嘉隆の運命のほど

2017年02月16日 17:14

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/15(水) 20:08:35.82 ID:0fvy8vfu
慶長5年、関ヶ原の役において、九鬼長門守守隆は家康の会津征伐に従い、小山の陣に伺候していたが、
父大隅守嘉隆は、隠居の身として石田三成に与し、海賊を集めているという情報がもたらされた。

これにより「九鬼守隆を幽閉すべし」との声が上がったが、成瀬隼人正正成は反対した

「長門守が謀反を謀ることはありません。そもそも今回御供つかまつった上方衆のうち、
父子・兄弟別れているものは多くおります。その中で長門守一人を押込めるというのは
如何でありましょうか?

先ずは長門守に今度の旨を仰せ聞かせられ、その上で九鬼の領地に遣わし、彼の様子を
ご覧になった上で、必要な時は踏み潰す。そうしたほうが簡単であると存じます。」

そこで家康は守隆を召し、委細を聞かせ、「早々に志摩へ馳せ上がるべし。」と命じた。
守隆畏まって鳥羽へと赴いたが、考える所あって父。嘉隆とは対面せず、自分は関東に
御味方仕る旨を申し送った。

息子守隆が合流しないことで、嘉隆の勢力は広がらず籠城も難しくなり、伊勢神官の内に知人があり、
それを頼って城を開き退いた。ところが嘉隆の家臣である豊田五左衛門という男が、あえなく
主人嘉隆を害してしまった。

これを知った守隆の口惜しさは如何程であっただろうか。
流石に父に対しては敵し難いと考え、勿論関東に背く心もなかったため、直ぐには父子対面せず、
引き別れて立てた忠孝をどうにかして申し上げ、父の命を救うという計画が果たされるのは
目前であったのに、家臣豊田の大逆にて害されてしまった嘉隆の運命のほど。
是非もないことである。

(武野燭談)

スポンサーサイト

盥(たらい)に乗ってでも

2014年11月20日 17:51

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 09:08:37.14 ID:l80z4riQ
太閤は、高麗(朝鮮)の者どもが船を出して日本船の邪魔をしているというので、九鬼大隅守、藤堂佐渡守、加藤左馬之助(嘉明)、脇坂中務、
久留島(来島)らに退治を命じた。
そこで佐渡守の屋敷へ皆が集って協議していると、左馬之助がやってきて「なんで知らせてくれなかったんだよ!」と言った。
皆は「ここは安宅(大型船)を持ってるやつだけで協議してんだよ。お前は安宅を持ってないんだから教えなかったのは当然だろ。」と口々に言ったので
左馬之助は腹を立て、「安宅なんてなくても皆の集まりには盥(たらい)に乗ってでも参上する!」と言って帰って行った。

『弾塚助之進征韓紀聞』
引用元は参謀本部編「日本戦史 朝鮮の役」




843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:05:03.82 ID:bUh9RFbh
涙の捨てせりふ(´;ω;`)

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:07:24.44 ID:7AfqQ5uK
ジミだ。タライっていうのがさらにジミ度アップ。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:33:40.62 ID:fPrFgDdN
地味どころかシジミですな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:42:02.61 ID:V1V66d1R
蜆は栄養価が高いんだぞ!

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 11:30:42.57 ID:w54PN1cb
ジミーの意志は彦左が引き継いだ

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 12:29:05.45 ID:4HaHXYef
やべ、ニコニコにある大公開時代のサントラ動画思い出した
あれにちょうど海に乗り出すたらいがあったわw

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 22:37:07.07 ID:Y5ydmYUj
協議の場へ盥に乗って現れるのかと思った

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 00:43:02.71 ID:nN8A1gZk
八丈島より泳いで参った!

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 13:50:31.42 ID:WiXHrUYD
>>842
ちなみに「日本戦史」でその逸話には「加藤嘉明の気概」ってタイトルがつけられてるから
つまり、やる気を見せた、いい話という扱いなのだ

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 23:17:54.78 ID:jRwsxZfR
タライで出陣とかよっぽどの気概が無いと出来ないしな

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 23:40:42.82 ID:JvCl2kZo
別にキチガイにだって出来るだろ

慶長四年の秋、九鬼嘉隆と稲葉道通の間に相論が起こった

2013年10月23日 19:41

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 17:41:40.50 ID:sZuTzTT8
豊臣秀吉の死後、慶長四年の秋、九鬼嘉隆稲葉道通の間に相論が起こった。

これは徳川家康の裁断により、九鬼の訴えが非理と定まった。このために、
道通は喜びに堪えず、嘉隆は無念に思い、やがて子息に家を譲って籠居した。

明くる五年の秋、家康は上杉家を退治するとして下向した。道通もこれに従うが、
家康の仰せを受けて道筋の途中より引き返し、岩出城に留まった。

家康は上方の戦いが起こるであろう事を知っていて道通を返したとのことである。
この時、道通は乗物から下りて供の侍のようにして国に帰った。

すると道中にて、いずことも知れず鉄砲の音がして、かの乗物に銃弾が当たり、
道通はかろうじて免れて帰ったということである。

――『藩翰譜』





560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 18:27:46.95 ID:w7p2gJOY
通行料の件か >相論

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 18:50:46.40 ID:y8LRRHEU
武吉「九鬼家ざまぁ」

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:09:16.35 ID:bO0IuSJY
息子の部下(娘婿でもある)に自害させられるのと、
息子に討ち死にして先立たれるのと、どっちが幸せなんだろうな

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:31:46.75 ID:Mh36CliO
稲葉道通って「みちとお」か「みちみち」じゃないなさすがに

伊勢
よしたかの息子「東軍につこう」
稲葉「東軍につこう」
よしたか「稲葉は嫌いだ。西軍につこう」

八幡城
よしたかの義理の息子「西軍につこう」
稲葉「西軍につこう」
よしたか「稲葉は嫌いだ。東軍につこう」

関ヶ原
よしたかの息子「西軍につこう」
稲葉「西軍につこう」
よしたか「西軍につこう・・・息子のせいで早く終わりやがった」

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 19:49:48.74 ID:wimPbiCv
嘉隆は三成が口説き落としたって聞いたぞ

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:00:28.58 ID:w7p2gJOY
>>563
いなばさんとよしたかくんですね

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:03:28.88 ID:Mh36CliO
数年前のネタなのにもうバレた

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:20:00.43 ID:w7p2gJOY
というか関ヶ原のよしたかくんの息子もいなばさんもよしたかくん本人も東軍じゃね?w

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/23(水) 20:27:47.06 ID:Mh36CliO
スマン稲葉とよしたかで自分も混乱してた
つまらんネタひっぱるのもなんだからこのへんでやめとく

九鬼嘉隆「このうえ断れば」

2013年10月08日 19:42

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/08(火) 17:33:45.72 ID:v/+2R+XN
慶長五年、石田三成は好意を手厚くして、九鬼嘉隆の一命を請うて味方に招いたが、嘉隆は
「すでに致仕して頼むべき家臣もいない。それに老年の身で一味しても無益だ」と応じなかった。

その後も三成は再三使いを立てて「無勢ならば紀伊国新宮の城主、堀内氏善が属するであろうから、
かの手の人数を従えて、指図をなさっていただきたい」と、しきりに申し送ってくるので、

嘉隆は「このうえ断れば命を惜しむようなものだ」と、止むを得ず三成に味方し、息子守隆の
鳥羽の城を奪い、氏善とともにこの城に立て籠もった。

――『寛政重修諸家譜』




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/08(火) 22:45:46.13 ID:1YyzmCjY
まあ、伊勢湾の通行税問題で家康を恨んでたとは書けんわな

綿屋平六兵衛、まさに前代未聞の高名である

2013年10月05日 19:29

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 18:01:15.73 ID:U7Zr5a9J
伊勢山田の住人・綿屋平六兵衛は大剛の者であった。
小牧の陣の際、九鬼嘉隆勢に属して蟹江へやって来たが、織田・徳川勢の反撃で
嘉隆の水軍は敗走してしまい、逃げ遅れた平六兵衛は敵の捕虜になってしまった。

捕まった平六兵衛がまさに首を斬られようとしたその時、
平六兵衛は、
「某は山田の住人じゃ。今一度、伊勢神宮を拝み奉り、最後の御暇を申したい。」
と嘆願した。

敵は皆これを許してくれたので、平六兵衛は手水を使うからといって海辺へ近付いた。
ところが平六兵衛はそのまま海に飛び込み、水中に潜って遥か沖に浮かび出ると、
悪口を吐いて泳ぎ去った。
尾張衆は船を浮かべて平六兵衛を追いかけたが、平六兵衛は敵が近付くと水中に潜り、
あるいは敵船の下で息を継ぐなどして難なく泳ぎ渡り、ついに山田まで帰って来た。
まさに前代未聞の高名である。

(勢州軍記)




257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 22:52:03.34 ID:PTCv4cB1
泳いで参った!の人が他にもいようとは。

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 23:09:12.48 ID:WbfYHjUA
「泳いで帰った!」

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 23:49:45.93 ID:F4ZGstEn
この時代はどういう泳ぎが基本だったんだろ?
まさかクロールじゃないよね

260 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/10/06(日) 00:30:02.28 ID:ZD3T+Vcr
古式泳法とか、ノシ?とかあるんじゃなかったかな?
髪長いからあんまり顔を水につけたくないだろし横泳ぎ的な感じだっけかな~

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 00:34:33.86 ID:PiC0cIhR
シンクロみたいなイメージ

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 00:43:14.22 ID:osLUynJd
敵兵は意外に寛大だな、結局逃げられてるが

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 02:45:30.58 ID:OBF++a5E
平泳ぎみたいなのなら、長時間泳いでも行けそうだね

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 13:03:34.94 ID:/LL+Us3P
着てるものによるかと。ウエットとか来てりゃ泳いでまいった!できる気がする

「閑山島海戦」の敗戦

2013年05月28日 19:41

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 06:39:42.85 ID:NL44dUxg
文禄元年(1592)7月、朝鮮の役

脇坂安治九鬼嘉隆加藤嘉明の3人は都より14日かけて釜山海の川口に到着し、敵の番船を
どう討ち取るかを評定したが、九鬼・加藤両人は船を動かさずに居た所、脇坂安治は一人、
自身の手勢だけで、7月7日、唐島表に船を押し出した。

この時瀬戸の内には敵の番船が4,5隻ばかり居たのを見つけると、脇坂軍は鉄砲を撃ちかけ
半時(約1時間)ばかり攻め懸け戦ったが、敵船は少しずつ退くのを、隙間なく攻めかかり、
およそ3里(12キロ)ほど追撃したのだが、敵船は瀬戸の内を過ぎて広い所へ出ると、
一度に舵を取り直し、大船を3手に分け、味方の船を引き包み、差し詰め引き詰めつつ
攻撃してきたため、味方の船は死傷者が多数出た。

その上、敵は大船であり見方は小舟であったため、対抗できないように見え、元の瀬戸の内に
引き退こうとした時に、敵船は一気に押しかけ、味方の船に焙烙火矢を投げ入れ、たちまちのうちに
船を焼いたため、脇坂安治の家臣である脇坂左兵衛、渡辺七兵衛を始めとした、名の有る者共が
討ち死にした。
しかし脇坂安治は、櫓の数の多い早舟に乗っていたため、その駆け引き自在の運動性に
助けられ、その身は無事であったが、それでも鎧に屋が当たるなど、十死一生を得る危うさであった。

敵船はなおも追撃し、しきりに火矢を射かけてきたが、脇坂安治の早舟は終に金海に撤収した。

この時敵に討ち漏らされた手勢が200人余りあったが、彼らは陸地から50町(約5.5キロ)離れた
小島に船を着け、各々船より上陸した。
この時、追ってきた敵船によって味方の大船が焼かれてしまった。
眞鍋左馬充と言う者は、その船の船長であったが、
「この船を焼かれた上は、私の命ばかりが助かった所で何の意味があるだろうか?
再び軍中において諸士に逢っても、語る言葉も無い!」
と言って、切腹して死んだ。

この頃、九鬼・加藤の両人も脇坂安治が既に唐島の敵船団に敗北したとの情報を聞き、直ぐ様
船団で馳せ向かったが、敵はカズも多く大船でもあるため叶わぬと判断し、二人共に安骨浦に引き返した。
敵船はこの後を追い、日が暮れるまで安骨浦の湊において船軍となった。
ここでも見方は敗北し、九鬼の船は帆柱をも打ち折られた。

夜に入って、敵船は唐島へと引き上げた。これにより唐島浦の小島に避難していた脇坂家の家臣たちは、
焼き捨てられた舟板で筏を作り、陸地に渡ろうとしたが、敵船10雙ばかりが昼夜島を取り巻いていたため、
彼らは13日にわたり、松の葉や海藻を食べて敵船が引き退く隙を待った。
こう言ったところに、再び唐島表に日本の兵船が多数向かうとの情報が流れ、敵船はにわかに
島から退いた。

この隙に島より、5人、10人づつ筏に乗って陸地へと渡ったが、敵船はまた引き返してきて、
海辺で10人ばかりを射殺した。
残った200人ほどは虎口を逃れ、危うい命が助かって、金海へと帰還した。

この敗戦は日本に知らせられ、豊臣秀吉より、藤堂高虎を遣いとして、直々に批判と
防衛の徹底を求めた書が下された。

こうして脇坂安治は、唐島表において敵船団に討ち負け士卒を多数討たせたことを遺恨に思い、
敵船団ともう一戦しようとあちらこちらと探索したが、終に敵船団に行き会うことはなかった。
ある時、敵の物見の船を見つけ、即座に乗り捕り尽く撫で斬りにして、大将と見えた者を生け捕りにし
牢獄に入れておいたが、しばらくして敵陣へと脱走した。この者は後に唐島表の海戦の時に、
8万の軍の大将となって来たとの事である。
やがてその年も暮れと成ったため、熊川へと引き取った。
(脇坂家傳記)

朝鮮役において、抜け駆けをした脇坂安治が李舜臣の船団に敗北したいわゆる「閑山島海戦」の敗戦の模様である。




720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 07:20:20.50 ID:IauFkIIW
なんか脇坂さんっていつも一か八かの博打が多い気が
この前の秀吉待ちぶせといい、
赤鬼に単身談判といい、
上野城攻めといい(司馬遼太郎「貂の皮」でしかしらないけど)、
この閑山島海戦といい、
関ヶ原での便乗裏切りの素早さといい

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 12:28:48.12 ID:1lW1YO6h
一貫性があるのがいいね!

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 12:36:26.61 ID:kR++sBbf
7本槍なのにいまいちな印象(´・ω・`)

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 14:15:40.22 ID:MDl3PRNH
韓国では脇坂は戦死したことになってるんだったか

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 14:18:53.22 ID:qLXtfEUQ
影武者が本人に成り代り活躍とかなら面白いけど
ウリナラファンタジーのコリエイトだから無いな

信雄の奮戦

2012年10月21日 19:29

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 22:21:38.38 ID:EFQoOfEl
信雄の奮戦

小牧・長久手終盤、天正十二年六月
桑名で伊勢戦線を督戦する織田信雄に急報がもたらされた

『蟹江城の前田長定、滝川一益によってご謀反』
清洲城のわずか三里南に存在する蟹江城を謀略により征圧したのは、滝川一益九鬼嘉隆の水軍
桑名(信雄)と清洲(家康)の連携を遮断するのがその目的だった

「こうしてはおれん。叔父上(有楽)、船団に触れを!」
報に接した信雄は蟹江城と九鬼水軍の連携を遮断すべく奮戦
『大船ニノリカケ敵船ヲ取リ人数討捕候』
と陣頭指揮をとって大いに活躍し、嘉隆らを撃退
一益の蟹江城を孤立させて戦いの勝利に大きく貢献した


家忠日記より、信雄さんの珍しく良い話お話でした




20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 09:18:40.19 ID:2lJiCCqK
ちょくちょくやらかすせいで無能扱いの信雄さんだけど実際は無能ってほどでもないよなあ

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 09:37:44.12 ID:k3bJAbMk
対抗馬の信孝さんの方がよっぽど
外面は良かったみたいだから無能扱いはされてないが

日本丸命名の理由は、

2012年09月19日 20:33

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 21:51:04.05 ID:xbGLf+yu
朝鮮の役における『日本丸』と言えば、九鬼水軍の旗艦として有名である。
ところがこの日本丸、元はその名を”鬼宿丸”といった。
その鬼宿丸が日本丸と名を変えたのは、この様なエピソードによる

大陸出兵のため、名護屋には全国の大名の軍船が集結し、豊臣秀吉はそれを観船した。
と、ここに九鬼水軍の鬼宿丸も現れる。これを見た秀吉は叫んだ

「日本の諸大名が軍船で数多く集まったが、これ程カッコイイ船は未だ見たことがない!
この船は日本においては一番カッコイイ船という意味で、日本丸と名付けよ!」
(日本諸大名数多ク参リ候ヘドモ、コレ程恰好ノヨキ船未ダ見ズ、日本ニテハ一番トイフ心ニテ、日本丸ト名ヅケヨ)

こうして鬼宿丸は、『日の本一の日本丸』となった。

日本丸命名の理由は、カッコ良かったから、というお話である。
(九鬼御伝記)




536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 22:34:41.40 ID:ELXhib7U
のちの大和ホテルである

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:13:31.85 ID:N+tsbxf8
江戸っ子はカッコいいものや凄いものを見ると「こいつは日本だ!!」と言ったらしいが…
ひょっとしてこれが由来?

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:18:33.64 ID:s8cq1jAA
日本左衛門もそうなのか?

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 00:38:28.52 ID:ddNfTXth
お江戸日本橋からの風景は江戸城と富士山が同じ構図内にあった。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 10:30:02.06 ID:EypCEZv5
権現様だったらどういう名になったんだろ?

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 10:54:30.20 ID:0GaEnQMr
「日の本にちなみ『扶桑』と改めよ」

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 15:50:36.35 ID:ob/wPDot
鬼武蔵が健在だったら首桶湾とかも出来てたんだろうな

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 16:17:21.66 ID:+v06Lauw
血染め浜とかありそうだな

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 19:59:23.66 ID:X+QsUgfZ
なにそのBloody Omaha

秀吉、九鬼嘉隆の蟹江の敗戦に

2012年09月10日 20:35

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 19:36:36.42 ID:/iCxmnVj
小牧長久手戦役における、天正12年(1584年)6月の蟹江城攻防戦のうち、舟入の戦いといえば、盟友滝川一益との
合流を果たそうとする九鬼嘉隆が、徳川の水陸軍に大敗を喫し命からがら逃げ帰るという、九鬼水軍の栄光の歴史を
曇らせた、屈辱的敗戦であった。

さて、小牧長久手合戦からしばらく経った後、九鬼嘉隆豊臣秀吉に京の聚楽に呼ばれ、碁の相手をした。
秀吉は碁を打ちながら嘉隆にこう言った

「右馬充(嘉隆)は度々合戦し大いに手柄があった。日本においては2番目か3番目の、腕に覚えのある者であろうよ。」

この言葉に、嘉隆は
「しかし、蟹江の合戦では面目のないことでした。」
そう、秀吉に向かって謝罪した。蟹江の苦い敗北が、未だ心にわだかまっていたのである。

ところが秀吉はこれを聞くと
「いやいや、その方が手柄を成したのは蟹江の合戦の時である!」

「!?」

「撤退しがたい困難な戦場から、無事撤退したではないか。それが手柄である。」
(九鬼御伝記)

豊臣秀吉九鬼嘉隆の撤退を評価する、というお話。





420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 19:41:12.79 ID:O1uEiSgS
粋だねぇ

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 20:55:35.05 ID:QZicFVel
この頃の秀吉はまだ切れ者だった
最後までまともなら朝鮮出兵は無かったかも

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 20:56:00.69 ID:Q6yXxDYQ
自分で金ヶ崎の撤退戦経験してるからかな

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 21:17:39.41 ID:r9jGWneM
>>422
朝倉浅井戦で損な役回りさせられた御二方が後の天下人ってのは胸熱だ

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 21:25:13.86 ID:Ejnpqiiy
光秀「いやあそれほどでも」

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 21:29:11.51 ID:zpokYFvn
池田勝正「それほどでもない」

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 22:08:12.31 ID:llk/cNji
滝川「必死に帰ってきたのにわしの席が無かった」

駿足の家康

2012年01月10日 21:59

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 17:38:30.97 ID:wNhN+rjs
駿足の家康

小牧長久手の戦いの最中、蟹江城が滝川一益に調略され秀吉方となると、
一益は九鬼嘉隆と共に三千の兵を率いて、まず一益が五百の兵と共に入城し、
次いで大野城を攻め始めた

このことを近場にいた井伊直政が家康に報告するために清須城に向かい、
入浴中の家康に告げると、家康は報を聞くなり浴衣のみを着て蟹江へ出陣し、
蟹江にいた一益と船上の嘉隆の間を分断してしまった

この時、随身したのは直政のみ、途中合流した五百余のみで行われたこの行動は
後に家康一代の勝事と言われた




375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 19:16:01.18 ID:scpl3IOl
>>373
褌もはかずに出陣したのか

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 00:15:18.56 ID:30dwQ4ZC
アーッな事する前だったろコレ

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 00:49:12.37 ID:ie1TmtpU
>>373



                     l   /  .r―――┐l
.       ,、r‐''''''''''''''''ー 、      l  /   /      | |
      ,r'         `' 、   ,ゝ、',,,,,,,,_/       | |
     /             ヽ, '     / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
.    / ,             ヽ    / zェ:、、,_   _,,、」,
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、   /.          |
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|   / ヾニ・=   .i=・ コ
   l:,;'"`'、,    .ニ=ミ..  ヾ= 〈  /         l   |  混ざりたいのか、家康?
.   ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン  .., .:::'''"゙, ./      ィ   ,l  .!
    l;゙、',.::l;;;i ///// r   ヽ./// l,/,..     r'`ニニヽ,  .l'、
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,,ヽ  ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'.;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/   ヽ、_
'    ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"i、_,-、/  `ノ;;;;;`-、:、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン      \
      '';;;;;;;;;;;;;;'     二  ,イ  '''   ``'‐.、ーァ'7"        |
       '''''''''  , ‐---,ェr'".         ``'‐.、         |
            `''''''''"",ノ             ヽ         |
            `'---‐'"               \       |
              ヽ                  ヽ      |
                                  /      /
               |                 /      /
                                /      /
丶    ◎   _,,.. -─ ‐- .、.._.   ◎   /   /      /
  `` ‐-----‐ '"         `` ‐-----‐ '"


378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 02:58:07.39 ID:3MNtkTbt
機を見るに敏な家康の話だったのにカワイソス
やっぱ家康は戦うまいな。
三方原の時は寡兵で若かったが小牧長久手以降の家康なら信玄も倒せると思う。

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 03:00:46.90 ID:a1Fv7SHC
家康の戦の真骨頂は機動性と隠密行動の巧さだね。
そのへんは信玄に大いに学んでいると思う。

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 03:30:51.62 ID:B6xEIrgn
石橋を叩いても渡らないと思われている割に
勝機を逃さないのは見事だな

天下人になるだけの才能は持っていたって事なんだろうな

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 09:05:37.24 ID:tYXbS7EK
>>377
謙信さん畠山さんと仲がいいですねw

九鬼嘉隆切腹顛末

2011年05月05日 00:01

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 00:13:03.92 ID:nnu4rXcF
慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の決戦が終わる。

東軍に属した九鬼守隆は家康に必死に嘆願を行い、西軍として動いたその父、九鬼嘉隆の助命を
ついに認めさせた。が、この報が届く前に、九鬼嘉隆は切腹をして果てた。
これには、このような事情があったとされる。

九鬼守隆は家康に従って上杉征伐へと向かう時、九鬼家の重臣である豊田五郎右衛門をその居城、鳥羽城の
留守居として置いた。
が、関ヶ原戦役が勃発すると九鬼嘉隆は石田三成らに与し、鳥羽城を奪わんとする。
この大殿の行動に、豊田も流石に敵し難く、戦わずに鳥羽城を明け渡した。
ところが、この豊田の行動は九鬼家の同僚たちから嘲笑された。

『おおよそ留守居として兵を持ち城を守るというのは、こういう事態の為ではないか。
いかに主君の御父君とは言え、なんと生ぬるい豊田の振る舞いであろうか!』

彼らは集まるとよってたかってこの話をし、豊田を爪弾きにした。豊田はこれを深く口惜しく思った。

さて関ヶ原が東軍の大勝に終わると、九鬼嘉隆はその身を隠した。
豊田は密かに嘉隆の行方を探り、嘉隆と行動を共にした熊野水軍の将、堀内氏善がその居場所を
知っていると聞くと、彼は早速新宮の堀内のところへ行き、こう語った

「この度のこと、長門守様(九鬼守隆)が内府公に必死の嘆願をされ、この度の軍功に変えて嘉隆様の罪を許す、
と言うことになりました。
わたくしは長門守様の命により、嘉隆様を急ぎ迎え、帰国のお供をするように命ぜられこちらに参ったのです。」

堀内からこれを聞いた九鬼嘉隆はその言葉を信じ、隠れていた答志島より出て豊田と共に帰国の途に付いた。
…と、

途中、志摩の和具と言う場所までくると、豊田は嘉隆に突然言い放った

「堀内殿に言ったこと、あれは全て嘘です。
実際には内府公の嘉隆様への怒りは殊の外深く、当家は既に滅びることに決定いたしました。
…どうか嘉隆様、ご子孫の後の栄を期せるよう御計らい給って下さい。」

嘉隆は豊田の言う事を正確に理解した。

「さらば我が首取りて、徳川殿に参らせよ!」

そして近くの洞仙庵と言う寺で切腹して果てた。

さて豊田は嘉隆の首をとって鳥羽へと帰路を進める。ところが伊勢の明星の茶屋にて、本当の嘉隆御赦免の
御教書を持った使いと行き会った。
まさか本当に許されるとは!豊田は大いに驚いたが、それは表に出さず何も知らぬ体でこの使者に応接した。
そして鳥羽に戻ると守隆の御前に参上し

「私は熊野まで行き、大隅守様(九鬼嘉隆)のお供仕ると申し出ました。
所が大隅守様は、『いかに親子の仲とは言え、一度敵となって再び対面に及ぶなどあり得る事ではない。』と
おっしゃいました。私はそれに、なにも問題の有ることではございませんと様々にお諌め申し上げ、『それならば』と
私と一緒に帰国の途につきました。ところが、ご心中では納得されていなかったのでしょう、私の気づかぬうちに
密かにお腹を召され、その上で私を呼ばれ、ご自身の首を私に与える、と仰せになりました。
そうなった以上もはや力なく、お言葉に従って此の様に…」

そう言って嘉隆の首を差し出した。

これには九鬼守隆も唖然としたが、致し方なく嘉隆の首と共にこの事を徳川家康に報告。家康も「不憫の次第である」と
首を返したという。

このしばらく後、豊田五郎右衛門の所業が発覚。九鬼守隆は激怒し豊田を鋸挽きにしたそうである。

九鬼嘉隆切腹の顛末である。




11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 02:11:15.88 ID:cYrjQdhY
どうしてバレた・・・って人の口に戸は立てられぬもの。
しかし、大殿じゃなくて笑った同輩に復讐すべきだろ、普通は

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 10:25:16.61 ID:CX5ggUOf
ちょっと悪い話ところか、かなり悪い話だな……。

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 10:49:07.42 ID:hi4U/LRf
これでは鋸挽きにされてもしかたないわな。

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 12:09:38.99 ID:kPdA4y9I
こりゃひどい

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 12:50:21.49 ID:sgc4N9xr
これってつまり、主君をだまし討ちにしたんだよな
いったい何がしたかったのやら

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 13:01:00.57 ID:fTGb8jWK
家中で嘲笑される原因となった嘉隆への意趣返しじゃねーの

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 14:24:38.60 ID:Owk1gkJk
自分のちょっとした言動が、相手を予想以上に傷つけるんだよな
そして痛いしっぺ返しを喰らう
九鬼親子はとんだ災難だけどさ

豊田は忠臣ぽいのに、まわりは追い込むような真似をしちゃいかんわな
あとでまわりの連中はどう思ったんだろうな

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 14:38:31.09 ID:CX5ggUOf
忠臣……かぁ?

メンタル弱くて保身第一な様にしか思えない。
上手に嘘をついて事態を好転させられる技量があるならともかく、
その技量が無いのに嘘を重ねたせいで、自爆しただけっぽい。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 15:26:34.40 ID:+M2qyL64
後の成り行きはアレだけど、発端の城明け渡しの件は実際問題として
考えたら判断難しくはあるな。
特に九鬼なんてほとんど嘉隆一代で成り上がったんだし、真田の小松さん
みたいな鬼嫁くらいじゃないとなかなか突っぱねるというわけにもなあ。

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 16:00:59.27 ID:9NeyyLrr
せめて一当て程度でも戦ってれば多少の名分も立つもんだけどね

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 16:27:38.76 ID:yV0/qDoC
城の明け渡し自体は仕方ないかもだけど、
結局、嘉隆の為に動いているわけでも守隆の為に動いてるわけでも、
自分に明確な目的(大関、宇喜多系でもいいから)があるわけでもなく、
向ける相手の違う恨みと保身のために動いてるから、人間らしいっちゃらしいんだが、
自業自得で同情できない気がする。