816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/20(日) 13:30:45.22 ID:gkgsN5cq
天正十二年八月、上杉景勝自ら新発田重家を攻めた、八幡表の戦いでのこと。
この時、前の琵琶島城主・宇佐美駿河守定行(定満)の子、民部少輔勝行は、
彼の父が生害し、本領没収され、浪人となり、また景勝からも勘当され、小千谷五泉あたりに
逼塞していたのであるが、いかにもして景勝より勘当を赦され、本領に還住せんと志し、
朱傘に金の短冊の指物、宿月毛の馬に乗って新発田陣へ懸かり入り、屈強の敵二騎と懸かり合わせ。
一騎は切って落とし、一騎は引き組んで討ち取り、その兜首二つを提げ、その身も馬も血だらけになって
景勝の旗本に馳せ来ると、平林内蔵助(十八歳にて小姓であった)を頼み
「御勘当御免なされ、この高名の首を御実見に入れるため、御目見えいたしたい!」
と望んだため、この事を景勝に申し上げると、景勝は気色俄に変わり、目は松明のようになって
平林をはたと睨みつけ、しかし何の言葉もなく、これには平林も頭を垂れ、重ねて申し上げる事も
出来なかった。
これに宇佐美民部も、討ち取った二つの首を捨て置き、泣く泣く立ち上がって退いた。
景勝としては「実父政景を殺した宇佐美駿河の子であるのだから、父の仇の子であるのに、どうして
勘当を赦せるだろうか。」との事であった。
これを取り次いだ平林内蔵助は長命で、当家(上杉)播磨守綱勝の傅役に付けられ、近年まで
存命しており、彼が直に物語ったものである。
(信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記)
天正十二年八月、上杉景勝自ら新発田重家を攻めた、八幡表の戦いでのこと。
この時、前の琵琶島城主・宇佐美駿河守定行(定満)の子、民部少輔勝行は、
彼の父が生害し、本領没収され、浪人となり、また景勝からも勘当され、小千谷五泉あたりに
逼塞していたのであるが、いかにもして景勝より勘当を赦され、本領に還住せんと志し、
朱傘に金の短冊の指物、宿月毛の馬に乗って新発田陣へ懸かり入り、屈強の敵二騎と懸かり合わせ。
一騎は切って落とし、一騎は引き組んで討ち取り、その兜首二つを提げ、その身も馬も血だらけになって
景勝の旗本に馳せ来ると、平林内蔵助(十八歳にて小姓であった)を頼み
「御勘当御免なされ、この高名の首を御実見に入れるため、御目見えいたしたい!」
と望んだため、この事を景勝に申し上げると、景勝は気色俄に変わり、目は松明のようになって
平林をはたと睨みつけ、しかし何の言葉もなく、これには平林も頭を垂れ、重ねて申し上げる事も
出来なかった。
これに宇佐美民部も、討ち取った二つの首を捨て置き、泣く泣く立ち上がって退いた。
景勝としては「実父政景を殺した宇佐美駿河の子であるのだから、父の仇の子であるのに、どうして
勘当を赦せるだろうか。」との事であった。
これを取り次いだ平林内蔵助は長命で、当家(上杉)播磨守綱勝の傅役に付けられ、近年まで
存命しており、彼が直に物語ったものである。
(信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記)
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