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久野氏内紛

2018年12月19日 22:28

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/18(火) 19:17:20.93 ID:g1LvLh8E
(掛川城の戦いの時)

ここに今川氏真はこの20日に、密かに金丸山の久野三郎左衛門一門の老臣・久野八右衛門宗明の方へ
密使を遣わして、内々に申し送ったことには、

「久野一族が旧好を思って徳川方を叛き氏真方へ一味するならば、明夜に氏真が軍勢を出して天王山の
本陣に夜討しよう。その時に久野一族も敵の後陣より襲い攻めれば、徳川勢を破ること疑いなし。もし、
この事が謀の如くになれば、遠江一国を久野一族に授けてその功に報いよう」

久野一族は三郎左衛門宗能の弟・淡路守宗益、佐渡守宗憲、叔父・弾正忠宗政とその弟・采女宗常、
将監某、日向守守政、その他一族らがこれを聞いて皆利欲に引かれて義理を忘れ、氏真に一味すると
返答した。さて、その事を一家の大将・宗能に告げてその上で諫め申したことには、

「徳川殿は掛川城を攻め給うとも、この城は要害堅固でそのうえ今川方は忠義金鉄の勇士が数多籠って
いるため、容易く攻め落としなさることはできますまい。それよりは当家の一族が同意して氏真の命に
応じて夜討の働きをし、その功によって氏真から遠江一円を賜れば、家を興し先祖の孝、かつ子孫への
栄華を残すことでしょう。この事こそ、よく御思慮なさるべきです」

宗能はこれを聞くと、

「各々の諫言は一理無しというわけでもない。しかしながら、宗能は去年に一族を引き連れて徳川殿に
帰順し、その後はすこぶる厚い恩を蒙った。今故なくその恩を捨てて利のために義に叛き裏切ることは、
勇士の本意にあらず。そのうえ氏真の有様を見るに、讒を信じ佞を愛す昏愚の愚将で、行末は頼もしく
ない。面々も不義の謀計は思い止まるように」

と言って、その申すところを用いず。その翌21日には氏真が重ねて河井与四郎を使者とし「久野一族
がいよいよ同意するならば、明夜城から出る。きっと裏切るように」との旨を申し越したのであった。
よって淡路守・佐渡守・弾正・采女・将監らは皆氏真に同意し、「宗能を討って一族皆氏真に一味し、
明夜裏切ろう」と評議を決したのである。

八右衛門宗明は「いずれにして宗能は一門の惣領主将である。それなのに一門らは宗能を討たんとする
ことは嘆かわしい」と思い、この事を宗能に告げると宗能は大いに驚き、本間十右衛門長孝を使者とし
内々にこの子細を神君(徳川家康)の御陣に告げ奉った。

神君は大いに御感心され、菅沼新八郎定盈・松平与一郎忠正・植村出羽守家政(家存)・三宅総右衛門
康貞を加勢に遣わされて、また榊原小平太康政にも「宗能に力を添えて反逆者一族らを誅すべし!」と
命じられた。よって康政ならびに宗能は金丸山の本丸に籠り、その他加勢の四将は二丸に籠った。

この時に、淡路守・采女・将監は大手に向かい、佐渡守・弾正は搦手より攻め寄せた。城中では敵襲を
予想していたので多くの矢砲を隙間なく射出し撃ち出し、寄手が攻めあぐんだ折に、二丸に籠っている
加勢の輩は手分けして敵の後ろへと廻って、「徳川勢を後詰するぞ!」と喚き叫んで突いて掛かった。
本丸二丸に籠った輩も門を開いて切って出れば、寄手は散々に敗北した。

ついに淡路守は生け捕りとなり、腹を切らせなさった。(原注:『家忠日記』『三河物語』)その夜に
一族家人5十余人が討ち取られ、弾正・采女・将監らは追い払われて佐渡守は行方も知れず落ち失せた。

この日、榊原康政は様々に工夫して奮戦し、中根善次郎(長重)・遠藤八右衛門・篠島才蔵・竹内太郎
左衛門・竹尾平十郎などの従士は多く功をはげまして各々高名したという。(原注:『武徳編年集成』)

――『改正三河後風土記』


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