611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/31(月) 22:47:04.94 ID:WBFFkdFS
久野三郎左衛門宗能はこの正月の掛川城攻めに際して今川氏真に語らわれ、その一族家人どもは
皆裏切ろうと計った時、宗能一人は同意せず御加勢を待ち受け、反逆の一族家人を討ち滅ぼして
忠義を励み、戦功も多かった。
そのため神君(徳川家康)はその忠勲を賞され、一族らの没入の地を加恩として宗能に賜った。
その時に下された御書に言う。
同名淡路守・同弾正、並びに采女佐の知行宛行いの事
右はこの度、かの3人が逆意するも宗能は別儀なき旨、甚だもって忠節である。そこでその
賞としてかの跡職知行など一円を与える。これは永久に相違することはない。もし同心の者
どもの不承知があれば、存分に申し付けられるように。またかの同心者が訴訟するとしても、
許容しないものである。よって件の如し。
永禄12年己巳8月28日
家康御判
久野三郎左衛門殿
――『改正三河後風土記』
久野三郎左衛門宗能はこの正月の掛川城攻めに際して今川氏真に語らわれ、その一族家人どもは
皆裏切ろうと計った時、宗能一人は同意せず御加勢を待ち受け、反逆の一族家人を討ち滅ぼして
忠義を励み、戦功も多かった。
そのため神君(徳川家康)はその忠勲を賞され、一族らの没入の地を加恩として宗能に賜った。
その時に下された御書に言う。
同名淡路守・同弾正、並びに采女佐の知行宛行いの事
右はこの度、かの3人が逆意するも宗能は別儀なき旨、甚だもって忠節である。そこでその
賞としてかの跡職知行など一円を与える。これは永久に相違することはない。もし同心の者
どもの不承知があれば、存分に申し付けられるように。またかの同心者が訴訟するとしても、
許容しないものである。よって件の如し。
永禄12年己巳8月28日
家康御判
久野三郎左衛門殿
――『改正三河後風土記』
スポンサーサイト