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伴惟安、妙向尼と森忠政を救い出す

2016年11月02日 17:11

森忠政   
283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 16:21:59.71 ID:e8s4vPn2
伴惟安妙向尼森忠政を救い出す


天正十年六月二日、京都に於いて信長・信忠親子と蘭丸、坊丸、力丸
伴氏の伴正林伴太郎左衛門等が討死したことは三日の辰刻には甲賀の伴惟安にも伝わった。

そのとき長可は川中島にいて、母の妙向尼と千丸(忠政)は人質のために安土にいたが
惟安は以前から可成、長可にとりわけ目をかけられていたので
「今お二人はさぞ途方に暮れていられるだろう」と一族で話し合い
四日に野越の間道を越え安土へ行き、妙向尼と千丸をお守りして五日に甲賀へ連れ帰り
二人をすぐに自分の家に移し、伴氏一党で番をした。

十三歳の千丸はどじょうすくいとカエル釣りが好きなので伴家の子供達は日々お供していた。
あるとき「お千殿、いざカエル釣りに行きましょう」と子供達が言うと親どもが来て
「大名のお子様だが、訳あって少しこちらにいらっしゃる間は
お千様とお呼びし、何事も逆らわずお心のままにするのです」
と堅く制したという。

長可が信州を引き払って金山に帰ってくると、九月十一日に甲賀に迎えを送ったが
伴一党は守山武佐筋に朝倉の残党がいる可能性を危惧し、伊勢街道をお供して
勢州坂下で妙向尼と千丸を迎えの金山の者に渡した。

この忠義により天正十二年の暮れ(長可が討死し忠政が家督を継いだ頃)に甲賀に迎えが送られ
十三年の春、伴惟安と惟利の親子は初めて森家へ出仕することになり
他の残った伴党もこの親子の口利きで召し出されることになったという。


――『森家先代実録』



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