内藤隆春のちょっとした親バカさ

2014年09月14日 18:55

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/13(土) 19:12:14.13 ID:S569RaeD
内藤隆春のちょっとした親バカさ


内藤隆春は毛利家当主・毛利輝元の叔父にあたる。

毛利家に忠義を尽くし、一門格としても誇りをもっていた。
ところで隆春が気にかけていたことといえば、息子たちのことであった。
隆春には元家、元忠、親春の3人の男子がいたが、甥・元盛(宍戸元続の弟)を婿養子にしていた。
特に元家は隆春の実子として思いのほか溺愛していた。
というか壮年期を過ぎて老年期前にできた息子だったそうだ。

豊臣秀吉による朝鮮出兵が決定した際、毛利家においても渡海するメンバーが詮議された。

まず、隆春は老齢であるという理由で免除された。
免除の代わりに佐波川の架橋と防長両国の守備を命じられ、綾木役の半分を与えられた。

※綾木=美祢郡にある地名

また、子・元家もまだ若年だという理由でメンバーから外された。
このことに隆春は不服だったらしく、年甲斐もなく息子宛の手紙に親バカな一面を垣間見せた。
「近日小早川隆景様が来られるので、私のこと(元家を渡海メンバーに入れること)もよく申し上げてほしい。
あなたはとにかく渡海と定め、よくお願いするがいい。そして、家来の召集など諸準備に心配りを怠らないことが大切である。」
と述べた。

結局のところ元家が朝鮮渡海のメンバーに入れたのかどうかは不明だが、その後も元家の身を案じる手紙を送りまくったという。
信長の野望の列伝の内容にあることは大抵は元家に対してのことである。

隆春は1600年に病没し、元家も1612年に亡くなり、元忠が婿養子として入った林家から実家に戻った。

甥・元盛の事件はまた別のお話。


『山口県の歴史』、『楠町の歴史』から一部抜粋




スポンサーサイト