三女下向

2016年05月24日 10:47

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/23(月) 23:49:54.24 ID:dNUJBjsC
大阪冬の陣の和議が整ったものの、豊臣家においては前年の旱魃によって摂津、河内は
甚だしい不作となり、年貢収入が殆ど無い状態となっていた。
その上、大阪冬の陣のため招聘した諸士頭分の者達、並びに武功有る者達は和議のあとも
そのままに抱え置いたため、物入り多く財政難に陥っていた。

そこで大阪方では摂河泉三ヶ国に加えて加増をしていただきたいと、七手組の青木民部少輔(一重)、
伊藤丹後守(長実)の二人を駿府、江戸へと派遣した。

江戸では将軍秀忠より
「委細は大御所と相談し、宜しきようにお計らいなさるだろう。四月上旬には大御所は
上京されるので、その時にこれを解決されるであろう。両人が大阪に帰ればこの事を秀頼公に
申し上げるように。」

との言葉を頂き、これを受けて駿府の大御所家康も

「将軍がそのように言った以上、この件は事済んだ。早速大阪に帰り、秀頼公を安堵させるように。」
と仰せ下した。

両人は大いに喜び早速駿府を出立、道中を急ぐ所に、遠州浜松の入り口において
大阪より降ってきた三人の女性と行き会った。
大蔵卿局二位局正栄尼である。

彼女たちは、両人より駿府と江戸の様子を問い、彼らの首尾を聞くと安堵し
「我々は駿府に下り淀様の御口上を申し上げます。あなた方は帰路を急ぎ、大阪城に登り、
関東の様子を申し上げるように言った。

この時青木・伊藤の両人は思った

『去年、あの三女が関東に下向して、片桐且元を猜疑し、様々に讒言したことによって
終にはあの大乱が起こったのではないか。
それにも懲りず、またあの三女を下されるとは、是非もないやり方である。
今度もどんな災いを引き起こすか…』

二人はそう畏れ、「駿府に向かわず、あなた方もこれより直に大阪に戻るべきです!」と申したが、
「何故?」と三女は全く合点せず、青木・伊藤も持て余し、

「ならば、駿府においては御機嫌を伺う御口上のみも申し上げ、その他のことは一切秘密にして
話さないでください!何故なら秀頼公のお望みは既に落着いたしたからです!
絶対に他のことは申し上げないように。」

そう固く申し含めると、三女もついには納得して駿府へと下っていった。

本当に、去年の騒動もこの三女の口から起こったのである。なのにまた、今年も下されるというのは
浅智の極みではないか。前車の傾きは後車の戒めという言葉を知らないのだろうか。
二人はそう思うばかりであった。

(慶元記)



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是れ、大阪が社稷を失うの第一と成れり

2016年04月13日 15:16

519 名前:1/2[sage] 投稿日:2016/04/13(水) 11:54:58.69 ID:9iw9dGpA
片桐且元が駿府にて幕府との交渉にあたっていた時、大阪においては、「今回は秀頼公の御使者(且元)
ばかりにて淀様からの御使者が無い」と、前々より関東に下った経験があり物馴れた女中三人を下し、
ご機嫌伺いとして江戸駿府の様子を見てくるようにと、大蔵卿局(大野治長母)、二位局淀殿女中頭)、
正栄尼(渡辺糺母)の3人を八月二十三日に出発させた。八月晦日に駿府に到着すると、この三女は
早速片桐且元と対面し、そこから下向の理由を家康側室・阿茶局へと連絡すると、明日登城すべき旨
申し来たため、三女は喜んで用意した。

九月朔日、八つ時(午後2時頃)三女は徳川家康の御前に召し出された。家康は三女の口上を直に聞き、
「秀頼公夫婦、並びに母儀にも恙無く大慶に思う。」と答えた。
三女は謹んで申し上げた
「今度、鐘銘において韓長老が不調法を行ったため御機嫌宜しからず、供養などまで延期を仰せられた事は、
御母子も殊更困惑されています。」
これに対し、家康
「それは世上の聞こえを憚って一段と申し付けたまでの事であり、苦しからず思っておる。」
こう言う家康は機嫌も常と変わらなかったため、三女は大いに喜んで宿舎に帰り、早速飛脚を以って
大阪へ注進。翌日、江戸へと出発した。

そして江戸への御礼を終え、十一日に再び駿府へと戻り阿茶局と対面して江戸の様子を報告した。
阿茶局は御前より下されたという御菓子を贈りながら言った
「今後はあなた方とも、しばしばこの様にお付き合いできますね。ほんとうに嬉しい。」
「…は?どうしてそのように仰るのですか?」

阿茶局は意外そうに
「ご存知ありませんか?しかじかの事により、淀様が関東に下向なさること、片桐且元が大方お請けして、
品川表にて御屋敷の地までも願いの通りに許可されましたから、おっつけ御下向あるでしょう。
その折にはあなた方もお供として同行されるでしょうから、このように申したのです。

さらに且元は本多正信の縁者に仰せ付けられましたし、尚以ってめでたい事です。」

三女は聞くごとに耳驚き、挨拶もそこそこに暇乞いをして、十二日の早朝、駿府を立ち退いて道を急ぎ
遠州浜松の付近で且元に追いついた。三女は先ず万事を知らぬふりをして申した

「かねて案じていたのと違い、大御所の御機嫌も甚だ宜しく、互いに安堵いたしました。」
且元
「そうではない。関東には様々な思惑があって、今回且元には御難題を仰せ出され、私は甚だ迷惑している。」
三女が強いてその訳を尋ねると、且元は三ヶ条の趣き(豊臣家の大阪からの転封、もしくは秀頼の江戸への参勤、
又は淀殿の江戸への下向)を以ってこれを語った。三女は問うた

「この内何れを関東の意に任せるのでしょうか?」

520 名前:2/2[sage] 投稿日:2016/04/13(水) 11:56:09.09 ID:9iw9dGpA
且元は胸中に深慮有りといえども、天下の大事であるからここで軽々しく女に語るべきではないと考え、
あえて「これ皆天下の御大切である。であるが御所替にもまた御参勤にも及ばぬよう、淀様が御下向の儀さえ
御得心あれば、事済むものである。各々帰られれば、この段たって申し上げて欲しい。」と申した。

三女は心に思った。『且元は駿府で既にこの事をお請けし、その上本多正信の縁者になったので、万事関東の意に
叶うよう取り計らうのも当然だ。』そう察すると、先ず「尤もの事です」と同意したふりをして、
そこからいよいよ且元の所存を聞き出そうと同道して上った。近江国土山に宿した夜、且元は三女に申した
「私は去る八月大仏供の延期についての交渉で関東に下り、久しく駿河に逗留していたため、今度の駿府の模様を
板倉伊賀守殿に報告すべきことがある。次の機会にしようとすればまた延びのびになってしまうので、ここから
直に京都に立ち寄り用事を済ませて大阪に下る。あなた方は先に大阪に上られよ。」

こうして三女は土山から直に大阪に登り、九月十九日到着。そして関東のあらまし、また且元の方針を
散々に讒言した。
日頃から関係の悪かった且元の事であるから、三女は言葉を揃へ、中でも正栄尼が申したのは、
「仄かに聞いたことによると、淀様を大御所の御台にもなされるとか。将軍の御台所と御連枝の淀様が
左様な儀は人倫の道にあるまじきこと!これも且元が申し勧めているそうです。その証拠に、淀様が
関東へ下ることが決定すれば品川にて御屋敷地を下さると固く約束なされたとのことです。これは
阿茶局が申していました。その上且元は、君にも伺うこと無く本多佐渡守と縁者に成りました。
これは上を蔑ろにする行為です!」

このように言葉巧みに申し上げると、淀殿も甚だ怒り「私は賤しくも織田信長の姪、浅井備前守長政の娘であり
秀吉にまみえたことさえ常々口惜しく思っていたのに、今関東に人質として下される事思いもよらぬ!
その上家康の妻と成るなど、無念の至りである。秀頼、もし私を関東に下すというのなた、生きて恥を
抱えるより、ここで剣に伏せるにしかず!」そう涙を流して訴えた

秀頼も「母を売って何の面目があるだろうか。それは考えもできないことだ。片桐が登城すれば
その実否を正そう」と発言した。

大野治長、渡辺糺といった奸臣たちは、普段から且元を強く憎んでいたため、折を得たと様々に
讒言を構えた。

是れ、大阪が社稷を失うの第一と成れり。

(慶元記)