蒲生氏郷は昔を思って

2014年03月17日 19:08

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/17(月) 13:16:19.32 ID:vZJIuX8Q
蒲生とは江州の士であり、佐々木承禎(六角義賢)の家臣であった。後に信長に属し、また太閤(秀吉)に仕えた。

蒲生氏郷は優れた人物であった。初めは伊勢松坂で12万国を所領し、その直後に会津120万石を領した。
これは太閤の時代のことであり、その時彼は40歳ほどであった。

佐々木承禎は江州一国を領した大名であったが、織田信長に滅ぼされて江州を取られた。承禎の子は四郎殿(六角義治
と言って、太閤の時代には咄の者(御伽衆)となって二百石であった。
蒲生は元々その家臣であったのだが、その時は百万余石を領していた。

しかし、伏見などで太閤の御前に侍り、退散の時、氏郷は昔を思って、六角四郎殿の刀を持って従われる事もあったという。

蒲生が江州で承禎の家臣だった時代には、日野を領していた。氏郷の父(蒲生賢秀)は頑愚にして天性臆病の人であった、
その頃、俗人の間では小歌に

『日野の蒲生殿は、陣さえ云やへをこきやる』(日野の蒲生殿は、戦と聞いただけで臆病風にふかれる)

と言ったのは、この人のことを指しているのである。

(老人雑話)

蒲生氏郷が、旧主六角氏にも義理を通していた、という逸話である





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