夏目吉信の鑓

2014年10月07日 19:06

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/06(月) 19:52:32.82 ID:fsTcBiwl
大阪夏の陣、5月7日の戦(天王寺・岡山合戦)において、幕府旗本の今村伝四郎正長は一番鑓をして
敵陣に駆け入り血戦していたところ、乗馬が鉄砲に当たり徒立ちとなった。
これを見た、青山伯耆守忠俊隊の組下である近藤忠右衛門は、自分の馬を今村に与えた。
今村伝四郎はこれに乗って敵陣に駆け込み首を取って帰ったが、またその馬も乗り放してしまったので、
再び駆け入って終にその馬を探し出し、敵の首一級を添えて近藤に返した。

その年の12月、徳川家康は今村伝四郎を御前に召し、当日の戦功を賞した。
「昔、梶原景時が二度駆けを行ったのは、その子である源太景季を助けるためであった。
汝の二度駆けは近藤の馬を取り返すためであり、義の当たる所、梶原にはるかに勝る。
誠に一騎当千の勇である。」

そう絶賛しその時召していた胴服を脱いで与え、その後千石が加増された。

ところで、この合戦において今村の携えていた鑓は、三方原の合戦において夏目二郎左衛門吉信が、
家康の身代わりとして討ち死にした時に用いたものであった。

夏目吉信の子、長右衛門信次は、今村の伯母聟であり、その縁を以って
「正長の行末の忠功、我が亡き父にあやかってほしい。」
そう言って今村に贈ったものであった。

そして今度の合戦で、かかる天晴な働きをしてその鑓に恥じぬほどの武名を顕したと、感じ入らぬものは
居なかったという。
(武徳編年集成)



20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/06(月) 19:56:02.49 ID:oqYFTrfC
正統派のよい話だ

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/06(月) 20:06:39.82 ID:2LGOJlpH
お馬さんって結構逃げていなくなっちゃうものだったんかね

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