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四郎殿の御沙汰は何とも

2020年05月09日 18:47

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/09(土) 15:37:33.73 ID:pj8HJK61
(三増峠の戦いの時)

右の翌日に三増峠で馬場美濃殿(信春)は小勢故に敵と揉み合い勝負がつかなかったところを、勝頼公
武田勝頼)が自身で槍を取って横槍に入り崩しなさったのは、信玄公(武田信玄)の御眼前であった。

その翌日に反畑で馬場美濃と内藤(昌秀)はこの事を沙汰して信玄公の御前で四郎殿を誉め奉り、感涙
を流した。すると信玄公はとかくの御返事もなく仰せられ「“壮夫の涙”といって猛き武士はいずれも涙
もろい。大唐の韓信や樊カイは物を感じてすぐに涙を流した。また我が家でも昔、荻原常陸(昌勝)は
涙もろかったと聞く。方々も同様だ」と御意なされ、四郎殿の御沙汰は何とも仰せられなかった。

――『甲陽軍鑑(品第四十上 石水寺物語)』



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