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扨々、聞及たるよりも気違にて候

2019年12月12日 17:46

652 名前:1/2[sage] 投稿日:2019/12/12(木) 11:31:17.84 ID:g+fbVvyj
(慶長五年)九月上旬に、徳川家康公は濃州勝山にお着きに成り、九月十五日に関ヶ原で敗れた
石田治部少輔(三成)は伊吹山へ逃げ隠れていたが、田中筑前守(吉政)の家臣が捕えて家康公の
元に送り、小西摂津守(行長)、安国寺(恵瓊)両人も方々にて捕縛された。
三人共に洛中を引き廻しにされたのだが、この時太夫殿(福島正則)はこの三人に小袖を二つづつ
与えた。中でも治部少輔は「太夫殿の御心指し感じ奉る」と悦び、衣類を着替え、太夫殿の与えた
小袖を着て洛中を引かれ三条河原にて首を切られた。

石田治部の弟である石田杢(石田杢頭(正澄)、実際には兄)、家老の島左近は佐和山の留守居であったが
(島左近は実際には関ヶ原で討ち死にしている)、佐和山城が攻められた折二人共切腹した。
徳川家康公は海手を通られ大津城に在陣され、三左衛門殿(池田輝政)、太夫殿は道中のそれぞれの
宿に制札を立て、百姓や山中に逃げた者達を帰宿させた。

その後太夫殿は山科に在陣し、子息(養子)の刑部殿(福島正之)を北政所様への御見舞に遣わした。
この時、京三条口の番をされていた稲図書殿(伊奈昭綱)の番頭が、ここに柵を付けて鉄砲の者
三百人でこの番所を堅めていた。ここを福島刑部殿は理を入れ京へと通過したのであるが、その後に
刑部殿へ急用があるとして、太夫殿家臣の佐久間嘉右衛門と申す者、知行二百石取りの侍を刑部殿の
元に遣わしたのだが、この嘉右衛門も番所にて、急用であることとを理り申したのだが、当時は
厳しい時分であり、番所では通そうとしなかった。この時嘉右衛門は「慮外では有るがここの番の
責任者である図書様に理由を申し上げたい。」と色々と言ったのであるが、とにかく通さないと申し、
竹杖にて押しのけられた。この時少し竹杖が当てられた。

嘉右衛門は無念に思ったが、多勢に無勢であり、その上番所でも有ることから是非無く、命ぜられた
急用も打ち捨てて太夫殿の元に帰ると、直に罷り出て

「今度のお使い、御急用を打ち捨てて罷り帰った事、なんとも御迷惑をおかけしたと思っています。
しかしながら稲図書殿御番所にて色々とお理りを申し上げたのですが通してもらえず、あまつさえ
竹杖にて押し出され、杖も当たりました。これでは男が罷り成りません。只今より私は切腹仕ります。
相手は図書殿でありますので、哀れと思われ敵を取って頂ければ、有り難く存じ奉ります。」

このように申し上げた。太夫殿は「それは卑下すべき事ではない。多勢に無勢だったのだから
仕方がない。」と言ったのだが、嘉右衛門はそのまま帰って切腹した。

653 名前:2/2[sage] 投稿日:2019/12/12(木) 11:31:45.63 ID:g+fbVvyj
この事を太夫殿がお聞きになると
「さてもさても不憫な事だ。」と涙を流し、この嘉右衛門の首を取り寄せ、井伊兵部少輔(直政)殿の
元ににこの首を送り、先の嘉右衛門についての事を伝え「稲図書の首を見せるべし。」と荒々しく
申し入れた。兵部殿はお聞きになると大いに驚き
「ご立腹は尤もです。しかしこれは稲図書が存じているわけではありません。この上はその場で
番をしていた三百人の者達を首にして進ずるので、それでご納得頂きたい。」と返答したが、
太夫殿はこれを聞き入れず

「嘉右衛門の相手は図書である。嘉右衛門はそう申し置きをした。どうしても図書の首を見なくては
ならない。この事を家康公に申し上げて頂きたい。その上で御同心無いのであれば、御忠節はこれまで
である。おっつけ大津へ向かい、家康公に直にお断りを申し上げるだろう。」

このように申し越してきたため、兵部殿は更に驚き、「さてさえ是非もなき義である。」と思われ、
とにかくそれぞれと相談すべきであるとして、浅野紀伊守(幸長)殿、細川越中守(忠興)殿、
池田三左衛門(輝政)殿、黒田筑前守(長政)殿に、この件の扱いを成されるよう頼んだ所、
この四人も内々に太夫殿の性格を存じており、「家康公に申し上げるしか無いでしょう。」との
意見であったため、これを報告した所、家康公は
「それならば三百の番の者達に切腹させ、それにて堪忍するように伝えるべきだ。」と仰せになった。
兵部殿は「先だってそのように申したのですが、まったく聞き入れず『それならば直にお断り申す』と
言っております。」と申し上げた所、家康公は

「さてさて、聞き及んだよりも気違いである(扨々、聞及たるよりも気違にて候)、今は大事の前の
小事であり、是非に及ばず。図書には切腹させよ。」

との上意にて、稲図書は切腹し、その首は太夫殿の元へ遣わされた。太夫殿は大いに悦び
「このようにして頂いて過分に忝ない。」と、すぐに大津へ御礼に参った。

図書は一万石取りの、直参の衆であった。
(福島太夫殿御事)



654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/12(木) 12:47:09.85 ID:t+lw0CPa
>>653
>聞き及んだよりも気違いである
酷いけどそのとおりで草
影武者徳川家康でみたなーこの話

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/12(木) 21:53:44.99 ID:ZtdUB/mz
だったら番兵三百人の首を送ればいいんじゃないか

今の感覚だと十分気違いだけどな

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 00:05:02.32 ID:YZgR0DVQ
「七分の一の命事件」
ならぬ
「三百分の一の命事件」
として人権教育のネタにされそう

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 00:13:10.73 ID:PYMzNtB9
まあ福島さんですし

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 08:00:56.52 ID:s4xg30G0
三百石と一万石の首じゃ釣り合わんなぁ、三百人犠牲にしろというのもやむなし

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 10:17:23.42 ID:mPdwyCZg
鉄砲傷受けた直後にこんなことで煩わされるんだから、そりゃ直政も死ぬわな…

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 13:36:01.77 ID:8Mf1pdbu
WIKIだと

>>この事件はその後に福島正則が改易される遠因となったともいわれる。

そりゃそうだ

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 19:44:49.92 ID:ibMCuezW
稲?伊奈?

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 23:25:36.92 ID:kT2im1w3
しかしさあ、加藤清正も福島正則も加藤嘉明も、
丹羽長秀の最期を知っているはずなのに、
どうしてそこから学ばずに天下取りの野望を持つ者に擦り寄って一時の大領を得る事を選ぶかねえ。

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/13(金) 23:30:59.34 ID:7tRh0pW4
当人に責任があるのは正則だけのような
それに自分が上に立てないなら次の覇者に接近するしかないでしょ

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/14(土) 00:43:50.77 ID:B9HMV06b
戦って散れということか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/14(土) 18:04:06.30 ID:6Qt5nNWK
>>662
中途半端にすり寄るからじゃないのかな、藤堂高虎ぐらい尻尾を振れば生き残れるのに
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