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狩野探幽守信は、名誉の画工であった。

2014年09月17日 18:57

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/16(火) 22:57:37.35 ID:KnyN6jA2
狩野探幽守信は、名誉の画工であった。

ある時、松平陸奥守(伊達忠宗)が七尺の金屏風を二隻拵え、探幽を招きこれに絵を望んだ。
探幽は「これには墨絵が然るべきです」と、この日は屏風を見ただけで帰り、翌日早朝に来て
墨を多く摺らせ、馬の沓を取り寄せ墨に浸し、これを金屏風へ幾つも押し、また大筆で筋を幾つも
引いた。

陸奥守はこの様子を見ていたが、「どうしていいか解らなくなって乱心したか」と言いながら
奥へと入っていってしまった。近習の者達は主人の機嫌が悪いことを淡幽に伝えたが、彼は

「書く時見物は無用です。書き終わってから御覧あるべし。」

そう答えつつ、小筆を取って書き添えると、馬の沓を押した所は蟹と成り、大筆で筋を引いた所は
葦となり、葦間の蟹の絵となった。

もう一隻には柳に燕を書いた。これも始めは墨をこぼしたように書き始めたが、書き終わってみれば
柳に燕となった。

二隻とも無類の屏風と成り、これに陸奥守は大いに喜び、厚く褒美を与えたという。

(明良洪範)



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日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙

2014年08月22日 18:52

586 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 04:12:22.03 ID:k/wP8bZN
※顔文字を用いた逸話ですいません

日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙

(●∀・)「よぁ、忠宗元気か?急ぎ用件に入るよ。家康のとっつあんの法要に合わせて、日光に諸大名が燈籠を献じるんだって?

江戸では噂になってるんだろうが、仙台にいる俺のとこにはそんな話はなかなか届かなかったよ。

ちぃ!油断した!

だがしか-し!そんなイベントを知らなかったじゃ済まされんだろ?

話を聞いてすぐに土井利勝を脅…、いや土井に頼んで伊達家が燈籠を設置するのに相応しい場所をゲットしたぜ!

石の燈籠じゃ期限に間に合わんから、みんなが驚く様な鉄製の燈籠を職人にオーダーしたよ!

手当を弾んで急がせて、10日くらいで作らせる。

完成次第日光に送らせるから安心しろ。」

(●∀゚)「(今井)宗薫よ、おめえとはマブダチだと思ってたのに、なんでこんな重要な話を手紙の端にも書かねえんだ?
危うく他家の笑い者になるとこだったじゃねえか!?」

(●∀・)「あ、(桑山)左近さん、江戸の噂話を知らせてくれてありがとう!政宗助かったよ!」
家康の一周忌に合わせ
政宗は鉄燈籠を献じに日光と江戸へと上がった

政宗の性格がよくわかる、日光の鉄燈籠献上の手紙にまつわる話




588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 07:41:22.12 ID:HYzwZq+e
>>586
土井さんに難癖つけて、対応するのは酒井さんか。

随分狙うように申し聞かせなさい

2014年06月24日 18:54

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 17:40:20.00 ID:+iFynjsM
伊達陸奥守忠宗が通行の途中、江戸城本丸の台所に詰めている新組の某
という者が伊達の先供の中を通り抜けようとした。供の士は某を取り押さえて
日比谷へ連れ帰り、成敗した。

新組頭はこれを聞いて大いに立腹し、老中の松平伊豆守(信綱)へ訴えると、
伊豆守が言うには「小家でも大名の通行は分かるものである。ましてや、
大家の伊達の通行は二、三町先からも分かるものなのに、先供の中を通り抜け
ようとするのは一つ目のたわけである。

また、連れて行かれるからといって、伊達の屋敷までのさのさと行ったのは
二つ目のたわけである。また、結局は逃げられないことと察知して切り死に
するべきなのに、むざむざと打ち首にされたのは三つ目のたわけである。

こんなたわけ者が御家人にいても御用に立つ者ではない。だから生きていても
益は無く、死んでも損は無い者である。申し立てるには及ばない」とのことで、
訴え書を差し戻し、併せて、

「その者に倅どもがいて伊達陸奥守を父の敵として討ったなら大至孝といえよう。
随分(できる限り。または大いに)狙うように申し聞かせなさい」と言ったそうだ。

――『明良洪範続編』





577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 17:44:51.14 ID:r/sLCjDk
この流れでも狙って良いんだ…

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 18:11:33.18 ID:RgdOU5YQ
「おう、やられたらやり返さんかい」て事だな

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 18:51:10.11 ID:EoDDTEDU
言外に、殺すなと
伊達家の顔を立てつつほのめかしてるのでは

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 19:18:48.52 ID:XUet17Db
>>576
この話まだ出ていなかったのかな
武士の美意識がわかる話だから印象深い
たしかに伊達家の行列前を横切ったのはこの侍の過失。
斬られても仕方ない過失ではあるけど、黙って連行されても最悪首斬られるのだから、
それならその場で刀抜いて斬り死にする最期を選ぶべきだってことだろうな
討ち死、切腹〉〉(越えられない壁)〉〉斬首 の世界観だし

この話が作中に出てくる五味康祐の短編小説『国戸弾左衛門の切腹』オススメ
映画にしてほしい深い話だけど、映画にされることはないであろう名作

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 21:41:46.87 ID:6ybX+yXy
伊達にビビッてるのかと思ったけど知恵伊豆かっけー

伊達政宗、秘蔵の刀について

2013年10月07日 19:51

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 23:29:40.68 ID:zlcutf7n
伊達政宗公は、毎年元旦には、白い綾の小袖で、桐菊の御紋所があるものを召し、
長袴の上に、鎬藤四郎の脇差し、名物の腰の物を挿されていた。

ある年の元旦、御座の間において越前守(嫡子忠宗)に御祝いの義を仰せ上げられ着座した時、
何のついでという訳でもないが、語られたのは

「この吉光の脇差しは元日だけ、毎年挿している。綾の小袖は伊達家において代々相渡されて
いるので、着ている。

しかし人というものは、死後にばかり譲ると申すものだ。私は、今日の幸いの日に、忠宗に
譲りたいと思う。

先ずこの、藤四郎の脇差しを渡そう。これは天下に隠れない名物であり、太閤様(秀吉)より
脇手での働きの功を以って拝領したこと、諸人に隠れない事実である。
天下様より内々お望みが在ったが(秀忠の御成の時に、御進物としするよう幕閣に勧められた)、
これだけは進上するものではない。
伊達の家のある限り、代々相続し、秘蔵されるべきものだ。
返す返す言うが、他のものに渡すこと、あってはならんぞ。

その他、道具多い中でも、この歳まで影が身を離さないように秘蔵してきたのは、
日理来(わたりらい)の刀、景秀、ハバキ國行、以上の三腰である。
これらは我が命であるので、死後にも能く秘蔵されるべし。

日理来は日理代々の刀であり、この由来はだいたい疑いない。
ハバキ國行は昔はともハバキであったのを、本阿弥(光悦)の所で直させた。
これとても勝る刀はない。

景秀は高麗陣の時、日本の諸大名共出て試し切りをした時に、牛ほどもあるような大男を、
皆々切りあまし、捨て置いていたのだが、私が「この刀で斬るように。」と伝えると、
そこに居た加藤肥後(清正)、浅野但馬はかねてから私と仲が悪かったので、

「皆の衆が持て余している以上、無用である!」

と言ってきた。拒否されたからには、いよいよやってもらわねばならぬと思い、
刀を抜いて清正に渡して

「これは私の小姓の刀である。これにて斬り給え!」

と言ってやると、清正は暫く考えていたので、私は先に無用だと言い切った態度からは
似合わぬことだと思い

「無理にでも斬れ!」

と言って斬らせた所、刀を振りぬくとたちまち胴が両断され、刀はそのまま、土壇の下に
5,6寸打ち込まれた。これには流石の清正も肝をつぶしていたよ。
刀の方はなかなか引きぬくことが出来ず、結局鍬を使って掘り出した。

この刀にはそれだけではなく、他にも数度の手柄があった。であるので、いよいよ秘蔵すべき
品なのだ。

只今これをお前に渡すが、ただし死後までは、私が預かっておく。」
と仰せられた。
(政宗公御名語集)

政宗、秘蔵の刀についての話である。最後のオチが政宗らしいというかなんというかw




442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/07(月) 08:27:48.76 ID:2QoafY8a
>>438
>この刀にはそれだけではなく、他にも数度の手柄があった。であるので、いよいよ秘蔵すべき
>品なのだ。

せいしょこさまをDISって、他エピソードは省略かよ!

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/07(月) 08:33:01.10 ID:dsUa9cWv
なんという「渡す、渡すといったが今とは言っていない。その気にれば10年後20年後私が死ぬまで…ククク」

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/07(月) 15:28:55.51 ID:a5yONJXY
つ 爆薬

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/07(月) 19:05:03.12 ID:KinS+2es
(`●ω・')「あ、それとお年玉は預かってあげるから全部出しなさい」

伊達と立花の婚姻にまつわる小田部土佐の話・第三段

2013年01月03日 19:55

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:50:59.88 ID:YKkDA4De
伊達と立花の婚姻にまつわる小田部土佐の話・第三段

まとめには伊達家の嫌がらせと小田部統房の話があるが、また一つ違う逸話を。

筑前立花家の家臣・小田部土佐は、娘を輿入れした忠宗の慰みの為、奥州への出向を乞われた。

道中つつがなく仙台へ到着し、いざ謁見とうことになったが、その衣服は粗末で
(童子格子の木綿織は綿の厚い夜着のようで、太くてもっさりした丸ぐけの帯に三尺あまりの
大刀を帯びていた)まるで夜盗が迷って出たような無作法さであった。

忠宗はかの奇人ぶりを知った上で到来を待ちわびていたので、取次役に命じてそのまま居間へ通させた。
小田部は面前にずいとまかり出ると、一言の挨拶もせず立ちはだかり、狂人のように振る舞った。

忠宗はさすがにムッとして何故そのように無礼なるやを詰問する。
曰く、「私は伊達様に臣従するつもりはありません。伊達様はひとたび私を見たいとの仰せであると
聞き及んでおりますので、普段の私を見せようと思ったまでのことです」

忠宗は我が意にかないたりと満足し、後日改めての謁見を許した。

その後日、衣服を整え、厳然なる装いにて現れた小田部に対し忠宗はいくつか問答した。
小田部は当世の趣味に走る者は混雑の士です、真の士は柳川藩において自分ともう一人しかいませんなどと、
時代錯誤の割に堂々とした答弁を繰り返す。
その様を見て忠宗は時折吹き出しつつも、彼の才を認め、一旦別室に引かせて休息を許した。

そして家臣を呼ぶとひそかに「聞きしにまさる曲者じゃ。これからあやつに取らす膳には
大ダコの丸煮を出してやれ。困惑する様を見てやろう。包丁は一切入れるなよ」と命じた。

饗応の準備が整うと小田部を呼んで膳につかせ、でんと茹で上がった大ダコを披露した。
小田部は「やや、これはそれがしの大好物。気を使っていただき恐悦千万、誠に結構、過分過分」などと
連呼しながら蛸の頭をむんずと掴むと懐中を探り、小刀で小切れにして平然と食らった。
忠宗他近侍の衆は「苦しめ難き曲者なり」と感心してしまった。

我が儘な大身の暇つぶしに付き合ってあげるいい話。




政宗親子と「塵芥集」の悪い話

2011年11月09日 22:00

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 02:21:30.72 ID:rXospZQ3
政宗親子と「塵芥集」の悪い話

塵芥集・第119条
「借りたものは返せ。金を例に挙げれば、親の借りた金は、たとえ親が死んだ後でもその子供が返すのは当然である」

(●Д゜)「当たり前だよな」




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 05:00:51.29 ID:fLJYgtDW
>>905
政宗「大事な事なので2回言いましたの走りか」
秀宗「え?」
忠宗「え?」
京・江戸の商人「え?」

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 07:35:59.14 ID:otsK97fN
>>906
幕府(チラッチラッ

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 15:00:05.80 ID:vBNZSp03
津軽信枚「借りた金はちゃんと返せよ。そうすれば何度でも借りられるぞ」

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 16:18:30.51 ID:0hp1HkgE
調所笑左衛門「借りた金は返すよ(爽やかな笑顔」

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 17:34:11.27 ID:cP+H0rtF
町人考見録には大名貸しだけはやめとけってしつこく書かれてるらしい

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 20:01:24.13 ID:XbPrnQaI
真田の兄さんあたりならちゃんと返して呉れそうだけどな。逆に金貸しが似合いそうなのは誰かな?

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 20:07:34.11 ID:Tfa4yBY0
そりゃケチなやつで思い浮かぶやつだから
・前田利家
・松永久秀
・権現様
・黒田官兵衛
・岡左内
ついでに秀次

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/09(水) 20:25:02.93 ID:7oDi95vT
官兵衛は支払い期限を過ぎて窮した吉川のところに
鮭持参でにこやかに催促に訪れそうだな。

悪どいことも厭わないが、基本は信用が築けるという意味では
「返せぬなら返させてみせよう」の太閤様はこの道でも成功しそうだ。
「返すまで(門前で)待とう」の権現様も堅実に店を広げそう。

名乗り出たのは、鍋島勝茂だった

2011年08月26日 22:30

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 10:36:37.94 ID:VLpOzuAJ
寛永10年(1633)8月、徳川家光は品川沖で新造の御座船『安宅丸』の進水式を行なった。

百丁の櫂、四百人の水夫を用いたという巨船の進水式は、松平信綱・阿部忠秋などの重臣が早船で
周囲を警護する中、伊達政宗親子・池田光政毛利秀就ら江戸在番の大名を招き、大々的に行なわれた。

無事に進水式が終わり、祭事を行なって船の魂入れをした後、品川の海岸で酒宴が開かれた。

「♪舟より御下りなば、拷訴(拷問)を致そう。」「♪拷訴と言わば、捨身の行。」
「♪命を取ろう。」「♪命を取るとも、ふっと下るまじ。」

酒宴の座興で、池田光政伊達忠宗と組んで、能楽『自然居士』
(説法者・自然居士が、人買いの舟に乗り込み、売られようとしている子供たちを救う、という筋書き)
の謡をして、喝采を浴びた。続いて、金森重頼が仁王のマネをして受けを取った。

「…お船方にとりてはァ…お船祝いがござんするゥ…フゥフゥ…蓬莱山は、ハヒー沖の船で…ゼェゼェ……」
「もういい…!もう…休めっ…!秀就……!」
“松平(毛利)長門守秀就は、ふとり過たる人ゆへ大黒舞を舞ひしが、誠にふつつかなれば、
舞果てずして止みぬ。”(徳川実紀)

「さ、されば次は、それがしが領内に伝わる須古踊りを仕る!」
名乗り出たのは、鍋島勝茂だった。
エイヤットウ「♪あわずばかえれ かえれきみ このほどに さだめことばを まちれども……」
踊る勝茂の姿を、家光はじめ一同は黙って見つめた。

「……うっ……くっ………ぐっ、ぐははははははははははっ!!!」
見つめていたのだが、厳格をもって知られる池田光政が、真っ先にこらえ切れず吹き出したのに釣られて
爆笑の渦に包まれ、宴は盛会のうちに果てたという。


よかったね直茂さん、息子さんはしっかり成長(?)してますよ…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5695.html




239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 20:59:13.14 ID:2/fmLTF6
>>236

輝元のときは気位があってワザと踊らなかったのか
下手で馬鹿にされるから踊れなかったのかと二通り見れたけど
今度は秀就を助けるためにワザと下手に踊ったか
それとも本当に下手だったのか、この前の逸話と並べてみると面白いね

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:14:51.27 ID:sLZeWD61
>>236
自分はわざと下手に踊って流れを変えたとみたい
勝茂も大人になったんだろうか
それはそれとして、光政さんの爆笑姿がなんかツボったw 楽しそうだなあ

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:23:53.49 ID:3Ti9DVXE
もしも、直茂パパンが信之兄さん並みに短命だったら、「お前は何故、あのような下手な踊りを披露したんだ?」と説教食らってたと思うんです

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:34:46.46 ID:ruwEWR6Z
徳川家光がいたからじゃない?別に勝茂側には毛利のご機嫌うかがう必要もないわけで
江戸期の外様大名って将軍の寵を競ってお互いにライバル心むき出しだったからさ

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/26(金) 21:35:58.85 ID:sLZeWD61
それなら政宗が一番変になってないとおかしい!

244 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/08/27(土) 00:04:39.15 ID:DU5wA9HS
つか光政ってこの面子の中じゃ一番年下だよな
それが爆笑って非礼じゃないのか

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 00:21:26.24 ID:M1RyOch3
まあそれは野暮ってもんだよ

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 01:54:12.32 ID:eUzoBoEv
>>234
事実政宗は一番変じゃないかw

徳川家光「おい、政宗」

2011年06月14日 00:00

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 00:57:43.75 ID:r8y9cB/g
ある年、将軍徳川家光が、諸大名を伴って上野僧上寺を訪れた時のこと、
家光は連れてきた大名たちの中から、伊達忠宗黒田忠之に声をかけました。

「おい、政宗、筑前!」

「え!?」


あの爺さんはとっくに亡くなっていたころと思われますが、
家光はあいかわらず彼が大好きだったようですね。




627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:15:40.84 ID:1OHMqe4j
並みいる諸大名の中から選ばれるとは黒田忠之の数少ないいい話ではないだろうか。
あ、でもこれって儀式の一部の話なのか?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:21:46.31 ID:x9h1Tv12
>626
これ悪い話?
声をかける事が異例ってことかな?

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:27:50.56 ID:WaTq/yGS
政宗って呼ぶのはいくら将軍でも失礼すぎるだろ
原文では何と呼んだの?

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:34:50.27 ID:r8y9cB/g
>>629
それが確かに「政宗」と書いてあるのです。
誤字かと思ったら、
「忠宗ハ政宗の子なり。然共政宗と父の名を仰られける。」
とありますね。
出典は「黒田続家譜巻之六」

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:35:47.86 ID:WaTq/yGS
>>630
へええー

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:36:39.99 ID:zmsWybXy
>>629
家光は政宗の主君だから、「政宗」と呼んでOK

これはどうか知らないが、この当時や近い時代の資料でも政宗のことは「政宗」と書かれているものが
やたら多いのね。「伊達侍従」とか「越前守」とか「陸奥守」とか書かれているものは非常に少ない。
どうも政宗は自分の諱を世間に積極的にアピールしていたのではないか、という気がちょっとするw

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:48:24.43 ID:AI3K9aJq
忠之が「筑前」と呼ばれてるけど、彼が筑前守に任官したのは黒田騒動の十数年も後のことで、要するにこれも
NGMSと間違えてる。
忠宗共々国主ほどの立場にある者を、父親とはいえ死者と間違えてるんだから実は割と失礼or家光がかなり
ボーッとしてる話。

しかし忠之がNGMSに良く似たブサ○ク(失礼)だったのは肖像画で知ってるが、忠宗も政宗と似た顔だったんだろか。
それって、本人的にどうだったんだろ。

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:53:59.38 ID:WaTq/yGS
>>632
実名で呼ぶのは普通はヤバい行為だよ。
時代は遡るが、源頼家が家臣を実名で呼んだことで、家臣の恨みを買い、
政子に、家臣といえども非礼な真似をするなとお灸を据えられている。

政宗が特殊な人なのか、家光と政宗の間だから許されたことなのか・・・

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 01:59:14.96 ID:ZCUxnsrt
君臣の間柄の好悪もさることながら
頼家と家光の権力の強弱も考慮に入れるべきじゃないかな

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 02:36:50.03 ID:x9h1Tv12
そういえば江戸初期の地図で、諸大名屋敷は姓+官名で書かれてるのに
なぜか政宗屋敷だけ、デカデカと「政宗」って名前だけで書かれてたの思い出した
江戸じゃ政宗は名前呼び捨てがデフォなのか?

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 02:47:13.31 ID:GrL5vnGh
>>636
想像してなんかワロタ

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 12:45:20.84 ID:uEKezqLl
ファーストネームで呼んでくれって事かな「政宗」
さすがDQNヤンキーだな。

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 15:40:26.15 ID:VUzWWRHm
>>633
これ時期がわからないけど、NGMSは家光が将軍になる直前に亡くなっていて、
家光とNGMSよりも家光と忠之の方が付き合い長いというか親しいはずだから、
筑前=忠之で合ってると思われ

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 19:57:44.42 ID:qZS7vHjR
忠之の名前も官位も忘れちゃって、「こいつ誰だっけ?ああ、たしか筑前の領主だったから、筑前で通じるだろ」
とかだったら、ひどい

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 20:01:10.15 ID:lAB23/ht
300位藩があったらしいし覚えるのは大変だろう

647 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/06/14(火) 00:43:08.25 ID:utlehkYR
>>645>>646
多分そんなところだろう。
年賀の将軍拝謁の時なんか、将軍に個別に挨拶出来るのは
大藩で10万石以下なんか十把一絡げで挨拶することになっていたから。
ましてやいつも顔会わすのは幕閣ぐらいだろうし。

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/14(火) 03:49:12.39 ID:u1dt2uw3
いつの間にNGMSなんて略されるようになったんだ。もう公式ですか?

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/14(火) 08:30:25.64 ID:1w1hjYjb
>>652
公式ですが
ttp://d.hatena.ne.jp/rerasiu/20090516%23p1

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/14(火) 18:25:23.36 ID:jW5Xs5uC
>>636
どっかで見た大阪の陣の布陣図でも「政宗」になってた気がする
他の武将みんな名字+役職なのに、やっぱり伊達だけデカデカと「政宗」二文字

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/14(火) 21:36:37.22 ID:ZinSvD2D
政宗はやっぱり単に政宗って呼び方がしっくりくるな
まーくん呼びは親しみ込めてるんだろうけど、アイドルみたいでなんか違和感を感じる