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伊達政宗、慶長六年(1601)四月二十一日付書条

2018年12月21日 22:38

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/21(金) 08:42:56.71 ID:c/bw3w7S
伊達政宗の有名な書条訳してみた

伊達政宗より今井宗薰に與へたる書(慶長六年(1601)四月廿一日)

 追って飛脚にて申し上げます。さて庄内についてですが、昨冬最上に加勢した時、庄内衆も打ち出たのを、谷地と申す所に
庄内の城主取り籠め、命ばかりの体となり、懇望し、罷り出たため、庄の城も明け渡しました。しかる所に、川北に東禅寺と申す
城持ちがあり(志駄義秀)、これと交戦するため城を囲みましたが、かねてから最上の衆が少々遣わされており、合戦に及ばず
明け渡し、これによって庄内は悉く平定されました。
一昨日は山形より修理殿(最上義康)の飛札を預かりました。修理殿が今回のことで熱心に働かれた事、一方ならぬものでした。
この事は報告されるべきだと思います。

 このように庄内が平定されたのも、去る冬に我々が最上に加勢し、庄内城主のしも(下秀久)と申す者を押さえて置いた故です。
また修理殿の働きの顕れでもあります。それぞれの人々に詳しく伝えてはおりませんので、貴老より物語頂けますように。
出羽守(最上義光)の時代では中々このようにはかばかしくは行きませんでした。不思議なことです。

一、伏見に皆々お越しに成ったとのこと、珍重です。この上は大坂の御用心こそ重要だと、私は考えています。
  直接には(家康は)どのようにお考えに成っているのか、本多正信などにも良き折にお尋ねください。
一、とにかく私の願いは、秀頼様が幼少の間は、江戸か、もしくは伏見でも、内府様(家康)のお側でしっかりと置き、
   大人らしく御成人されたなら、その時はいかようにも内府様御分別次第に御取立もなされば良いという事です。
   又、いかに太閤様御子だといっても、日本の統治を行えるような人物で無いと内府様が判断されれば、二、三カ国を
   与えるに留めるべきです。秀頼様の今後の進退を長々と放置していては良くありません。
   今のように大坂にぶらりと置いておけば、時分によって世を乱そうとする者が出てきて、秀頼様をその盟主とし、
   謀反など起こすでしょう。それ故に何も知らぬ秀頼様を切腹させることに成れば、太閤様の亡魂の為にも、
   悪しきことと存じます。
一、私としては、さしあたってこの意見だけでも申し上げたく、第一秀頼様の為でもあると考えています。本多正信などに、
   戯言のようにでも、是非お話下さい、
一、大納言様(徳川秀忠)が江戸に下向されるのを待っています。
一、伏見に女房たちが早々に越してくるようにと、両人の所に申し遣わしました。それについて萬々御意見を頂けますように。
一、五月五日の帷子など、進上して頂けますように。各々へも進上するようにと申し遣わしました。

 丁度今、馬の調練をしてきたため、どうにも手が震え非常に読み辛い文章になってしまいました。どうか他見されませんように。
 恐惶謹言

 四月二十一日           政宗(花押)
   宗薰老へ(河内觀心寺藏)



591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 13:30:51.71 ID:4szgCXxf
>>584
慶長出羽合戦のあとか東北の人は長距離移動してて大変だな
今井宗薫はなぜそんなに政宗に片入りしてたのかね

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 14:52:36.78 ID:Os2XX0rx
>>584
これと同じ日の1601年4月21日付今井宗薫伊達政宗書状がもう一通あるよね
そっちでは政宗が諸大名の妻子は江戸に住まわせるべき
箱根や足柄に番所を置けばさしずめ広い籠の中にいるみたいなものだ
手始めに私から妻子を江戸に送りましょうかなんて言ってる
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日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙

2014年08月22日 18:52

586 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 04:12:22.03 ID:k/wP8bZN
※顔文字を用いた逸話ですいません

日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙

(●∀・)「よぁ、忠宗元気か?急ぎ用件に入るよ。家康のとっつあんの法要に合わせて、日光に諸大名が燈籠を献じるんだって?

江戸では噂になってるんだろうが、仙台にいる俺のとこにはそんな話はなかなか届かなかったよ。

ちぃ!油断した!

だがしか-し!そんなイベントを知らなかったじゃ済まされんだろ?

話を聞いてすぐに土井利勝を脅…、いや土井に頼んで伊達家が燈籠を設置するのに相応しい場所をゲットしたぜ!

石の燈籠じゃ期限に間に合わんから、みんなが驚く様な鉄製の燈籠を職人にオーダーしたよ!

手当を弾んで急がせて、10日くらいで作らせる。

完成次第日光に送らせるから安心しろ。」

(●∀゚)「(今井)宗薫よ、おめえとはマブダチだと思ってたのに、なんでこんな重要な話を手紙の端にも書かねえんだ?
危うく他家の笑い者になるとこだったじゃねえか!?」

(●∀・)「あ、(桑山)左近さん、江戸の噂話を知らせてくれてありがとう!政宗助かったよ!」
家康の一周忌に合わせ
政宗は鉄燈籠を献じに日光と江戸へと上がった

政宗の性格がよくわかる、日光の鉄燈籠献上の手紙にまつわる話




588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 07:41:22.12 ID:HYzwZq+e
>>586
土井さんに難癖つけて、対応するのは酒井さんか。

伊達政宗、豊臣秀頼の扱いについての提言

2014年01月03日 18:41

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 19:38:38.07 ID:50GdH7Yn
慶長6年(1601)4月21日付、今井宗薫宛て伊達政宗書状、より

『一、以下のことは私の願いであります。
   秀頼様はご幼少の間は、江戸か、もしくは伏見において、内府様(家康)のお側に
   しかと置き申し上げて、立派に御成人なされれば、その時はいかようにも、内府様の
   ご分別次第にお取り立て差し上げれば良いと思います。

   また、いかに太閤様の御子であるとはいえ、日本の置目を執り行えるような人物で
   なければ、内府様はそれを判断され、2,3ヶ国も与えおくべきでしょう。そのように
   進めるのが、秀頼様のご進退として良き判断だと考えます。
   何故なら、今のように大阪の方にふらりと置かれたままでは、時勢によって、世のいたずら者共が
   出てきて、秀頼様をその主などと担ぎ出し、謀反を起こすこともありえます。

   そんな者達の為に、何もご存知なく秀頼様が腹を切る事態になれば、太閤様の亡魂のためにも
   悪しき事だと思っています。

一、私ではなく他人の意見のようにして、さしあてて、この意見を、見計らって内府様に申し上げて頂きたいと
  思います。第一、これは秀頼様の御為であると考えます。
  本佐(本多佐渡守正信)などには、戯言のようにしてでも是非語って頂きたく思います。』

(歓心寺文書)

有名な、伊達政宗による、豊臣秀頼の扱いへの提言である。




19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 17:51:27.77 ID:0glh2iE3
いたずら者筆頭がまーくんなのですね。わかります

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 19:04:01.12 ID:5A9KPlJT
つまり…大坂だと介入しずらいので秀頼様を江戸に置いてくださいと?

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 08:48:37.24 ID:5WRZvM+z
実際に起きた事を考えるとこの提言は慧眼だな

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 10:03:15.59 ID:xcsPZ33V
誰かの入れ知恵入ってるっぽいな

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 11:53:46.14 ID:DyNSvgKB
(俺が天下を取るには)豊臣家が存続してた方が都合がいい。疑いの目は分散させるに限るしなwそれに豊臣の次は俺か島津を潰しにかかるだろうし・・・ぐらいにしか思ってないかと。まーくんだしw

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 17:35:46.76 ID:vYuYU8Ur
そらまた随分と捻くれた見方だな

伊達政宗、慶長6年(1601年)初頭今井宗薫宛書状

2011年03月31日 00:01

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 11:42:41.51 ID:n96kxtNj
最近、「葵徳川三代」の大坂の陣付近の話を見ていて
思い出したことがあったので、記載する。
(まだ、まとめサイトにもなかったと思う。)

関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)初頭
伊達政宗は堺の豪商、今井宗薫(今井宗久の息子)に預言書のような
手紙を出している。


( ●_ ̄)<今井宗薫 様へ

「秀頼様が幼少の間は江戸か伏見か、とにかく家康公の側に置き、
成人し天下の政道を行う、一国の主たるべき人物にならなかった場合は
2~3カ国程の大名にした方がよいでしょう。今のように母子を切り離さず
大坂に置いておけば、秀頼様を担いで謀反でも興し、
何もご存じない秀頼様が腹を切る事になります。それでは
亡き太閤殿下の亡魂に対して相済みませぬ。自分から申し上げると角が立つ
恐れがありますので、貴殿から家康公の側近の本多正信殿などに
ご相談して頂けないでしょうか」


今井宗薫は当時、徳川家康に接近し、政宗の娘”五郎八姫”と家康の息子”松平忠輝”婚約成立
に尽力し、晩年は徳川幕府に仕え、大坂の陣で被害を受けた堺の復興に務めている。


政宗の予言通り、13年後の慶長19年(1614年)に大坂冬の陣が勃発する。
大坂冬の陣の直前、豊臣秀頼側は軍備を整える一方で政宗に和平交渉を申し入れている。

徳川寄りの政宗に和平交渉を頼んでいる事に違和感を感じるが、実は関ヶ原の戦いの直後
政宗は上洛し秀頼親子に謁見した節があり、それを豊臣方は後々まで頼ったようである。

しかし、和平交渉を申し入れたが時既に遅く開戦となる。


「葵徳川三代」で秀頼の台詞として

「島津も伊達もやって来なかったではないか・・・」

という台詞がある。

また、今から15、6年前に放映された「愛と野望の独眼竜伊達政宗」という作品では
政宗と秀頼の仲は良好に描かれており、秀頼の命を何としてでも助けようとする政宗の苦悩が
滲み出ていた。

少なくとも、政宗は豊臣家に対して気にかけていた節があり、豊臣家も政宗に期待していた節がある。




641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 11:46:21.52 ID:vj6BSitE
政宗さんいい人じゃん

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:26:56.41 ID:KQ8tNJJd
関ヶ原直後でコレは何というドライ思考
こういった人は計算には入れども、宛てにして頼っちゃダメだね

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:33:41.88 ID:Lt1PkM9W
まあ、これに関しては

> 「秀頼様が幼少の間は江戸か伏見か、とにかく家康公の側に置き、
> 成人し天下の政道を行う、一国の主たるべき人物にならなかった場合は
> 2~3カ国程の大名にした方がよいでしょう。今のように母子を切り離さず
> 大坂に置いておけば、秀頼様を担いで謀反でも興し、
> 何もご存じない秀頼様が腹を切る事になります。それでは
> 亡き太閤殿下の亡魂に対して相済みませぬ。自分から申し上げると角が立つ
> 恐れがありますので、貴殿から家康公の側近の本多正信殿などに
> ご相談して頂けないでしょうか」

豊臣への心配というより、どちらかと言えば政宗からの
『徳川家が豊臣家をどう処分してもオッケーっすよ!俺は支持するっすよ!』
って、徳川上層部への政治的表明だねえ。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 12:55:23.94 ID:ojVgVBsx
>640
母子ともに大坂で一緒にしておけば処分できるのか。これはいいことを聞いた。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 13:18:23.65 ID:IWq7kr56
>>640
大坂の陣の時、政宗は倅の乳母に秀頼・淀ザマーな書状を送っていたかと

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 13:31:04.99 ID:38R2Mlcw
そういえば思い出したが、一時期『日本のゲルニカ」などと持ち上げられた黒田版大坂の陣屏風は、
実際には「君主が間違った政治判断をしたらこういう目に会うんだぞ。」っていう、
自戒を求める意味合いが大きいとか。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 21:02:08.21 ID:djVXKqMr
>>640
来てくれなかった伊達は政宗じゃなくって、秀宗のことだよ、たぶん
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