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伊達輝宗の遭難と二本松義継の滅亡

2020年03月04日 18:06

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/04(水) 15:10:08.64 ID:ip48Zz9x
伊達輝宗・政宗御父子が大内定綱を塩松に攻め、早速手に入れられると。輝宗公は近日、この大内定綱と姻戚関係にある
二本松へ御出馬されるべく、その周囲の要害を詰め落とした。

この伊達の急激な動きに、二本松義継は、重臣である二本松四天王の面々に向かって宣うた
「私が小勢を以て大敵と戦った場合、勝負は運に依るだろうか。」

「大勢に一人向かうのは益がありません。小を以て大に敵するといいますが、今当家の力を以て、伊達・田村の
大敵と対峙するのは、頗る以て難しい事です。」

こう言われ、義継はまた宣った
「それならば、私は兜を脱いで降人となり、輝宗の元に出仕して兄弟の交わりを成し、婚姻の義を約して、
先ずは事を無為にするように謀ろう。すると私が帰る時には、輝宗は悦び必ず見送るため座を立つであろう。
その時の輝宗の胸ぐらを無手と取り、縁より引き落として九寸五分の脇差を輝宗に指し当てて舘より引き出せば、
伊達家の者達もどうしてこれを阻もうとするだろうか。」

そう言って、天正十三年十月八日に、二本松義継は降人となって伊達輝宗の元に出仕した。
この態度に輝宗は斜め成らず悦び、義継を饗応する事、限りないほどであった。しばらくして事終わり、
義継は暇乞いをして帰ろうとした所、案の如く輝宗は、御門送りの御礼に立った。

ここで義継は輝宗の体を無手と取って縁の下に引き落とし、輝宗の口先に脇差を脇差を突きかけ、舘より引き出した。
そして鹿子田和泉守を始めとした一人当千の兵二、三人が輝宗を取り囲んで進んだ。

伊達側は数千の軍勢が充満してその後に袖を連ねたが、輝宗を救おうにも方法が無くただその後を追い、輝宗公に対して
逆心が犯せられた事を嘆き悲しんだ。輝宗からは他に言葉もなく、義継に脇差を突きつけられ「申すな申すな!」と
言われており、もし奪い取ろうとすれば輝宗公の御命は無いであろう。

伊達勢は驚周章騒してどうして良いのか進退を失った。その時、嫡子である政宗は御鷹野に他行していたのだが、
御鷹野場に人二人を走らせ急ぎこの事を知らせ奉ると、政宗は御物具をも帯びず、取るものもとりあえず御鷹野より
直に追いかけ、早くも平石の内、アハノスはで十里という所で政宗は一行に追いついた。

政宗はこの時とっさに考えた
二本松義継が川を渡り二本松に戻ってしまえば、政宗がどれほど心猛くとも、輝宗公が擒となり、二本松の城にて
戒めを蒙り、捕らえて盾の面に当てられれば、伊達と二本松が戦っても、伊達が戦に勝つことは出来ない。

だからといって政宗が降参し、父親の命を請うたとしても、二本松に留め置かれ伊達に帰ることは万に一つも無いだろう。
そして二本松の旗下に成ってしまえば、伊達家の滅亡もその時である。

不孝には三つ有るという。その中でも跡継ぎの無い事が最も大きな不孝であるとされている。
そういう事であるなら、父一人を捨て、子々孫々まで伊達の御家一族繁盛させるのは、却って一家への忠孝である!』

そう思し召したのであろう、正宗公は馬に乗り掛かられると
「親共に討ち取れや者共!」
と下知した。

伊達衆はこの下知に一斉に競り掛かり、義継主従を真ん中に取り囲み、逃さぬ構えをとった。
この時、二本松義継の運命は既に尽きていたのだろう。実は義継は予め迎えの合図を定めており、二本松の兵たちは
この合図によって大勢が出てきていたのであるが、どういう間違いが有ったのか、沼によって道が隔てられた
別の場所に出てしまい、この場に一人も間に合わなかったのである。運の末とはこういう事なのであろう。

こうして二本松義継は滅亡し、そのまま政宗は二本松へ馳せ向かいこれを攻めたが、留守居の新城弾正、同名新庵が
堅固に持ち堪え降参しなかった。十一月十五日に政宗は再び攻めたが落城しなかった。このため塩松に陣を引き、
翌年三月十一日、二本松方の簑輪玄蕃、遊佐源左衛門、本宮の遊佐丹波、伐江新兵衛の四人、この他四、五人が
二本松に対し逆心し、箕輪舘まで片倉小十郎を引き込んで、本町、杉田町に火を掛けて焼き払い攻め上るのを、
城中より出向い、簑輪舘の片桐小十郎勢を散々に切り立て十人ばかりを打ち取った。
二本松は七月十五日まで籠城したが、結局開城し、そこには政宗の伯父にあたる成実が入った。

藤葉榮衰記

伊達輝宗の遭難と二本松義継の滅亡について。



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/04(水) 18:33:57.72 ID:KljVSlqr
>政宗の伯父にあたる成実
そういや父系だと成実は一世代上だっけか

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/04(水) 19:58:27.30 ID:sqTtV4Sg
政宗の従兄弟であり叔父である成実
ややこしいな

882 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/03/05(木) 00:53:28.09 ID:8eN+y0vz
おじではないよね
成実の父は晴宗の弟(つまり輝宗の叔父)、母は輝宗の妹

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/05(木) 01:39:47.06 ID:1pXv6WeJ
成実からみて
政宗は年長の父方のいとこ甥かつ母方のいとこ
母親は父方のいとこ
正室は父方のいとこ姪
継室は父方のいとこ姪かつ母方のいとこ

伊達家の家系図は複雑怪奇

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蘆名盛隆と美麗な小姓

2018年05月15日 21:02

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/14(月) 19:27:57.57 ID:l7ZwV+IQ
蘆名盛隆の麾下であった二本松義継の小姓に非常に美麗な者があり、盛隆はこれを貰い受けたいと
伝えた所、義継は「あの小姓は随分甲斐甲斐しいのだが、悪しき所もあり、やめたほうが良いと
思います」と答えた。

盛隆は義継があの小姓を手放すことを惜しんでそのよう事を言うのだと思い、不満を漏らした。
しかし義継としては、惜しむような気持ちは一切なかったので、「そこまで思われているのなら」と、
かの小姓を盛隆の元へ遣わした。

盛隆は2,3年はこれを寵愛したが、次第に疎となり、またこの小姓の噂を、近侍の医者に
色々と申し聞かせ、この医者がさらにこの事を様々に語った。
これをかの小姓は深く恨んだ。

ある時、蘆名盛隆は鷹を据えて縁の柱に寄りかかり、近くの者たちにこれを見せていた所、
かの小姓が通りかかった。盛隆は小姓の名を呼び、「お前もこの鷹を見よ」と進めた。
小姓は「心得候」と返事をするや、刀を抜いて盛隆を二刀斬りつけるとそのまま走り去った。
この時盛隆の周りには武士が5,60人居たのであるが、皆狼狽えたのか慌て、かの小姓を
討ち止める者は居なかった。

小姓はさらに、噂を広めた医者の所へ向かい門を走り抜けようとした所、門番が不審に思い
彼を止めた。そこに追手の者達が追いつき、小姓を討ち取ったという。

(老士雜談)




754 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/05/14(月) 20:39:11.24 ID:u5qrCqxx
小姓「衆道とは修羅道と見つけたり」

右京進川を越さんとする所にて

2014年06月21日 20:28

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/21(土) 18:24:36.17 ID:zlgHiM+q
伊達政宗が十六歳の時、彼が鷹狩に出た後に同国にいる二本松右京進が
伊達家にやって来て政宗の父輝宗を偽って生け捕った。右京進は大力なので
輝宗を馬上に抱えて連れて行った。これは人質に取ろうということである。

政宗は途中でその事を聞いて俄かに追いかけ、「父を奪われてはならない。
もし取り返すことができないならば、共に右京進を討ち取れ!」と一目散に
追って行き、

右京進が川を越そうとするところで近付き、矢で右京進を射落として輝宗を
無事に取り返し、この勢いに乗じて二本松を討ち平らげ、それから会津白川
をも討ち従えて武名を国中に轟かせた。

(右京進川を越さんとする所にて近付き矢にて右京進を射落し父輝宗を無事に
取り返し此勢ひに乗じて二本松を討平らげ夫より会津白川をも討随へ武名を
国中へ轟しける)

――『明良洪範続編』




177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/21(土) 18:38:13.84 ID:y2MNVRIX
遺体を無事に取り返したんでしょ