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朝夕樫の柄をこそ

2017年10月27日 17:04

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 13:21:15.40 ID:QPdRFwSZ
織田信長の黒母衣衆に、伊藤武兵衛という者があった。
彼は坂井近盛という者を斬り尾張より退転し、駿河に亡命して今川氏真を頼った。
尾張からの牢人ということで、今川家の人々も彼を丁重に遇した。

ある時、乱舞の座において他の人々より「伊藤殿も何ぞ遊ばし候へ」と、座興を促されたが
彼は元より乱舞というものを知らぬため

「私は何も心得ませんので」

と断った。しかし「いやそう言われずに、何か一色」と更に促された。それでも
「今まで知らぬことであり、面目無いのですが、何も存じませんので。」

そういった所、座の若き者共、「この男、何も知らぬ」と嘲り、小鼓を彼に向かってころばして、
強いて所望した。
この様子を見て伊藤は、居直って言い放った

「私は若き頃より信長の脇に仕えて近国を従え、朝夕樫の柄(槍の柄)をこそ握っていたため、
穢多の皮を叩いた遊ぶ暇もなければ、知らぬなり!」

そして鼓を跳ね戻したが、かの若者達は

「いや、穢多の皮を叩く時は叩き、樫の柄を握るべき所で握る者こそ良いと言うべきだ」

そう言い、これに怒った伊藤が刀を抜こうとしたのを周りの人々が慌てて抑え止めさせた。

程なく、今川氏真は武田信玄のため駿河を退き、遠江掛川に籠った。ここを信玄と連携した
徳川家康が攻めた。
天王山の北に旗を立て、大須賀五郎左衛門、大久保七郎右衛門、松平周防守、土井豊後守らが
大手を攻め立てた時、城中には勇士多かったが、この時伊藤武兵衛が今川家の武士たちに言った

「穢多の皮の事承り及んでおりますが、畳の上では心安いでしょう。こういう時こそ少し叩いては如何か?
この武兵衛は信長の側にて習い置き樫の柄を握ってみせましょうぞ!」

そう申すと城より何度も打って出て、遂に討ち死にした。椋原次郎右衛門に討たれたという。
類少き勇者である。
しかし、もし彼に音曲の方の素養もあったなら、このように後まで心にかかることも無かっただろう。
であれば、知らぬというのは少し劣ることに似ているのではないだろうか。

(士談)



203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 16:29:06.71 ID:xqOpkIKt
価値観が変わってしまっていることが窺えるな
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