212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 16:29:51.95 ID:cyyC+eiN
スーパースターがやってきた! その1 『為広能州下向日記』より
畠山義総はあの名城七尾城を築いた人物。能登畠山氏全盛期を支えた名君であり、
都の文化人との交流を通して『源氏物語』や和歌への造詣を深めた文化人でもある。
1517年の秋、そんな能登七尾城下へ冷泉為広(当時68歳)がやってきた。
冷泉家は和歌宗匠のひとつであり、文芸界のスーパースターである。
為広( ´∀`)<お前らに和歌の真髄ってやつを教えてやんよ
義総とその部下たち<キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)━━━!!!
このとき為広の元に集まった謝礼金が現在の価値で約1600万円。荘園からの収入が
途絶えがちな冷泉家にとってはまさにほくほくの収入である。
さらに、能登は海に囲まれた土地柄なので、
・イリコ…ナマコの腸を干したもの
・背ワタ…鮭の背骨についてる血を使った塩辛の一種
などという珍味もいただいたらしい。
(続く)
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 16:30:29.04 ID:cyyC+eiN
スーパースターがやってきた! その2 『為広能州下向日記』より
実は畠山義総、あの藤原定家自筆による勅撰和歌集を所持していた。
その名も『後撰和歌集』、古今和歌集の次に作られた作品集である。
ところが残念なことに、その自筆本には所々に欠けている部分があった。
それを知った為広さん、義総にさっそくアドバイス。
為広( ´∀`)<ウチ(冷泉家)に写本あるから、それ書き写せばいいんじゃね?
義総(;´Д`)<ま、マジでいいんすか?
為広( ´∀`)<いいよ。あとで息子に声かけとくわ。
その後まもなく、息子為和が父の言いつけ通りに欠落部を修正。
しかも為広が奥書(その書物の来歴などの記録)を記してあげるおまけ付き。
ちなみにこの為広さん、能登がたいそうお気に入りだったらしく、
この地において亡くなった(76歳)という説もあるそうです。
おしまい。
218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 21:16:36.99 ID:F9+IcHkH
>>213
その本は今もあるのかな…
227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 06:22:28.44 ID:Q57Cm1J6
>>218
現在も京都上京の「冷泉家時雨亭文庫」に保管してある(一般には閲覧不可)。
書庫内は長らく「冷泉家当主および嫡男以外は立ち入り禁止」だったため、
研究者ですら資料を目にする機会が稀だった。
もっとも、それゆえ貴重な資料が奇跡的に散逸を免れ現存してるわけで、
1980年からは資料の整理・目録製作が進んでいる。
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 09:53:08.23 ID:n96LY9Ql
>>227
そっちにあるのかよw
義総死後にでも貰ったのかね
スーパースターがやってきた! その1 『為広能州下向日記』より
畠山義総はあの名城七尾城を築いた人物。能登畠山氏全盛期を支えた名君であり、
都の文化人との交流を通して『源氏物語』や和歌への造詣を深めた文化人でもある。
1517年の秋、そんな能登七尾城下へ冷泉為広(当時68歳)がやってきた。
冷泉家は和歌宗匠のひとつであり、文芸界のスーパースターである。
為広( ´∀`)<お前らに和歌の真髄ってやつを教えてやんよ
義総とその部下たち<キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)━━━!!!
このとき為広の元に集まった謝礼金が現在の価値で約1600万円。荘園からの収入が
途絶えがちな冷泉家にとってはまさにほくほくの収入である。
さらに、能登は海に囲まれた土地柄なので、
・イリコ…ナマコの腸を干したもの
・背ワタ…鮭の背骨についてる血を使った塩辛の一種
などという珍味もいただいたらしい。
(続く)
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 16:30:29.04 ID:cyyC+eiN
スーパースターがやってきた! その2 『為広能州下向日記』より
実は畠山義総、あの藤原定家自筆による勅撰和歌集を所持していた。
その名も『後撰和歌集』、古今和歌集の次に作られた作品集である。
ところが残念なことに、その自筆本には所々に欠けている部分があった。
それを知った為広さん、義総にさっそくアドバイス。
為広( ´∀`)<ウチ(冷泉家)に写本あるから、それ書き写せばいいんじゃね?
義総(;´Д`)<ま、マジでいいんすか?
為広( ´∀`)<いいよ。あとで息子に声かけとくわ。
その後まもなく、息子為和が父の言いつけ通りに欠落部を修正。
しかも為広が奥書(その書物の来歴などの記録)を記してあげるおまけ付き。
ちなみにこの為広さん、能登がたいそうお気に入りだったらしく、
この地において亡くなった(76歳)という説もあるそうです。
おしまい。
218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 21:16:36.99 ID:F9+IcHkH
>>213
その本は今もあるのかな…
227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 06:22:28.44 ID:Q57Cm1J6
>>218
現在も京都上京の「冷泉家時雨亭文庫」に保管してある(一般には閲覧不可)。
書庫内は長らく「冷泉家当主および嫡男以外は立ち入り禁止」だったため、
研究者ですら資料を目にする機会が稀だった。
もっとも、それゆえ貴重な資料が奇跡的に散逸を免れ現存してるわけで、
1980年からは資料の整理・目録製作が進んでいる。
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 09:53:08.23 ID:n96LY9Ql
>>227
そっちにあるのかよw
義総死後にでも貰ったのかね
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