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おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

2012年05月08日 21:04

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:38:23.84 ID:cIlYgPCA
おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

文禄2年、朝鮮での戦局が転換を向かえ、明軍の講和使節が名護屋にやってきた頃、
在陣中の南部信直は留守居の八戸政栄宛てに手紙を出した。

『十郎がこちらに下ってきたので、文を送ります。
5月15日に唐の官人二人(謝用梓・徐一貫のこと)が名護屋に来ました。
(秀吉は)早々に兵を高麗へ入れるべしと申してましたので、
連れてきた者を集めておくようにと仰いましたが、赤キ国(全羅道)を占領せよと命ぜられたので、
8月までの御在陣を仰せられました。
そして近日、佐竹義宣・堀秀治・丹羽長重・織田信包など、五人を渡海させよと指示されました。
なにはさておき、詳しくは十郎がお伝えします。』

『高麗八州四ヵ国は日本に割譲されるとのことで、これは一国が九州ほどで、使者は多くの人々を引いてきて
年貢を送ると詫び言があったそうです。唐の大王も貢物を送ってくるそうです。
これ以上ない条件だと上も下も言っていますが、高麗四か国に
日本の侍を置かなければ平和は無いだろうと太閤様はいろいろな御難題を仰られる。
そういうわけで、北金の都より大将としてやってきた遊撃将軍(李如松のこと)が釜山海に居るので、
太閤様が仰られた通りの事をこの人へと伝えたそうです。』

『高麗に在陣している大名達はさんざんに疲れ果てて、何の役にも立たない様子です。
だがその有り様を秀吉の御前で話しては、即刻処分されるので、皆怖がり恐れて、この有り様を申す人はいません。
この状況をわかってほしい。』

『日本では大身者であろうと小身者であろうと、御前で物を申す者はいません。
日本国内では一切の争いも許されません。ですが、武具などは油断なく準備し、九郎(南部利直)に奉公してほしい。』

『高麗の年貢は年々印子金1万2千ずつだそうです。印子金一つは100目(匁)で、これというほどのものではありません。
弾正殿(小西行長)は釜山海に居ます。
こちらで重ねて何かあったら、おいおい人を下して連絡します。以上

(文禄二年)五月廿五日  信直
 八戸殿』


当時の情勢や秀吉の独裁者振りが垣間見える南部信直の書状。
『高麗に在陣している大名達は~』のくだりを読んだ時、秀吉って本当に独裁者だったんだなぁ、としみじみ思った。
誤訳あったらゴメン。




66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:45:37.12 ID:B3YaATvq
もう早く帰りたいと書きたかったけど八戸さんや北爺を
心配させまいと我慢した信直くん

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 05:44:52.47 ID:bN+9LY1b
>>65といい
太平洋戦争といい
原発事故といい…
日本人の気質は400年以上変わってないなw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 09:57:37.00 ID:yzMucEDe
>>72
大切なのは耳に痛い進言を許す上なのだけどね

そう考えると徳川家は本当に異様だな

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:00:16.87 ID:i8fNsTvc
MSNGさん再評価の流れですね

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:09:51.62 ID:vyd3V7yM
>>76
進言を取り入れる度量?進言をほとんど必要とさせないほどの智謀あっての度量だろ、jkとの声が届いています

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 11:20:28.26 ID:6+bzqfZS
信長も信玄も、文書上は自分に悪いところがあったら遠慮なく言え、としているね。

……ただ、リアルに考えると怖くて諌言できねえよw

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:20:32.32 ID:aMpjFMa+
>>76
三好政長?

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:22:54.10 ID:i8fNsTvc
うん、素で間違えた

82 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/08(火) 23:34:30.38 ID:Kamt77nI
>>78
佐々成政

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 00:17:22.67 ID:VJ72z96+
>>78
不平分子を炙り出す罠だから......

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 02:27:44.62 ID:m0I6GJ3n
>>78
武井夕庵さん忘れちゃ駄目だろ
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戦国時代の二つの南部

2010年12月18日 00:02

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:11:44 ID:WD6cwNo9
悪い話で南部さんの盟友?がちょっと出ていたので

戦国時代の二つの南部


天正18年(1590)、南部軍の大将として津軽氏と戦っていた八戸政栄は、
三戸の南部信直の呼び出しを受け急遽帰国した。
二人はそれぞれ三戸南部氏・八戸南部氏の二大巨頭ではあるが、
家中で立場の弱い信直になにかと親身になってくれたのが政栄だった。

このとき信直は人生最大のピンチを迎えていた。彼は思い詰めた末、政栄にこう切り出した。

信直「八戸殿は小田原に行かれるおつもりですか?」

政栄「…………」

信直「いま関東の大小名はこぞって太閤様のもとに参陣し、御沙汰を待っています。
   我らも一刻も早く小田原へ行かねば後々よろしからぬことになるでしょう。
   しかし参陣したくとも、津軽は騒ぐし九戸も不穏だし、領地を留守にはできない。
   だからといって参礼をしないわけにも行かない。

   …あなたは他の末家と違い、朝廷公家に直参するお家ですから、
   一緒に小田原に行き、本領安堵されたいと思っています。
   しかし我ら二人が領土を空けるわけにはゆかないのです。
   
   だから、どうかこの地に残り、南部の土地を守っていただけないでしょうか。
   御朱印を拝領する名代として、ご子息の直栄殿をお連れします。
   当主のあなたが直接参陣できない理由は私から利家様に必ずご説明します。
   
   当家の存亡はあなた一人の思慮に懸かっております!お願いいたします!!」


政栄は少し考えこんでから、静かに語り出した。


政栄「おっしゃる通り、八戸は三戸から一度も禄を受けたことはありません。
   ですが、先祖代々不幸のあるときは互いに助け合い、家を存続させてきました。
   いま九戸政実と津軽為信の反逆によって、ご領内は三つに分裂してしまっています。
   こんなとき私まで太閤様に参礼したら、嫡家の威勢はさらに弱まり、滅亡してしまうでしょう。
   南部の大事に自分の家の都合のことなど申してはおられません。
   
   私が自領とあなたの領地をお守りします。
   あなたはお気遣いなく、すぐに小田原へ行きなさい。
   息子は参陣させますが、八戸の所領安堵はご領内が落ち着いてから後日願い出るつもりです」


信直はうなだれて政栄の話を聞いていたが、話が終わるとワーッと泣き崩れた。
「八戸殿、かたじけない…。ご親切は決して忘れません」


こうして信直は領内に八戸政栄を残し、ようやく小田原に参陣できたという。
結局八戸は大名になれなかったんだけど、
信直が八戸家を立てたので彼の生前はまあ良好な関係だったそうな




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:39:06 ID:f1LztK/7
政栄死後の八戸家に対する南部の扱いがなけりゃいい話で終わるんだがな・・・

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 07:29:04 ID:yGpFqwuY
八戸さんはもうちょっと評価されても良いと思う。

信直はいいんだが、利直がなあ…。ただでさえ外様豪族の力が強い南部で
権力を確立する為には外様潰しが必須だったとはいえ。