425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/30(土) 17:41:51.16 ID:EhiSMOPN
元亀四年八月、織田信長は越前を退治し、朝倉尽く敗北、朝倉配下の屈強の者共は、
討ち死にするか、あるいは生け捕られた。信長は朝倉より寝返った前波吉継、富田長繁を
召し出して、そういった人々の名字を尋ねた
この時、牧弥六左衛門が生け捕られ連れてこられた。
信長が「彼は何者か?」と聞いた。前波が「彼は牧と申す者です。」と答えると
「牧といえば聞き及びたる者ではないか。それほどの者がどのようにして捕えられたのか?」
これに牧が答えた
「御家臣の前田又左衛門(利家)、佐々内蔵助(成政)と名乗り懸り、刀禰山まで追い詰め、
勝負決しようという所で、膝口を強かに突かれ、進退窮まりて生け捕られました。」
そう聊かも気後れ無く語る姿に、信長は
「彼は勇姿である!死罪を宥して、今後は味方に参り、忠戦を尽くすように。」
牧はこれを承るも
「先程からの御恩言、忝なく存じます。しかしながら、私は譜代として朝倉の家に奉公の
身であり、ことに国中に奉行として知られた者でありますから、何の面目があって命を
生き長らえるでしょうか。ただ、速やかに誅し賜るべし。」
前波吉継はこれを聞くと
「信長様のお言葉に偽りはない。本領も更に別義なく安堵される。畏まって忝ないと申す
べきだ。」
牧は目を見開いて前波を睨みつけ、言った
「和殿は朝倉普代の者にて義景の厚恩を蒙りながら、己が不義だけでなく、人まで汚す気か!?
ただすぐに頸を刎ねられよ!」
信長も力及ばず、彼を河原に引き出して頸を刎ねた。
この時牧は、「侍品の者、打ち捨てにすることがある。だから先に腹を斬ろう。」
そう言って、脇差を乞うて腹を斬ったという。
(士談)
元亀四年八月、織田信長は越前を退治し、朝倉尽く敗北、朝倉配下の屈強の者共は、
討ち死にするか、あるいは生け捕られた。信長は朝倉より寝返った前波吉継、富田長繁を
召し出して、そういった人々の名字を尋ねた
この時、牧弥六左衛門が生け捕られ連れてこられた。
信長が「彼は何者か?」と聞いた。前波が「彼は牧と申す者です。」と答えると
「牧といえば聞き及びたる者ではないか。それほどの者がどのようにして捕えられたのか?」
これに牧が答えた
「御家臣の前田又左衛門(利家)、佐々内蔵助(成政)と名乗り懸り、刀禰山まで追い詰め、
勝負決しようという所で、膝口を強かに突かれ、進退窮まりて生け捕られました。」
そう聊かも気後れ無く語る姿に、信長は
「彼は勇姿である!死罪を宥して、今後は味方に参り、忠戦を尽くすように。」
牧はこれを承るも
「先程からの御恩言、忝なく存じます。しかしながら、私は譜代として朝倉の家に奉公の
身であり、ことに国中に奉行として知られた者でありますから、何の面目があって命を
生き長らえるでしょうか。ただ、速やかに誅し賜るべし。」
前波吉継はこれを聞くと
「信長様のお言葉に偽りはない。本領も更に別義なく安堵される。畏まって忝ないと申す
べきだ。」
牧は目を見開いて前波を睨みつけ、言った
「和殿は朝倉普代の者にて義景の厚恩を蒙りながら、己が不義だけでなく、人まで汚す気か!?
ただすぐに頸を刎ねられよ!」
信長も力及ばず、彼を河原に引き出して頸を刎ねた。
この時牧は、「侍品の者、打ち捨てにすることがある。だから先に腹を斬ろう。」
そう言って、脇差を乞うて腹を斬ったという。
(士談)
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