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是程の手にてしりそかん事糸口惜かるへし

2016年10月24日 18:23

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 17:30:40.07 ID:spJRet+N
羽柴秀吉による播磨国三木城別所長治攻めの時、同国の神吉城主、神吉民部は別所と心を合わせ、
三木に加勢したため、秀吉は軍勢を割いてこの神吉城を取り巻き、攻めかかった。

この軍勢に加わっていた脇坂安治は、真っ先に大手の木戸口まで攻め寄せたが、壁下にて鉄砲に
兜を撃たれ、立ちどころに目が眩んで地に倒れた。

これを見た同僚の宇野伝十郎(後に因幡守と号す)は倒れた安治を引き起こし、彼を助けて退こうとした。
ところが、安治にわかに起き上がり、叫んだ

「この程度の手傷で退くのはものすごく口惜しい!」(是程の手にてしりそかん事糸口惜かるへし)

そして暫く休んで、一番に大手の口より乗り入った。宇野伝十郎も安治に続いて乗り込んだ。
これを始めとして多勢が一気に押し破り、遂に神吉城も攻め落とされた。(安治二十五歳)

(脇坂記)



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別所長治、織田との手切れを決断する

2015年03月10日 18:32

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/10(火) 10:31:09.37 ID:VvPq4sS2
天正6年、織田信長は西国征伐のため、羽柴秀吉を播磨へと派遣した。
信長と同盟した三木上の別所長治からは重臣の別所山城守(吉親)、三宅治忠の両人が派遣されたが、
ある時の軍評定で秀吉の屋形に行くと、秀吉はこのように問うた
「別所長治は西国の案内者となるべき人である。私は信長公のために、代官としてこちらに下向してきた。
各々には、軍立ての次第、不日に敵を滅ぼす謀などはあるだろうか?」

三宅はこれに申し上げた
「西国発向の先手は、我が別所家に仰せ付けられました。その我々が認識しているのは、今度の合戦は
一国一城の小競り合いとは格別に異なるということです。
毛利輝元は大身であり、万死一生の戦いを、五度も十度もしなければ、治まらないでしょう。
非常に手間取ることになると思います。」

その上で、別所家の考える様々な軍略を申し述べた。秀吉はこれを聞くと

「そのように延々とした手立ては、同等の軍勢があるのなら可能であろうが、敵は大勢、此の方は小勢である。
賢人の前に小人が久しく居ては恥が顕れると云う。
こういう軍はな、不意に攻めかかって五度も三度も強き働きをして敵に臆病神を付けさせねば、
早々に勝つことが難しくなるのだ。」

三宅治忠は重ねて申し上げた
「強き働きばかりでは最終的な勝利は成り難いものです。例えて言えば、歯は強く舌は柔らかいものです。
しかしその強い歯は欠け落ちますが、柔らかな舌が落ちることはありません。
和というものこそ、強きを砕く利となるのです。大敵に逢っては、柔剛弱強の4つの物をよく用いるものが
名将であると云います。」

秀吉はしかし
「各々は先手役であるのだから、その働きのことについて随分と精を入れられよ!
勝利を得るための下知は大将役の此の方より指図する!」そう憎体に言い放った。

これに山城守、治忠の両名は閉口し帰城すると、別所の一族・家老の面々参会して、これを評議した。
そこで山城守は申し上げた

「今回、秀吉が当国に下向して、近国他国にまで威を振るい、別所の家臣に対し、無遠慮に我意を
言いつけるだけでなく、剰え自分の下人のように扱い、地元の国人たちに頭を上げさせぬようにすること、
その心底を察するに、すべて信長の謀計であると考えます。
何故かといえば、近年の東国の沙汰を聞くに、関東に四大将があります。それは北条氏康、武田信玄、
織田信長、上杉輝虎の四人です。その中で織田信長の武勇の方向性は、表裏第一です。

表裏には善悪の二種類があります。勇将が敵を討つために謀略をするのは余程のことですが、信長は
騙すことを専らにやっているため、その家風は下々まで軽薄な者が多いのです。

只今、私が思案するに、秀吉を当国に下向させた内実は、先に我ら別所に中国攻めの先手をさせ、西国が
静謐に成った暁には、最初の約束を変じて別所を退治し、播磨は秀吉に与えるという事でしょう。
そういう信長の心底、鏡に映すようです。

敵の表裏を知りながらその謀に乗るというのは、武士たる者にとって思慮が無いというべきです。
我々は、これを判断して立場を鮮明にすべきです。」

別所長治はこれに
「さればこそ、最前より信長からは『兄弟のように思っている』などとしきりに伝えてきたので、
一味同心して大将をひとり給わりますようにと返事をした。私はきっと信長の子息の内、
信忠か信雄が派遣されると思っていたのに、秀吉が差し下された。これは信長の浅智の故である。

おおよそ大将を立てる時は、その人を選ぶことが第一である。氏も無き人を大将にしては諸人軽んずるものである。
しかるに信長はどうか?ようやく侍の真似をする秀吉を大将にして、この長治が彼の先陣で合戦をすれば、天下の物笑いとなるだろう。
この上は最初の約束を変じて、今後信長と手切れするとしよう。それを見せつけるためにも、
先ず秀吉と合戦をしよう。」と仰せになった。
(別所長治記)

有名な話ですが、別所長治が織田との手切れを決断するお話。




竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を

2013年10月26日 19:40

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 20:05:57.73 ID:MTndVanY
ある時、羽柴秀吉は別所長治の籠もる三木城を攻めた。
三木の城山より尾根が続いて下る山の尾崎があり、秀吉はその向かいの山の陣を敷いたが、
その距離は甚だ近いものであった。
三木城からは度々この尾崎に兵を出し羽柴軍と小競り合いを起こし、何度も敵が利を得て帰っていった。

とある早朝、秀吉が本陣から見ると、その尾崎の後ろの方の山陰に、4,500ほどの兵が備えており、
伏勢のように見えた。あれが敵か味方なのか、秀吉が迷っていると、竹中半兵衛がこれを見て言った

「今日の合戦は味方が勝利するでしょう。何故なら、あの山陰に見える伏勢は敵ではなく、
小寺(黒田)官兵衛の部隊だからです。

と言っても、私が官兵衛殿と話し合ったのではありません。ですが、官兵衛はここに私が居ることを
知っています。

彼の伏勢を見ますと、三木城から人数が出撃した時、尾崎の前に備えている神子田半左衛門(正治)は
それと一戦し、わざと早々に引き退く作戦をとるべきでしょう。そうなれば敵は必ず、
逃げる軍勢を追撃します。
その時官兵衛殿は伏兵を起こし、追い打ちにするのです。

そうなると、追い詰められた敵はこの本陣の前を通過するはずです。そこでここからも兵を出し
それを討てば、必ず充分なる勝利を得られるでしょう。

官兵衛殿の考えは、鏡を合わせて見るように解ります
神子田殿に敵が出てくれば矢戦を少々やって、必ず早々に引き退くようにと仰せ付けられるべきです。」

秀吉はこれを聞いて尤もだと思い、神子田に使いを送ってその旨を命じた。
この時竹中半兵衛は、印をつけておくと、小笹を7,8本切らせて腰にさし、馬に乗って
尾崎と本陣の間まで行くと、谷あいを横に見た所にこの笹を挿した。
そして本陣に帰ると「敵があの笹の印を越えてきた時、ここから人数を出して、
横合いに攻めかかるようにして下さい。」と言った。

この様に、神子田も下知を得て待っていた所に、案の定三木城から兵が出てきた。
神子田は下ってくる敵に矢戦にて一戦するように見せたが、早速撤退を始めた。
敵はこれを謀とは知らず、後ろについて追撃を始めた。
ここで案の定官兵衛の伏兵が立ち、追いかけて三木勢を手痛く攻撃した。
こうなっては三木勢は、後ろに戻ることが出来ないため秀吉の本陣の前を通過するより他にない。
そして例の笹の印を超えた時、兼ねての想定通りに本陣より兵が出て横合いに攻めかかる。
後ろからは官兵衛の部隊が更に激しく攻めかかり、神子田勢も取って返してこれを攻撃する。
こうして前後と横から挟み討たれ、敵は一支えも出来ず即座に壊乱し、その殆どが討ち取られた。

合戦が終わって秀吉は、官兵衛と半兵衛の謀を大いに感じ入った。
官兵衛は伏兵を置くことを、秀吉や半兵衛に告げなかったのは、急に敵が出てくる様子があったため
にわかに兵を備えたため、連絡する暇がなかったのだ、と語った。

(黒田家譜)

竹中半兵衛、黒田官兵衛の意図を即座に理解し戦勝に導く、というお話。





419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 23:34:22.53 ID:/qI2tW2t
>>417
長生きしてもらいたかった

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 00:22:50.13 ID:8yfDmZf/
半兵衛が存命なら、関ヶ原ではどちらに就くのか気になる

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 00:38:52.42 ID:2zS4mEmT
普通に朝鮮に渡って三成にぶちぎれ組の一員になってんじゃない

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:04:12.34 ID:j0ARABPu
そりゃ知らぬ顔で毛利の陣でからあげ弁当を…

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:13:26.86 ID:cByI3DZg
>>420
黒田と同じく息子が東軍なので東軍確定

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 01:36:02.17 ID:jGB7mCkb
重門って寝返り組だよね
井伊が誘ったから寝返ったのかな
それとも井伊に頼み込んだのかな

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 03:33:42.12 ID:ZIyHnAFD
真田と同じく息子が東軍なので西軍確定

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/26(土) 06:09:40.93 ID:uTiz2UFY
>>424
犬山の調略は直政と加藤貞泰の間で進んでたので
縁戚である竹中も乗っかったんじゃないかな

城内の兵はその時、生魚を差し出して

2011年09月10日 22:26

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/09(金) 23:35:40.40 ID:6wSFu4cE
秀吉が三木城を攻めたとき、前後三年に及んで落城しなかったのは城が堅固である上に、
間道からの兵糧が多く運び込まれていたからだとか。
ある時、秀吉軍が塀際まで攻め寄ると、城内城外の兵が互いに悪口雑言を吐きあう口合戦となった。
城内の兵はその時、生魚を差し出して広言したのだが、それを見た秀吉軍は
「おいっ!なんで城内に生魚があるんだ!?さては・・・」
と、抜け道の存在を悟り、周辺を厳しく探索して抜け穴を発見した。
この道を止められ、遂に三木城は落城したという。
(播州太平記)




824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/09(金) 23:51:14.83 ID:/yAKlicF
お池やお堀で魚は取れないの?

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 00:19:00.87 ID:nB0XvDKG
>>824
「生魚」といってもさすがにコイやフナじゃなさそうな。
これの読み下し文が載っていた本によると、三木城には、城壁から生きた鯛を寄せ手に見せ、
食糧に困っていないことを示したという伝承があるそうです。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 00:21:25.19 ID:Nvs96m2B
この失敗に学んでがっちり包囲した結果が飢え殺しか、ままならんな

軍見分の明智光秀は

2011年09月10日 22:26

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 01:30:39.35 ID:nB0XvDKG
三木城の大手門は四足門であり、ことごとく鉄を打った柱、扉は厚さ5寸余りのクスノキの一枚板で、隙間無く
鉄の金具を打ち並べ、高さは2尺5寸。
さらに棟木は銅の延べ棒、瓦も残らず銅でできており、まさに「函谷関もものならず」であった。
兵糧攻めによって城中には飢人ばかりだったが、秀吉軍はこの門をどうしても突破することができず、
手をこまねいていたのである。

軍見分の役として遣わされていた明智光秀はこの難儀を聞くと、刃渡り8寸余り、柄の長さ5尺余りの大マサカリを担ぎ、
マッチョな兵(逞兵)300人余りには掛矢と大槌、鉄梃などを持たせて鉄門に向かい、それらを一斉に打ち下ろさせた。
これにはさすがの鉄門もメキメキと音を立てて歪んでいく。
そこに光秀が大マサカリを振り上げて、扉を続け打ちに薙ぎ払ったものだから、さすがの楠板も金具もろとも
バラバラに砕け散ってしまった。

驚いた守備隊が打って出てきたが、光秀はマサカリを真っ向に指しかざし、当るを幸いと敵兵を打ち砕き、
たちまち城兵二十余騎を打ち落とし、
その他数知れぬほどの飢人に怪我を負わせたのだ。

これを見た秀吉は大いに喜び、「この虚に乗じて攻めよ!」と采配を打ち振ると、明智勢は下知に従って
「エイ!エイ!」と声を揃えて鉄梃を振るい、
飢人達を追い立てたのである。
その様子に城兵は「地獄もかくばかりであるか」と恐れおののくばかりであった。
(播州太平記)



829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 01:39:54.50 ID:nB0XvDKG
何ともぶっ飛んだ作者不明の軍記物は、信長の悪い話へと続いていきます。

秀吉の報告でこの光秀の抜群の働きを知った信長は大いに喜び、
「今に始まらぬ勇猛の働き、また、三木城の鉄門を破りしこと、稀代の手柄である!
よって、恩賞として越前永平寺領の内、130町を取り上げ、これを遣わす。
もし、寺僧が異議に及んだら誅罰せよ!」との書状を光秀に下した。

信長の一生のうちはかくの如く社領を没収して武士の知行となし、または沙門を殺すこと限りなし。
その罪、天に背きて人々にも見放され、狂いたまいける。





828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 01:31:46.87 ID:H7j31K3R
光秀無双w


830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 01:40:34.90 ID:sc9LLtbF
ガリガリにやせ細った城兵にゴリマッチョな300もの兵が
「エイ!エイ!」と声を揃えて鉄梃を振るう姿はシュールすぎる・・・。

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 06:33:26.79 ID:Oaugt5Ep
まさか光秀が巨大マサカリ持って陣頭に立ち城兵を無双するとは…
事実なら信長は体育会系マッチョ(スキンヘッド)な光秀をしばいたりしてたのか…
こりゃ死に際に是非も無し…って言っちまうわな

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 07:48:37.08 ID:oEYIne3m
殺し間(物理)にて候

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 08:30:21.60 ID:C9BqRf5U
幽斎といい光秀といい戦国の教養人は大力がデフォなのかw

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 10:14:44.58 ID:eRLa3vpP
>>832
近江を手に入れたころには相撲に嵌まってたからなあ
けっこうそういった連中を好んで傍に置いてたんじゃないかな

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 10:40:48.86 ID:UyI0ka2x
>高さは2尺5寸。





匍匐前進しないと通れねえwww

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 10:54:46.80 ID:FgxTN5EO
光秀って三木城攻めに参加してたんだ。

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 11:11:18.25 ID:nB0XvDKG
こんなのが大手門って、いったいどんな城やねん!

でも、掲載されている原文ではそのまま弐尺五寸となってます。
二十尺五寸と書きたかったのだと思うけど・・・
大げさが売りの軍記物だし、まあ雰囲気で読み替えてみてくださいな。