人が伝える話も時々違うものだ。

2016年10月18日 18:32

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/17(月) 23:58:55.58 ID:GuZsnBMu
能役者の古事

 人が伝える話も時々違うものだ。

 予が若年の頃、能役者笛吹の清甚兵衛が語ったことは以下のようなものであった。
「私どもはそもそも、奈良春日の神職の中からでました。
大夫、脇師の如きも同じです。」
と聞いていたが、この五月観世の宅に能見物に行ったとき、その弟四郎に、
『同職の今春大夫は奈良の神職か?』と問うたが、
そうではないという旨が返ってきた。
ならば『年々奈良の神事に赴くのか?』と問うたら、
「私の家の如きも以前はかの神事に同じく行っていましたが、
神祖の仰せで、『観世は行くに及ばず』、とのことが有りましたので今は赴きません。」
との答えであった。

 また大阪茶臼山の御陣所にも観世は御供していた。
そのときいつもは暇なので、こよりを多く持っており、
それを使って戦士の甲冑の毛ぎれ、あるいは損じたものにつぎ合せていたら、
人々はそれを重宝がり、こよりを観世から請い求めたという。
 予がかつて聞いたことに、道成寺の能の鐘の内には面の紐無かったので、
一時的に紙をよって面につけたことから起きたと。
この話とは異説である。しかし正しく子孫の伝なので用いるべきであろう。

 予はまたかの御陣中には何の御用を為したのかと尋ねると
「謡を度々命ぜられ、折には御囃子もあったと書き伝えております。」
との答えが返ってきた。
なので御陣中とても、今の治世に想っているものとは全く違うものだ。

 また、大夫[左衛門]の話では、
神祖の頃には、御出陣に謡うには必ず弓矢の立合と決まっていたそうだ。
[今では正三の夜に、御謡初として御前で謡うものである]
また御出船のときには船の立合を謡うもという。
この謡は今の乱曲の中に見えるが、多くの人は知らないものだ。

 かつて或る人の話に、
太閤名護屋在陣のとき、慰めに狂言をされた。折節”止動方角”の狂言をすることとなった。
神祖に太閤は「何の役をやりたいか」と問うと
神祖は御答として「某は何でもいいです。しいて言えば馬になりたい。」
と仰って馬となりなさった。
そこでは鷺仁右衛門の祖は太郎冠者として、恐れ多くも神祖に乗ったという。
今では鷺の家ではこの狂言は憚ってやらないと聞いた。
 しかし近頃今の仁右衛門がこの止動の狂言をしたので、
ある鼓の者に頼って鷺に以上の話をしても、今までそんな話は伝えていないとの返事であった。

ならばこの説は誤伝であろうか。
(甲子夜話)

諸説入り乱れる能役者逸話集




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