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現在刀脇差を差すのは

2019年03月22日 12:45

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/22(金) 09:01:12.17 ID:OztkscXW
天文年中に、武田信玄が武器制作のことを諸臣に命じて、その議論を記録した『武具要説』(高坂彈正の
著とされる)という書がある。
その中に刀脇差について、長短得失の論が有る。信玄の頃より刀は大小を差すようになったものと考えられる。
現在刀脇差を差すのは、戦国の風俗が、今に伝わったものである。

(安斉随筆)



740 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/03/22(金) 10:50:26.30 ID:tK1z/NHF
二本差しって調べたら大小腰にさすだけじゃなくって違う意味もあるのね
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「江源武鑑」について

2019年03月20日 22:42

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 08:18:03.16 ID:qDltLKH6
「江源武鑑」
偽書である。これは近江坂本雄琴村の民、澤田喜太郎という者、青蓮院法親王に奉仕して
禿童となり学問し、後に銀の茶碗を盗み売ったことが露見し追い出され田里に帰り、
自分が佐々木の嫡流であると偽って、佐々木の系図に加筆して、自分の先祖を拵え、
かつ佐々木の日記と偽って江源武鑑を作り刊行した。また大系図も彼が作ったもので
偽りが多い。

また、「和論語」「足利治乱記」「浅井日記」「異本関原軍記」「異本勢州軍記」等も
彼が作ったもので虚説である。

佐々木義実、義秀、義郷は彼が作った人名であり、彼の先祖であると言うが、その名は有っても
実体は存在しない。

彼の虚説を用いた書は、「国家治乱記」「異本難波戦記」「三河後風土記」「武家高名記」
「和州諸将軍記」「浅井始末記」「浅井三代記」「乗国太平記」「日本将軍伝」「諸家興亡記」
「武家盛衰記」「東海道駅路鈴」等である。

(安斉随筆)

江戸期の偽書認識の一端



798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 08:51:10.98 ID:Zb0XR6PE
江戸時代の偽書はあまりにも多すぎて、いい研究対象になっているぐらいだからなぁ。

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 09:53:53.58 ID:ppHoo6uJ
お市が信長に小豆の袋を送って袋のネズミだと知らせた話は史実じゃないんだっけ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 10:36:20.19 ID:SyiHyU0d
>>797
多過ぎワロタwもう作家だろコイツ

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 12:48:06.05 ID:2AEdCFPa
>>799
史実だと小豆の袋を送ったけどこんなつまらん物送ってきやがってとかで投げ捨てられたんだよな

802 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/03/20(水) 12:59:13.18 ID:HCpm40Hv
>>797
おいキタロウ!

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/20(水) 21:09:32.98 ID:T+/AoRxv
幕末の佐々木六角源氏太夫よりは
佐々木氏を研究してるな

タバコが流行り始めたのは、久しく昔という訳では

2019年03月17日 18:54

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/17(日) 13:06:28.81 ID:VEmyViUy
私(伊勢貞丈)の若年の頃、ある老人の物語して、たばこと申す物は古来は存在しなかったのだが、
天正年中、切支丹宗門というものが世に広まった時節より、たばこも始まったのだという。
ということは、元来は南蛮国などで産する草であったのだろうか。

以前はキセルなどを作る細工人も稀で、値段も高く、末々の者ではなかなか求めることも出来ず、
竹の筒に穴を通し、先の方を火皿としてタバコに火を付け吸っていた。

タバコは元は西国筋より流行り始め、中国五畿内でも人々はもてはやしたが、関東筋ではタバコを吸うと
いうことを誰も知らなかった。いつの程にか段々と流行りだし、またキセルを作る細工人なども多くなったため、
竹の筒のキセルなどという物も廃れた、というようなことも、かの老人の物語ったものである。
これらから考えると、タバコが流行り始めたのは、久しく昔という訳では無いように思われる。

(安斉随筆)



728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/17(日) 18:20:13.34 ID:5akfMxjR
タバコみたいな美味いの何でみんな吸わないのだろう
高くて手が出ないのかな

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/17(日) 23:28:56.83 ID:t4iSdy89
前田慶次が吸っていたキセルはなんだったのか

今後関東にては永楽一銭を使うべし

2019年03月16日 21:13

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/15(金) 22:13:16.43 ID:hR8PXiGa
年の寄った人の言うことによると、近年まで関東ではびた銭と永楽銭をとりまぜて、同じ程に使っていたが、
在々所々にてその善悪を争う事止まなかった。その頃関東八ヶ国の守護であった北条氏康公の仰せに、
『銭は品々ありといえども、永楽以上のものはない。今後関東にては永楽一銭を使うべし』と、
天文十九年(1549)に高札を立てた。これにより関東の市町にては永楽銭を用いた。この事によって、
近国他国でもびた銭の中から永楽銭を撰り出し用いた。故にびた銭はいつとなく上方へ流れ、関西にて
使われ、永楽銭は関東に留まり用いられた。

然るに天下一統の世になると、永楽銭とびた銭の二種類を使うように成ったが、永楽一銭がびた四、五銭と
され、これにより銭の善悪を争い選び、万民安からざる故を上は聞き召し、
『びた一銭を用いるべし。永楽禁制』
と慶長十一年(1606)江戸日本橋に高札が立てられた。それより天下において永楽銭の使用が廃れた。

(安斉随筆)

江戸期からみた撰銭に対する認識を顕した記事



726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/15(金) 22:54:38.93 ID:KvrDsm0D
ググってみたら慶長通宝とか元和通宝なんてものがあるんだな

省陌(せいはく)

2019年02月06日 19:02

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/05(火) 20:27:29.27 ID:95aPpVc+
銭96文を「百文」というようになったのは、上杉憲政の家老、長尾伊玄(景春)という者が制を立ててより
始まった事である。長尾が曰く、敵国に入り町人地下人逃げ散りその地に居なく成れば、軍に従って来た
小身の中間などは少しの者も買うことができなくなる。つまり取り鎮めても豊かでなければ、銭も使用
出来なくなるのである。逆に豊かな世では、欠漏があってこそ長久の政であるので、銭を96文にして
4文づつ欠けたほうが良い。その上32文づつ3つに分け、32文を4つに分ければ8文となる。このように
計算できるので使い勝手も良いと、96文を以て百文とし、960文を一貫文と定めた。

(安斉随筆)

実際に中世は銭百文未満を百文とする慣習があったようで。で省陌(せいはく)という慣行だったそうです。
それにしても上杉憲政の家老が長尾景春とか、まあ史実的にはむちゃくちゃですね。



723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 10:46:49.92 ID:pnyl82Jx
96進数...

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 13:39:06.31 ID:FiKxO/hS
景春がいつだしたのかはわからないけど、wikiみると永正二年の撰銭令が日本での初出なのかな?
西国だと80枚75枚と地方によって違いがあるみたいだね
てか、維新後に禁じられるまで慣例として通用していたのか

それも義輝公が愚弱だったため

2019年02月03日 21:25

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/02(土) 20:51:07.26 ID:AAgREs3T
楢村長高(長教)の室町殿日記を参照すると、三好筑前守義長(義興)は、将軍足利義輝の命を奉じて
泉州備前入道并びに同伊勢守(伊勢貞孝)を誅伐した。であるのに賞が行われず、義長はこのため、
備前入道の闕所を賜って従卒を扶助しその功を賞せんと考え、これを所望したが、賜ること無く、
義輝は彼の地を一円に伊勢加賀守(貞助)に与えた。これ故に三好義長は公方の御料所の代官を
私的に置き換えてその年貢を抑えようとした。公方は役人を下して三好の代官を追い払おうとするも、
三好は家人を遣わして公方の役人を追い払い年貢を横領した。

これ以降、公方より度々討手が向けられたが、毎回討手は敗北し、終には三好が御所を囲み攻めた。
そのため義輝は自害した。永禄8年5月19日の事である。尊氏将軍の嫡流は13代にて滅亡した、
それも義輝公が愚弱だったためである。

(安斉随筆)

伊勢貞丈先生、さすが足利義輝に厳しい。



716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/02(土) 23:46:05.23 ID:wsG0sIic
山科言継の日記でも義輝はあっさり切腹してるけど、討手と派手に斬り合いをして討死する話は後世の創作なのかな

彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。

2019年02月01日 18:09

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 20:45:58.89 ID:VSKpX2dp
織田信雄について、今の人が彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。本来は「ノブヨシ」である。
永禄の御湯殿上日記に、「今日織田ののぶよし参内」とあるのは、信雄の事であると、村井敬義が
語っている。

伊勢貞丈曰く、「私の同僚に、昔の土方勘兵衛(雄久)の嫡家の人が有るが、昔勘兵衛はこの信雄から
一字を賜ったとして、代々雄の字を通り字としている。今の亥之助は、実名を雄忠と号している。
先祖より代々雄の字をヨシと唱えている。」

(安斉随筆)

マジすか伊勢貞丈先生。つか江戸中期はノブヲ呼びが一般的だったのか信雄。



711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 21:24:51.97 ID:hUh1KEi1
>>710
そんな近い時代でさえ読み方論争があったのかw

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 21:43:06.46 ID:jlsrvXNy
土方雄久って、雄を貰った時は雄良を名乗ったんでしょ?
"よしよし"だったのか?

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 21:43:24.47 ID:bXFoRI6t
ノブカツの読み方はいったいw

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/01(金) 08:56:27.56 ID:d8IU6Pkh
信雄の読みについての考察は別の逸話でもあったな