伊東七兵衛の軍功

2014年12月02日 18:23

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/01(月) 23:49:13.08 ID:CHGPaSHA
織田信長が近江小谷城を攻めた時、伊東七兵衛が一番に塀に乗り入れた。
この時、その家人たちも共に乗り入れようと七兵衛の腰に取り付いたため、
上帯が切れて刀が塀の下に落ちてしまった。

ところが七兵衛は少しも戸惑わず、たちまち塀を乗り越えると柵の木を引き抜き、これで
向かってくる敵を叩き伏せ遂に勝利を得た。

この七兵衛の父は若狭といい、相模国の人であった。
七兵衛は武者修行に出て尾張国前田村に居たのを、信長が召し出したのである。

七兵衛は尾張二本木の戦いの時、戦が急に始まったため甲冑を着る間がなく、
有り合わせの編笠のみをかぶって出て一番槍を合わせ手柄をし、信長はこれを大いに
賞賛した。この時から人々は彼を異名して、編笠七兵衛と呼んだ。
後年豊臣秀吉に仕え。度々軍功あって旗奉行となった。

(明良洪範)

刀を落としても甲冑をつけてなくても特に関係なかった人のお話




941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/01(月) 23:57:24.21 ID:Bz1478yn
我が拳の真髄は背水。
防具があっては、そこに油断、甘えが生ずる。

生か死か!
背水の拳の威力は、うーん、戦国時代だと、無手で
殺されたお方って誰だろう?

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/01(月) 23:59:36.59 ID:y4XPNVPd
手加減してただけだから

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/02(火) 03:46:54.85 ID:32amDkRM
>>941
小早川秀秋(震え声)

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/02(火) 09:43:55.79 ID:E8ThLmSv
それあかんやつや!

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