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主君替え、九人目および十人目

2011年10月15日 22:05

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 01:17:50.96 ID:YRrMMXUz
主君替え、九人目および十人目

その風体を見れば、あらぬ噂をたてられるのも無理はない。
二代将軍秀忠に仕えていた藤堂和泉守高虎は、いまだ滞っている和子入内に関し、
将軍の使者として朝廷を訪れた。
いかに装束を改め、礼を尽くして参内しようと、その気迫は武将のそれであった。
しかも声も背も図抜けて大きい。

やがて首尾よく事が運ぶと、後の世の人々はこう語った。

高虎公は、天子様の御簾の内に入り御笑談された後、
居並ぶ五摂家その他公家衆を前にして、言った。
「かつて武家にお背きになった天子様を左遷した例もある。
我らは東より参上し、事をまとめず帰るようなことはしない。
このままご同意いただけぬなら、天子様に左遷をお勧めしたうえ、
我らは切腹いたすまでのこと!」
震え上がった朝廷は和子入内の話を進めた、と。


三代将軍家光は、久々の高虎の登城を喜んだ。
「和子様入内の折りの、あの脅しはまことの話か?」
家光が尋ねると、高虎は平伏して言った。
「この高虎、浅学にして短慮なれど、礼節は心得ておりまする。
 だれぞが尾ひれを付けた噂にすぎません。」
「そうであろうな。して、そなた具合はいかがか?」
七十を前に眼病を患った高虎は、この頃にはほとんど視力を失っていた。
秀忠は高虎が出仕の際、難儀せぬようにと
江戸城の三の間までの廊下を真っ直ぐにし、駕籠の乗り入れを許可した。
それを聞き及んだ家光は、三の間から次の間までの廊下を真っ直ぐにした。
「もったいなく幸せな心持ちにございます。」
高虎ははらはらと涙をこぼした。


藤堂藩三十二万石の後々のことを頼み、身辺を整理すると
高虎はもう天命に抗おうとはしなかった。
床に伏すと静かにその時を待った。

一六三〇年十月五日
臨終の際には、夏の陣で散った家臣たちの名を呼んでいたとも伝わる。

「御遺骸には、隙間なく傷があった。槍傷、弾傷もあちこちにある。
右手の薬指と小指は切れて爪がない。
左手の中指も一寸ほど短く、右足の親指の爪もない。
左右の手、指の腹には節が立つように豆がいくつもあって、
これはたびたび戦場で馬の鞍坪をお叩きになったため、とのことである。」
遺骸をあらためた森石見なる者は、高虎の生きざまをそう語った。
                                 「実伝藤堂高虎」より





106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 04:40:09.42 ID:7eJLrtXj
壮絶だな
高虎でさえそうなのだから……
といろいろ考えちゃう

107 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/15(土) 04:52:31.82 ID:btpKYu/M
乱世を己のやり方で生ききった武士
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主君替え、八人目

2011年10月02日 22:01

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 03:39:12.68 ID:9ybos65E
主君替え、八人目

何としても主君秀長に恥をかかせるわけにはいかなかった。

徳川家康豊臣秀吉の和議が成立し、ようやく家康が上洛の運びとなった頃であった。
聚楽第のそばに家康の館をつくるよう命じられた秀長は、
縄張りと造営を高虎に任せた。
「まずもって、万が一のことがあってはならぬ。」
高虎は、華麗な秀吉好みより、堅固な屋敷造りを心掛けた。
「ここはやはりどうしても台所門が欲しい。欲しい、が。」
当初の予算はとうに使い切っている。
高虎は私財をつぎ込んで、台所門と外溝を造った。

上洛を果たした家康は、その屋敷を見ていたく感服した。
「さては、さすが秀長どの。よう心得てござる。」
「いえいえ、それがしは、ただこの者に命じただけ。
 なお、台所門はこの者の私財を投じておる由にございます。」
促されて、高虎は大声で名乗った。
「藤堂与右衛門高虎にございます!」
三十一歳の時である。
高虎は家康から長光の刀を賜ったのだった。


今や事は急を要していた。
その日の朝、家康は高虎を呼んで告げた。
「朝鮮に行って、在陣している方々に早く帰帆の工夫を考えるよう、伝えてもらいたい。」
そして、その晩。
「高虎殿は近いうちに出航するであろうな。」
家康は、言い残したことがあるから来て欲しいと、高虎のもとに使いを遣った。
しかし、使いは手ぶらで帰ってきた。
すでに高虎は博多に向けて出航したあとだったと言うのだ。
「そうであった!」
家康は手を打ち、こう言ったという。
「わしはやつが与右衛門と称しておる時から知っている。
 秀吉公の見立てで、どう出世してきたかもな。
 万事に早きこと、かくのごとし。只者ではないわ。
 若い者どもにも見習ろうてほしいものじゃ。」

それからの高虎の歩みは、徳川家康とともにあった。
さながら中学の歴史教科書の年表の見出しのごとくである。


外様で唯一、家康の臨終に侍ることを許された藤堂和泉守高虎は
その時、津藩二十八万石の藩主になっていた。




909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 04:40:58.83 ID:0Y6gSLwG
藤堂高虎って家康に
「国に危険あらば藤堂を一番手とせよ。」
とまで言われてるんだよねぇ。後宗教変えたり。


911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 08:49:26.71 ID:yRyBcZbg
藤堂家が一番手にされた理由が分かった
行軍は間違いなく速くなるな
要地を占領して陣地造りとかも向いてそう
問題は戦闘が始まってからだが

もう一つ早起きは三文の得ならず
早出は三十万石の得と言うわけだな
早起きしても遅刻魔の俺は今日悟った
しかし手遅れになった頃でないと仕事がはかどらないんだよな

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 10:14:03.33 ID:SpA2YS9Q
しかも津藩は藩主じゃなくて、在城の家臣団の判断で官軍についてるしな

主君替え、七人目

2011年09月25日 22:26

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 11:01:49.57 ID:rtLlarGm
主君替え、七人目

茶筅髪に羽織といういでたちで、大木長右衛門、居相孫作らわずかな家臣と共に
高野山にて念仏三昧の日々を送っていた藤堂高虎のもとに
生駒親正は老体をおして、太閤秀吉の命を高虎に伝えに来た。
ひとしきり秀吉の思いを伝えると、足を崩す。
「どうあっても否と申すか。」
「ありがたきおおせなれど、どうかお察しくだされ。」
「秀長殿なら、兄上をお助けしたいと思うであろうに・・・。」
高虎は天を仰いだ。


高虎は下山し、秀吉の直臣となった。
高虎を待っていたのは、伊予板島七万石と、
離散せず紀伊・大和国付近に仮住まいしていた家臣たちであった。
彼らは歓喜して高虎を迎えた。

しかしここにきて、大木長右衛門、居相孫作および服部竹助は憂慮していた。
「殿は我らに千石ずつくださるとおっしゃるがの。」
「我らに、例えば十人分の働きができるかの。」
「・・・・ま、できぬこともないが、今は十人の勇士を雇うことが先決じゃの。」
彼らは、加増を断り、七万石の屋台骨を築くことに奔走したのだ。

高虎は領民をいたわり、城を作り、街を作った。
高虎は四十歳になっていた。

慶長の役では、誰とは言わぬが武功争いであわや抜刀というすったもんだもあったが、
高虎は豊臣諸将の中で、着実に地歩を固めていった。
その、慶長の役のさなかに、太閤秀吉が崩御する。

さて、日本軍帰還任務をだれに当たらせるか。
徳川家康は高虎を推挙した。
「それがしのような者には、とても務まりませぬ。」
辞退する高虎に、なおも家康は言った。
「ぜひに」

秀長の在りし頃、家康に初めて我が名を名乗った日のことを
高虎は思い起こしていた。




784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 22:44:59.17 ID:SgqshKk1
>>780
高虎は道三や松永さん辺りと比べりゃ
全然毒が無いなあ。
奸臣扱いさるのは
鳥羽伏見での子孫の立ち回りと
小説で解りやすい悪役として
散々使われてきた影響が
デカイな。

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 02:11:56.43 ID:tgvQREMY
背もデカイ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/26(月) 02:40:52.90 ID:BcQgayq/
>>784
高虎さんは主殺しとか謀殺とかの役を持ってないからな。
まぁ高虎は結局生き残った側だから、
記録がどうしても良い方に寄るというのもあるだろうけど。

主君替え、六人目

2011年09月18日 22:11

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 10:39:23.07 ID:fhuZXmXN
主君替え、六人目

思えば不遇な子であった。
太閤秀吉から豊臣秀長の養嗣子に秀保をと薦められたとき、
秀長には先に養子仙丸がおり、慈しんで育てていたという。
仙丸は藤堂高虎に貰い受けられることになったが、
秀保が秀長を父と呼んだのは三年に満たなかった。

仙丸が高虎とともに秀保の名代として文禄の役に参戦し
「小藤堂」と異名をとる活躍を見せている頃、
秀保は「兄に習って」「兄を真似て」と枕詞のつく批判を受けていた。
秀保の兄は関白秀次である。


凶暴にして残忍な秀保は大和十津川で不慮の死を遂げる。
短い記録に詳細はつまびらかでないが、まことしやかにその死に様が伝わっている。

ある時、静養と遊山をかねて吉野に出かけた秀保は、面白い余興を考えた。
五十丈の岩の上から深淵へ飛び、また戻って来られたら褒美をとらせるという。
これはと思う者を連れてきては次々と飛ばせたが、誰一人戻らない。
と、ある者が進み出て
「殿、岩の真上よりそれがしが飛ぶのをご覧ください」と秀保を誘い出し、
言うが早いか、秀保を抱きかかえると二人して深淵へと飛び込んだのだ。


「俺がおそばにおったなら!!」
悲報を聞き、高虎は嘆き、悔やんだ。泣いて、泣いて、泣いた。

秀保が死んだあと、秀吉の処置は迅速だった。
跡継ぎがいない大和豊臣家は領土没収のうえ、取り潰しとなったのだ。

「ここと思う家があれば、せいぜい口添えいたす。申し出よ。
 わしは武士をやめる。」
高野山に入る決意をした高虎は家臣に告げた。
しかし、家臣たちは誰一人動かなかった。
高虎の心変わりを信じ、固唾を呑んでその動向を見守った。


しびれを切らしたのは、秀吉であった。
「直臣にするというのに、いつまで高虎は拗ねておるのか!」
高野山への二度目の使いに、生駒親正をおくったのだった。





667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 10:41:30.96 ID:fhuZXmXN
今、気がついた。
これ悪い話です。すみません。

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 10:58:15.95 ID:TRikOPIi
暴君を道連れに死んだ忠臣のいい話とも受け取れるけど。

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 13:55:29.84 ID:wJJfZMBU
秀保の悪評って兄秀次のそれと同様に事実か疑わしいけどな
兄と全く同じ理由で消されたという印象が拭えない

それにしても小姓に抱きかかえられて諸共に転落死とか尋常じゃないなあ

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 14:13:18.69 ID:NQgN2Q85
謀殺という気がする
小姓の出自が知りたいなあ

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 14:25:11.38 ID:mI2DShE7
その小姓三河出身だったりしてな

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 14:26:12.74 ID:yLI8rgU/
まあ普通に考えて秀次事件の余波だったのだろうな。
しかし秀長の元々の養子だった仙丸がいるのに、それに継がせず数少ない豊臣親藩の
大和豊臣家を潰すってのも、よくよくのことだな。

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 15:20:42.21 ID:HIjefIxw
そう思うとやっぱり悪い話だなあ

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 15:28:01.27 ID:fYmYZmSQ
なお秀保の変死が文禄四年(1595)4月16日、秀次の高野山への追放が同年7月8日って順番
秀吉にその気があるならば大和大納言家の存続もできた

でも既に秀吉の中では兄弟ともに命運は定まっていたようだな

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 15:38:32.70 ID:w/zRP8e7
秀次ぬっ殺すのはまだわからんでもないんだけど
大和大納言家を潰す意義がわからない。
やっぱりもう正常な判断が出来ないほどラスボスの頭はアレだったんだろうか。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 15:45:44.27 ID:HIjefIxw
もう秀頼以外、豊臣の血が残るのが嫌だったんじゃないかね

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 16:00:55.70 ID:G2YGzmqm
主家を兄弟喧嘩させた挙句に乗っ取った先例があるからな

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 21:55:30.30 ID:vj8SI16d
ラスボスさんの爺馬鹿が炸裂した結果の謀殺か

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 22:11:49.53 ID:mI2DShE7
秀保はこのスレでもあまり逸話は出てこないし資料も少ない暗殺なら優秀だったからかもしれん
一族すべて健在だと本家220万石秀次家100万石大和大納言家100万石しかも秀次は関白だし
豊臣一族団結されたら家康も手を出せなかったかもしれんな太閤ももったいないことをしたもんだ

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/18(日) 22:16:11.67 ID:jxu+7tuf
>>666
>高野山への二度目の使いに、生駒親正をおくったのだった。
おそらくこの時の縁で高虎さんは生駒さんちの後見人っぽい立場につくのかな?

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 07:19:37.88 ID:HLSZEFxf
つまり、生駒さんのいい話だったのか

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 11:32:57.78 ID:jANUAsI9
>679
そもそも団結が難しい。
生きていれば秀次と秀頼の間で権力闘争が起きていただろう。
家康に利するかどうかは不明だが。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 16:03:50.57 ID:/ADoIa4N
>>679
秀長の子供なら、伯父さんの子供って建て前の秀頼を支えてくれるかもしれんが
秀保って人は、秀吉の一門じゃない人の子供だろ?
(木下の一門じゃないか?)
かえって揉めるもと。
秀頼(もっといえば淀君)の存在が豊臣を滅ぼしたって言うべきだろ。
木下家の力をフルに使ってそれなりの地位についたのに
急に方針転換したら軋轢が出て当たり前

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 16:31:28.55 ID:PO9jLuz4
秀次事件で家康の支持者が増えたってのもあるしな

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 18:10:09.85 ID:u2b41KZT
>>683
いや、秀保は秀吉系統の血の人だよ
秀次・秀勝・秀保は、秀吉の姉の子ども

木下家は、ねねさんの血筋の方だ

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 18:13:35.73 ID:waerbzUL
>>683
ねねの兄木下家定の子たち(小早川秀秋とか)と秀吉の姉(智)の子たちである
秀次や秀保を混同してるぞ



687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 21:11:47.47 ID:6Y7YshfA
>>684
三齋とか山内一豊とか、
秀次寄りの大名にしてみりゃ
「ラスボスやりすぎ耄碌しすぎ」
「秀頼のせいであんなことになったんだし、義理ねえよ」
てことになるもんなー。
ラスボスの親ばかはホント高くついたよな

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 21:18:28.85 ID:u2b41KZT
さすがの三斎様もちょっと引いただろうな

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 21:28:21.17 ID:WQpJAZ5A
豊臣さんはいっぱいいるし別にいいやー的な

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 21:31:26.43 ID:ZQij8pHh
賜姓はまた別枠でね?

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 22:21:24.76 ID:vKA6lAol
一豊は蔵入地の件で怒られて朝鮮送りにされそうになってるしね

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/19(月) 22:25:39.43 ID:0oNT8kKI

利休切腹で三歳は豊臣を見限ってるだろ

主君替え、五人目

2011年09月11日 22:26

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 10:43:52.71 ID:h21GiDRZ
主君替え、五人目

馳走するというので訪れた林次郎兵衛宣清の家で
与右衛門に振舞われたのは、大好物の鮒寿司であった。
大喜びで鮒寿司を頬張っていると、表で馬のいななきと男の声がする。
「もしや、追っ手か?!」
とっさに与右衛門は身構えた。心当たりは・・・・ありすぎる。
「慌てるな。小一郎様からのお使者じゃ。」

羽柴小一郎秀長が与右衛門に会いたいという。
秀長の屋敷に向かう道中ももどかしい。
「もしかして、もしかして、もしかして、もしかして・・・!!」
与右衛門の期待は否が応でも高まった。


会うなり、秀長は与右衛門を見上げて言った。
「三百石でどうじゃ。
まずは仕事ぶりをみてからじゃ。働き次第で加増するぞ。」
昨日まで八十石でがたがた言っていた与右衛門である。
一も二もない。
「よろしくお願いいたします!!」


以来、十五年。
与右衛門は、影に日向に秀長を支えた。
秀長は、腕っぷしはもとより、打てば響く与右衛門を頼みとした。
秀長が約束をたがえることはなく、戦功を重ねる与右衛門はやがて
粉河一万石の城持ちになった。
名は高虎と改めた。

縁起物として鮒寿司は、藤堂家の祝い膳に必ず出されるようになったという。


築き上げた確固たる主従関係は、秀長の病死をもって解消される。
秀長は養子秀保と大和大納言家の事後を高虎に頼んで、世を去った。

高虎は家老である。
守るべき新主君は若干十八歳。高虎はいつまでも泣いていられなかったのである。


後年、秀長の墓の荒廃ぶりを嘆いた高虎は家康の許可を得て、
大徳寺大光院にそれを移した。
江戸年間に大光院が焼失すると、藤堂家が再建したという。




548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 14:10:18.88 ID:QNtIbW2n

>>547
運命の主人秀長さんがついに来たか 林さんが手配してくれたのかな
徳川家との関係も好きだけど、やはり高虎さんは秀長さん主従の時代がイキイキしてるなあ


564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 19:41:59.59 ID:31wRXxdD
>>547
藤堂はホント世話になった人に義理堅いなあ

主君替え、四人目

2011年08月31日 22:04

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 00:37:04.15 ID:mangm6AO
主君替え、四人目

父親が謀反人という、ちょっとワケありの織田信澄のもとで
与右衛門は武功を重ねていた。
丹波小山城攻めでの功により黄金一枚を受けて良馬を買い、
続く籾井城攻めでは騎馬隊として戦い、兜首二つを獲得した。

やがて、欠員補充の穴埋め人事とはいえ、母衣隊に抜擢されることになった。
しかし禄高は依然、八十石のままだった。

母衣隊ともなれば、馬は必須のこと、厩を整え、馬具を揃え、世話人を雇わねばならない。
良い飼料も絶やしてはなるまい。
八十石では、足が出た。
馬を肥やせば自分が飢える。

思い余って与右衛門は訴えた。
「恐れながら、このままでは存分な戦働きができません!」

「で、あるか。」

信澄はまともに取り合わなかったのである。
ここは思案のしどころだった。
他家に仕官を求めるか、このまま八十石で飼い殺されるか。
さすがに、餅代も事欠くほどの浪人暮らしはもうごめんだった。

だが、
「(セコいそ、甥っ子!!)」
与右衛門はついに、信澄のもとを辞したのだった。

三たびの浪人暮らしである。
大望を抱くも、郷里近江周辺をぶらつき(安近短で手を打ったわけだ)、
先輩・知り合いを訪ねては軍議と称して手柄話しを披露した。

羽柴小一郎秀長との出会いは、もうまもなくである。





605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:39:35.38 ID:S4m81Z/k
藤堂さんの主君替えシリーズきたー
こんな兵糧攻めみたいな人事されたら仕える相手を替えざるを得ないって

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 01:49:55.11 ID:v+j4tj8Q
当時の俸禄が貫高じゃなくて石高・・・

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 05:53:10.22 ID:tE8DPw4L
母衣に抜擢されたからって禄も増やしてもらえるわけじゃないし

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 06:46:22.01 ID:3LjQ10Tn
けんもほろろ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 10:14:20.20 ID:zs4fZMPY
維持費は増えたのに収入はそのままだからな

主君替え、四人目の嫁と息子

2011年08月31日 22:04

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 18:20:08.66 ID:mangm6AO
主君替え、四人目の嫁と息子

本能寺で織田信長が明智光秀に討たれると、
甥の織田信澄は内通の疑いをかけられ殺された。
嫁が明智の娘だったからである。

さて、山崎の合戦で勝利した羽柴軍秀長のもと、
三千石を拝する藤堂与右衛門高虎を頼って、女が訪ねてきた。

「信澄殿の嫁ごだと!?
信澄殿といえば、俺がどんなに頼んでも八十石しかくれなかったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか?信澄殿の嫁!」

見ればわずかな供を連れ、人目を忍ぶ女がいた。
懐には二歳になる子を隠し抱いている。
「・・・・不憫じゃ。」

高虎は、母子を保護し、子を芦尾庄九郎と名乗らせた。
高虎の庇護のもと、成人した庄九郎がさすが大器の片鱗を見せ始めた頃、
徳川家の千姫が豊臣秀頼に輿入れすることになった。
庄九郎の母が明智の娘で、教養も才能もあるとして
千姫の上臈に抜擢された。すると、
庄九郎は母と共に秀頼のもとに行ってしまったのである。
「よりによって秀頼殿とは・・・」

しかし、時流は容赦ない。
豊臣家は滅びた。

徳川家康の腹心として、大坂の役の戦後処理に忙殺される高虎を頼って、
男が訪ねてきた。

「庄九郎だと!?
庄九郎といえば、さあこれからという時に
とっとと秀頼殿のところへ行ってしまったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか!信澄殿の息子!」

見れば、昔日の若武者の面影はすでになく、
投降兵の姿があるばかりだった。
「・・・・不憫じゃ。」

高虎は家康に、庄九郎の助命と家名の存続をとりなした。

庄九郎は織田昌澄と称し、
子孫は旗本として二千石を拝領するようになったという。




358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 19:56:46.72 ID:qRwCc0U/
高虎さん、無職の俺にも御慈悲を

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:06:11.33 ID:RSCAwxlF
高虎www

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:18:58.47 ID:zCy8ZROv
美談ではあるけど、こんなに優しくて大丈夫か心配になる

361 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/31(水) 20:54:55.98 ID:pSa3ZAk7
高虎って優しくて弱い石垣職人のイメージが定着した

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 20:55:24.22 ID:LE7hJ10d
まあ自分も色々苦労したしねえ

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:05:47.31 ID:kyQAoyB/
受け入れた高虎はさすがの器量だけど、これなにげに信澄の嫁の人を見る目と決断がすごい話
でもあるよな。

いくら出世街道にのりつつある高虎とはいえ待遇への不満を理由に出て行った旧臣を頼るか?
織田・明智両方の縁をたどればもっと安易な道はいくらでもあったはずなのにこの選択はすごい。
さすが光秀の娘といったところか、ガラシャのすぐ下の妹なんだね。

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:12:43.95 ID:hwkPySbX
たんに信澄の旧臣の中で、高虎が出世頭だったからでは
より大きな大名にすがったほうが同情してくれる可能性も高いだろうし

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 21:16:58.42 ID:k3MJQfyD
高虎の立ち位置が安全だったってのもあるんじゃない?
明智を討った秀吉の弟の直臣だし。つか父親を討った男の弟の部下を頼る気になった奥方様がすごいな

主君替え、三人目

2011年08月21日 23:01

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 01:15:40.75 ID:EmIpp6OI
主君替え、三人目

浅井家の家臣でありながら、小谷城攻めで織田信長の軍門に下らざるをえなかった
磯野員昌は、なるほどひとかどの武将であった。
与右衛門の、浅井家・阿閉家での刃傷沙汰を不問に付し、
その実力のみを認め、八十石で召抱えてくれたのだ。

ここにきてようやく、初めての禄を得た与右衛門の働きようといったら。
いよいよ本領発揮である。が、
現場で血と汗を流す与右衛門のあずかり知らぬところで、
織田信長による主君の入れ替えが粛々と行われていた。

信長の甥、織田(津田)信澄を磯野員昌の養子とし、
員昌自身は隠居するよう命が下ったのだ。
「右近さまというお子もあるのに・・・・」
与右衛門は、員昌の胸中をおもんばかった。

磯野家家臣のほとんどはほぼ流動的に、若くてそこそこ綺麗な織田信澄の家臣となった。
与右衛門もまたしかり。
「俺とひとつしか違わねえや」
与右衛門、十九歳の頃であった。



数年後、員昌は信長によって追放される。
信澄に家督を全て譲るように命じられたが、これを拒絶したためとも言われる。
やがて板島城主となった藤堂与右衛門高虎は、
員昌の子、右近を千石で召し抱え、大阪の役ではさらに三百石を加増したのであった。






160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 01:23:23.28 ID:ucfN/SHp
主君替えシリーズ好きだ
高虎は餅の件といい、本当に昔受けた恩を忘れないなあ

162 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/21(日) 06:48:31.53 ID:C6IJfvDM
晩年成功する人はなんというか昔のことを忘れないなあ~
家康さんとか。
べっべ別に孕石モンドのことではないから。

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 08:49:06.41 ID:+oAipI1t
主水セレクション

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 09:56:13.85 ID:yelZnl6P
太閤電化も松下を取り立てたし・・。

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 12:39:35.61 ID:ucfN/SHp
>>164
電化と松下でパナソニック? と思っちゃった

長政は後藤又兵衛の件だって
あれは又兵衛が好きすぎて、他のところに行くんじゃねえ こっちに帰ってこい
というアプローチなんだなきっと

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:04:49.11 ID:ztD4EdN3
口の悪いツンデレだらけの黒田家か……

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:25:56.12 ID:H9Z+luVy
後藤又兵衛の出奔は細川の引き抜き工作だったフシがある。
そのため余計にこじれた感じ。

170 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/21(日) 18:11:25.35 ID:tscG6SzT
>>164
昔の「失敗を」忘れないって意味じゃないのか?

主君替え、二人目

2011年08月13日 23:02

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 00:09:05.24 ID:ntAIDFU2
主君替え、二人目

血だまりの中で、息も絶え絶えになっている阿閉那多助と広部徳平を眺めながら、
与右衛門はつぶやいた。
「もはやここにはいられまい。やがて追っ手がまいるだろう。」

浅井家では同輩を切り殺して出奔したが、ここ阿閉家では先輩格の中間を、しかも二人も
殺してしまった。
ちっとも学習しないこの男が、どこをどう逃げたかなど、
もはや誰も書き残そうとはしなかったらしい。
唯一の救いは、殺された中間二人は素行の良くない荒くれ者だったということだ。

それでも後世の諸書のいくつかには、
「主人阿閉氏に頼まれて二人を殺した」とだけは書かれている。
しかし藤堂与右衛門高虎自筆の履歴書によって、
図らずもそれが家中の者の涙ぐましい捏造であることが暴露されてしまった。

「阿閉淡路守の中間を二人斬り殺して、またこの場所を立ち退くにつき浪人いたした」(きっぱり)


肌身離さず持っていた感状が功を奏してか、三人目の主君磯野丹波守員昌への仕官は
比較的スムーズではあったようだ。




主君替え、一人目

2011年07月27日 23:03

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 02:57:18.47 ID:7K5appAh
主君替え、一人目

姉川の合戦での手柄を、主君浅井長政から誉められていい気になってるだの、
図体のでかさと怪力を妖怪よばわりされるだの、とかく中傷は半端なかった。

よほど腹に据えかねたのか17才の藤堂与右衛門は、噂を吹聴する山本嘉助と対峙し、
これを切り捨ててしまった。
「・・・もはやここにはいられまい。やがて追っ手がまいるだろう。」
与右衛門は、着ていた紺地に大紋の羽織を脱ぐと裏返し、茶色に無紋の羽織にして再び羽織った。
(リバーシブルだったわけだ)
そしてその場を立ち去った。

まもなく、嘉助の死を知った追っ手が与右衛門を躍起になって探し始めた。
与右衛門の着ていたはずの紺地大紋羽織を手がかりに、聞き込みを行う。
「紺地に大紋?見かけねえなあ。茶に無紋羽織ならいっぱいいるけどよ。」
流行色だったのである。

藤堂与右衛門高虎は慌てた素振りも見せず、悠々と逃げおおせ、
二番目の主君阿閉氏の門を叩くとになるのである。