で、家康が大好きそうなタイプではある。

それと、ちょっと調べたら寛政重修諸家譜に資料あった。

田澤正次 庄兵衛
田澤七右衛門正忠が二男。
鳥見役をつとめ、のち東福門院の御所に附属せらる。

正次
木工右衛門
父が遺跡をつぎ、のち鳥見役をつとむ。これより子孫御家人たり。


ざっと見ただけだけど、本家には鷹に関する記述はない。
鷹の特技は、分家が継いでいったみたい。

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