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大阪夏の陣直前、大野治長襲撃事件と牢人間の分裂

2020年09月28日 18:09

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/28(月) 18:01:53.65 ID:J1AvwdnW
慶長二十年

四月十二日
京都の板倉伊賀守(勝重)より飛脚到来。これの申す所によると、去る九日の夜、
大阪の本城よし大野修理太夫(治長)が宿舎に帰る所、何者とも知れぬ人物がその跡をつけ、
脇差で修理の左の脇から肩先に突き抜いたという。この者は突き捨てて一町ほど逃亡したが、
そこで修理の郎党達が追いつき切り留めた。
この者は修理太夫の弟である主馬(治房)の家来であったという。

この事件によって城中の緒牢人は、互いに疑いあい騒動と成ったという。

十三日
今日、大阪より織田有楽、同息・武蔵守(尚長)が大御所の元に参り御前に出た。
大阪の情勢は現在、諸牢人が三つに分かれているという。

七組の頭、大野修理太夫(治長)、後藤又兵衛(基次)の一組、
木村長門守(重成)、渡辺内蔵助(糺)、真田左衛門佐(信繁)、明石掃部助(全登)の一組、
大野主馬(治房)、長宗我部宮内省輔(盛親)、毛利豊前守(毛利勝永)、仙石豊前守(秀範)の一組

この三つに分裂しているのだという。

『駿府記』

大阪夏の陣直前の、大野治長襲撃事件と牢人間の分裂について。



370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/28(月) 23:43:19.12 ID:CFvMgXPO
取次の退去で冬の陣になりーの
自分で出した分も含めて和睦条件がこなせないままこれまた取次の治長が家中問題で襲われ―の

もうまるで統制も取れてないな

大野治長は片桐退去までの行動は最悪だけどその後の行動はかなり現実的よね、まぁ周りからすりゃ原因のお前がなに止める側に回ってるねん感もありそうだけども

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/29(火) 00:11:07.87 ID:0Z7Z+w/e
片桐退去の時点でもう滅亡するまでやり合しかなくなってしまったのに、
その主犯だった大野がなんとか外交的に豊臣が残るだろうなんて甘い考えにすがるのは、今さら感がものすごい。

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/29(火) 00:50:50.34 ID:143NSg4c
講和時点でちゃんと和睦条件こなせるだけの器量が秀頼にあればあんな無様な事にはならなかったろうけど
そもそもそこで和睦条件こなせるだけの器量あったら最初から揉めないというなんとも言えない状況が
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仙石秀久の息子について

2012年11月29日 19:50

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 20:33:19.68 ID:hxqGvG8V
仙石秀久長宗我部元親といえば、耳川の戦い戸次川の戦いでの大敗という大きな因縁がある。
その因縁は彼らの子弟にも、不思議に受け継がれていた。

長宗我部元親の後を継いだ盛親が、関ヶ原で西軍に付き、改易され京で寺小屋の師範をしていたこと、
これは有名である。

一方、仙石秀久は東軍に付き、彼の仙谷家は近世大名として生き延びた。
ところが、である

秀久の跡継ぎである仙石秀範は関ヶ原において、父とは違い西軍についた。
そのため戦後、秀久より廃嫡・追放処分を受けた。

こうして仙石秀範は京に牢人し、奇しくも彼も、寺小屋の師範となった。

そして大阪の陣が起こる。仙石秀範も、長宗我部盛親と同じように豊臣方として大阪城に入城した。
この時秀範は豊臣秀頼より、大名格として三万石ほどの所領を与えられたという。
しかし夏の陣で豊臣家が崩壊すると彼は行方不明となる。討ち死にしたとも、丹波に逃亡したのだとも伝わる。
そして、秀範の息子である長太郎、この時十歳は伯耆で捕らえられ、閏6月22日、乳母の子とともに
六条河原で斬首、晒し首とされた。


関が原後、不思議にも長宗我部盛親とほぼ同じような人生を送った、仙石秀久の息子についての話である。




526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 20:37:49.50 ID:mC8QOvN4
もし十河存英も浪人中、寺子屋で教えていたら面白いのに

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:00:15.73 ID:7gcmoWU5
シンクロニシティwとか好きな人は昔からいたんだなー

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:07:25.80 ID:i0SBGpEe
>>525
まてまて、耳川じゃねーだろ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:12:46.68 ID:hxqGvG8V
>>528
うわ、なんで耳川なんて書いたんだろw;

>>525
1行目

× 耳川の戦い
◯ 戸次川の戦い

申し訳ない

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:13:25.17 ID:eYxSm6Lj
耳川は龍造寺が島津にフルボッコされた戦いだったような

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 21:44:32.63 ID:sbemlcRK
いやいや、一条兼定が長宗我部元親に敗れた戦であろう
それとも柴田勝家が上杉謙信に敗れた戦いだったかな?

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:23:40.95 ID:xvXPbHwF
>>530
それ田手畷の戦い
耳川は日向に進出してきた大友勢を島津がフルボッコにした戦い

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:41:47.33 ID:xvXPbHwF
あれ、田手畷じゃなくて沖田畷だった
詫びとしてちょっとすてがまり要員として井伊勢に吶喊してくる

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:46:25.07 ID:HGwaImoa
でも井伊直政撃った本人は薩摩に帰れたような

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 00:12:54.99 ID:GxJjnsEb
>>535
柏木源藤さんか
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6524.html
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6519.html
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-858.html

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 08:24:34.16 ID:ad3LN7d1
宗麟の子分のカニ怪人を釣ったのが耳川
クマーを釣ったのが田手畷
センゴクと信親と十河さん釣ったのが戸次川

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:28:05.83 ID:4awvqKpm
>>537
沖田畷だろw

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:44:27.85 ID:CG4P9gBD
もう何が何やら

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 09:59:31.59 ID:/mCku+bg
家兼じいさまが鍋島祖父と大内を蹴散らしたのが田手畷
島原の戦いは沖田畷

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 11:08:37.38 ID:zK9ZsB66
結局、全部島津の釣り自慢でおk?

仙石秀久と長曽我部信親と十河存保・悪い話

2008年10月16日 10:47

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/12(火) 07:13:45 ID:0By7/lLV
四国で泥沼の争いをした長曽我部信親と十河存保
二人とも仙石秀久のせいで戸次川の戦いで戦死する
十河は九州仕置きの後改易
長曽我部は関ヶ原の後改易

でもそれから30年後に再び仙石と十河と長曽我部が共に味方として戦うときが来たんだな
十河存保の息子の十河存秀と仇敵長曽我部家の元大名長曽我部盛親
さらには憎き仙石秀久の次男仙石秀範

三人とも大阪の陣で大阪方について、そろって死んだ

人の縁の不思議な話