七夕・八朔に白帷子を着用するのは

2017年09月09日 10:15

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/09(土) 04:30:38.81 ID:FIiOK3Ag
七夕・八朔に白帷子を着用するのは、権現様(徳川家康)の御時分に、

騒がしい御時節につき、染め申す間もないため、白地のままで着用し、
いずれの者も罷り出た。

その儀が御吉例になり、今でも白帷子にするのだという。

これを岡田豊前殿か小堀仁右衛門殿に微妙院様(前田利常)が御話
遊ばされたのを御聞きになられたとの旨、

庚子1月4日に(松雲公・前田綱紀が)仰せ遊ばされた。

――『松雲公御夜話』


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門は、上総主が。家は松平筑前守が

2017年01月16日 10:19

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/16(月) 04:07:34.97 ID:6MquBIxB
この一両年中(慶長19年)、諸大名は江戸の屋敷という屋敷の
家屋に美を尽くした。

門は、上総主(松平忠輝)が江戸一番であった。家は、加賀国の
松平筑前守(前田利常)が一番であった。

――『当代記』



515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/16(月) 09:48:29.75 ID:kO1E1O1y
忠輝は見栄っ張りだったか

隼人に限らず老人は

2015年10月31日 18:46

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 01:53:21.73 ID:5Woe+ME6
前田筑前守(利常か)へ阿和隼人という者が罷り出て、謁見した折のこと。

隼人は畳廊下を長袴で通ったちょうどその時に、どうしたことかつまづいて転んだ。
すると筑前守の近習の士は一同に笑った。その時、筑前守は以ての外に顔色を変えて、

「隼人に限らず老人はこのような誤ちがままあるのだ。少しも笑うべきことではない。
後日の戒めとして、笑った者どもは鬮取り(くじとり)で1人切腹せよ!」

と仰せ渡した。しかし、隼人がその事を聞き筑前守の前へ進み出て、様々に詫び言を
したので、筑前守はようやく聞き届けて、近士の切腹を許したということである。

隼人は初めは善右衛門といって関白秀吉に仕え、後には堀尾家にいたそうである。

――『明良洪範』



921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 03:58:13.82 ID:g8Mx1uZe
もし阿部さんが止めなかったら鼻毛様はどうしたんだろう

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 04:47:37.94 ID:NodawvfQ
>>921
阿部さん「やめないか!」
前田の殿様「うほ!」

その家であってかくの如し。

2015年09月15日 17:29

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 05:20:40.44 ID:94hHNS5O
小松中納言前田利常卿は、肥後守を号し、加州小松に居城しているため、常には小松との
称号を用いていた。

武家大系図御吟味の時、江戸城においてある人が、「前田の御系図はいずれより始まっているのか」と
尋ねると、利常はこのように返答した

「又左衛門(利家)は、何れもご存知のように小身より成り立ち、先祖のことは少しも存じません。
林道春に申し付けておりますから、定めて良きように書いてくれるでしょう。」

この答えに時の人たちは大いに感じ入った。彼は将軍の聟であり、大名の首座、御三家の末席であり、
その家格を子孫に伝えている。その家であってかくの如し。

(明良洪範)



708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 07:37:57.12 ID:Fk/EkXl+
源平だの藤原だのと詐称せず利家が起源と、その潔さに感服した

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 07:40:35.18 ID:bclq8VJc
脇坂「北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原」

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/16(水) 06:23:17.14 ID:rdL5ARTl
前田家の逸話ってときたま肥後守に化けちゃうな

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/16(水) 10:03:03.81 ID:rWhUaf9t
林家に系図捏造を依頼したいい話

前田利常と珠姫

2015年05月25日 18:36

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/24(日) 21:41:29.28 ID:58nrnPEJ
このスレや悪い話スレでも度々紹介されているとおり、前田利常は正室の珠姫と大変仲がよく、珠姫が若くして亡くなった際はたいそう嘆き悲しみ、ひと目もはばからず号泣したと言われている。
利常は珠姫の死後、姫の菩提を弔うため、金沢城よりほど近い場所(現在の金沢市小立野)に天徳院という寺院を創建した。
創建当時の敷地は4万坪ほどで、寺領は五〇〇石という立派なものであったといい、加賀藩から天徳院に宛てた知行宛行状は現在も当院で保管されている。
また、天徳院は昭和63年から一般公開されており、寺内では、珠姫の位牌と坐像、珠姫手製と伝わる紙雛人形、枕屏風、御膳など、珠姫縁の品々が展示されている。
珠姫縁の品々以外には、前述の知行宛行状のほか、前田光高が死去した際に八条宮智忠親王が納めた経なども展示されている。


先日立ち寄ったら、お寺の方が「団体客はそこそこ来てくださるが、個人のお客様が少ない」とおっしゃっていたので紹介がてら。
展示のほかに珠姫と利常のからくり人形なんかもあるし、立派な庭も深緑が美しかったので、石川県立美術館の『加賀前田家百万石の名宝』とセットでいかがだろうか。美術館からなら散策しながら徒歩で行かれる距離にあります。




鼻毛を伸ばす理由

2014年09月03日 18:55

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/02(火) 22:30:00.18 ID:gLSh0Sgh
前田利常は鼻毛が伸び過ぎていた。それは大変見苦しいものであったが、誰もこれを
申し出す者は居なかった。

重臣である本多安房守(政重)は、出張の土産として鏡を進上し、
また近習の者達に申し付け、夜詰めの際には利常の前でわざと鼻毛を抜かせ、
それとなく気付いてもらうようにしたが、まったく気にする様子はなかった。

この頃、利常の近くで仕えている掃除坊主が湯治に行った。これに横山左衛門佐が指図して、
鼻毛抜きを土産として利常に捧げた。彼はこれを見ると老臣以下を呼び集めた

「私の鼻毛が伸びているのを、何れもおかしな事だと思い、世上にては『鼻毛の伸びたうつけ者』などと
言われている事は、この利常も心得ておる。

近頃安房守が鏡を送ってきたり、近習の者達が懐に顔を差し入れて鼻毛を抜き、痛そうな顔をしていたり、
今度この坊主が鼻毛抜きを持参してきたりしたのも、お前たちが指図しなければどうしてこのような
事があるだろうか。

私は全て解った上で、そのまま差し置いていたのだ。その意味をお前たちに申し聞かすため、
今呼び集めたのである。

私は現在、大名の上座にして、官禄も日本有数の存在である。
この利常が利口を鼻の先に顕すようなら、人々は気を使い大いに疑いを持ち、考えもしないような難儀を
被ることもあるだろう。
私がたわけであると人に知らせてこそ、心やすく三ヶ国を領し、何れも楽しむことが出来るのだ。」

(明良洪範)

前田利常の、鼻毛を伸ばす理由、である。




不死身の男たち

2014年08月10日 19:10

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/10(日) 01:00:13.54 ID:EKsYzcFH
不死身の男たち

前田家の軍勢が真田丸を攻めていた時のことである
前田家の家臣に小田切所右衛門は真田丸に接近しすぎたために、真田軍の放った銃弾に当たってしまった
しかし、所右衛門は当たった銃弾を抜き取ってまるで何もなかったかのように傍に居た平野弥次右衛門に、その銃弾を見せた
そうして笑いながら会話していると、今度は銃弾が所右衛門の額に命中した
それでも所右衛門は

「兜というのは大事な物だな、この兜は元々は信玄公が持っておった物ぞ」

と言って再び銃弾を取り出した
銃弾の痕からは血が流れ出たが所右衛門はまったく怯む様子を見せなかった
その武者ぶりを敵味方共に賞賛した


所右衛門が当たった銃弾を見せた平野弥次右衛門の従者に五右衛門という者が居た
五右衛門は矢面に立ち、18発の銃弾が五右衛門をかすって傷を負わせた
その大剛な振る舞いを見た真田丸からは賞賛の声が挙がり

「姓名をお聞かせ頂きたい」

と声がしたが五右衛門は姓を持っていなかった
そこで平野弥次右衛門は己が姓をつかわした
すると、五右衛門は大声で

「平野弥次右衛門の下人五右衛門という者であるが、これまで御供した褒美として只今氏を賜り、平野五右衛門と申すなり」

と名乗りを上げた

                                    『常山紀談』



486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/10(日) 01:09:43.13 ID:pkm8roq1
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3980.html
後半は既出か

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/10(日) 02:26:50.55 ID:jnDhl7TE
只今っていう氏を賜ったのかと思った

賞を得るテクニック

2014年06月02日 18:55

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/01(日) 22:03:08.76 ID:fv1WmChP
大阪夏の陣のある日のこと。

前田利常の使者、北川久兵衛という者が藤堂高虎の陣に来訪し、用事を済ませての帰りがけに
合戦が始まった。そこで久兵衛もこの戦闘に参加し、敵一人を斬って、その頸を高虎の見参に入れた。
高虎が「それは前田殿への土産に持ち帰るが良い」と言うと、その言葉通り久兵衛は頸を携え帰って
利常の検分に入れたが、さしたる賞もなかった。

このことを聞いて、高虎は
「老功の士であれば『頸は当手の数に入れられよ』と言って捨て置いて帰るであろう。しかし当方では
そのまま自分たちの討った首級の中に入れるべきではないから、久兵衛の功を記して、頸を添えて
前田の陣へ申し送ることに成る。すると、前田はそれを見た以上、相当の賞をやらねばならない。

であるのに、頸を持ち帰ったために賞に漏れたのは気の毒というものではあるが、それは実は、
当然の事なのである。」
と語った。

(名将言行録)

藤堂高虎の、「賞を得るテクニック」についてのお話。




427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/01(日) 23:44:32.50 ID:fRwr0Bgg
いつの時代も正直者というか素直な人間は損をしますな

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/02(月) 01:12:34.83 ID:6JWOzLiY
我が家の老功の士も度々出先で合戦に加わるのか、
カエルやGなどを討ち取り頸を携え帰って参りますので
検分の後、恩賞としてカリカリを与えております

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/02(月) 06:04:45.40 ID:smOvyZpp
>>428
よけい首もって帰ってくるじゃないやだー

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/02(月) 11:30:48.01 ID:E3l0+VMc
>>428
おまえがいつまでたっても手柄たてられないから
見本を見せてあげてるだけだ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/02(月) 13:37:14.75 ID:fLhUY3fG
わんこ「嫁くれー!」

だから、早く走ったからといって

2014年03月02日 18:58

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/02(日) 16:56:39.25 ID:IOHvqOzR
前田利常の家士である大音左馬介に対して若い人々は、

「いかに老人の心はどれほど勇猛だとしても、老いたならば走ることは難しいだろう。
『麒麟も老いては』と言うこともある」と、言った。

左馬介はこれに答えて、

「五丁七丁走ったからといって、敵中へただ一人討ち入ることも成り難いものだ。
それゆえ、あとから来る味方を待つうちには、老人も間に合うことだろう。

それに五丁七丁走るうちは早くとも、敵に近くなれば敵方より撃ち出す矢玉のために
中々進むことができないものだ。だから、早く走ったからといって益は無い」

と言ったので、人は皆言葉もなかったということである。

――『明良洪範』





虎の鈴を取る方法

2013年12月29日 18:29

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 09:56:27.89 ID:Yt4uTbju
大猷院様(徳川家光)の御代の事である。

諸大名の江戸城への出仕日に、林道春が罷り出でて、諸大名に問題を出し、「どうぞ解答を出して下さい」と
言って、様々に語っているのを前田利常が聞いて、道春を部屋に呼び出し、「何を語っていたのか」と尋ねた。
道春はこれに

「今日は1日長くもありますから、出御の前の待ち時間の御慰みにと、一つ問題を出してその解答を
当ててもらおうとしたのです。」

「それはいったい、どのような問題なのか?」

「はい。虎の首に鈴をつけ、千里の野に放った時、この鈴をどうやって取ればよいか、という問題です。」

これを聞くと利常は
「なんだ、それは問題という程でもない。簡単なことではないか」

道春は「いえいえ、なかなか難しい問題ですよ?」と反論したが、利常は

「道春は何を言っておるのだ。最初に、虎の扱いに長けた者が既に出ておるではないか。
虎に鈴をつけた人物だ。ならば、今度もまたその者に鈴を取らせれば良いだけの話だ。」
そう言って笑われた。

道春はこの答えに「さてさて」と大いに感心した様子であったという。
これは脇田九兵衛が語ったことである。

(微妙公夜話)

トンチですね




988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 10:06:28.03 ID:coZqcFCs
千里の野を燃やして、虎の死体から鈴をとれば

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 10:21:32.04 ID:Ei5U78eQ
せいしょこさんがアップを始めました

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 10:24:21.67 ID:coZqcFCs
草千里に虎を放つか

思い切ったことをすれば、

2013年12月26日 19:07

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 09:47:59.67 ID:PfDwTgJs
前田利常の御徒であった澤田新八は、ある時利常の意に違えたため、閉門を仰せ付けられた。
そのような中、利常は参勤のため小松より出て金沢の浅野屋に宿泊し、そこから出立して
金沢の町端まで来たところに、金鎖橋のかなたに新八が罷り出て、田の際に這いつくばっていた。

前田家中の者達はいずれも「あれは御折檻人ではないか。どうしてここに?」と思っている所に、
利常の駕籠も近づき、これに気がついた。

「あれは澤田新八めか?」「その通りでございます。」「あやつは閉門をさせておいたのに、どうして
罷り出でてきたのか、尋ねてまいれ。」

そこで家臣が新八にこれを尋ねに行くと、
「私は、殿の御在国中には御免して頂けると思い、それを待って閉門していましたが、
お許しはなく昨日参勤のためお駕籠を出立なされました。
そこで、もしかしたら金沢でお許し頂けるかと思いました。

しかし、それも無いのであれば、もはや来年までには頼りも尽きてしまいます。そのくらいなら
死んだ方がましだと思いました。
ですが自害するよりも、御目通に罷り出でて誰かに斬り殺されたほうが御憤りも止んで宜しきはずと
考え、こうして罷り出て来たのです。」

新八はこのように語り、これを利常に伝えると、
「1年閉門させても足のいらぬ奴じゃ!…猿の革の毛巾着を今持っているのか聞いてまいれ。」
そこで尋ねると、「持っています。ここにあります」と、懐中より出して渡した。

利常はこれを御覧になって「新八に、それを下げて供をするように言え」と命じた。
こうして澤田新八は江戸までお供をし、御奉公申し上げた。
思い切ったことをすれば、お許しになることも間々あったのだと、これはこの参勤の時、
同じくお供をしていた塩江半右衛門がお話になった事である。

(微妙公夜話)




974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 10:41:17.84 ID:j+ygRlkQ
「足のいらぬ奴」ってどういう意味?

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 11:45:21.74 ID:zhwQjVI+
足りない奴じゃないの?

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/26(木) 14:22:06.19 ID:JEKTRj+x
「一年閉門にしたのに金かからなかっただと!?財布よこせ」
「はい・・・」
「罰金徴集っと。財布だけ返しとくわ」

こういう話かと思った

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/27(金) 02:08:54.47 ID:Y+0rgaIi
>>976
それは加藤明成がやりそう。

前田利常「総じて、百姓への対応は」

2013年09月23日 20:35

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 20:22:49.21 ID:uDd/LFc4
微妙公(前田利常)はこのように仰った

「総じて、百姓への対応は鷹へ餌の肉を与えるのと同じ事である。

鷹に肉を与えすぎれば、鳥を取らなくなってしまう。
百姓も豊かになりすぎれば、農業を疎かにしてしまう。

逆に、鷹に与える肉が少なすぎては、鷹は鳥を逃してしまう。
百姓も疲弊させてしまえば、田畑を耕すことすらできなくなってしまう。

また、百姓が豊かになろうとするのを、我らが卑しいことだと考えてしまえば、もはや農業そのものが
廃ってしまう。」

そう仰られていたのを、津田玄蕃殿が聞いたと、私の亡父瀬兵衛が申していました。
(微妙公夜話)

一概に悪い話でもないですが、良い話でもないのでこっちに。
当時の為政者の農政観のよく出ている話だと思います。




368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 21:01:24.48 ID:cOr3YAn1
100姓は生かさぬよう、殺さぬよう

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 21:33:03.70 ID:nvB8KMmq
よくわからないけど強烈な違和感がある
理屈のどこかがおかしい

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 21:41:19.76 ID:0LhSmS+0
>>367
加賀の人が言うとえらい説得力があるな

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 22:23:09.83 ID:RJLdPyED
現代のブラックなサラリーマンにもこんな対応してもらいたい
疲労させて鳥が取れなくなったら、次に交代ですからね

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/23(月) 10:25:57.54 ID:cOnK69Oi
そこへ越後のちりめん問屋と称する老人が(以下ry

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/23(月) 12:50:55.69 ID:bkZ3yb0b
次回「伊達黄門」ご期待ください

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/23(月) 16:55:50.95 ID:cIOYa3qU
(`●ω・')、一揆でもするには武器が必要だろ。やるよこれ。礼はいらねえぜ!

微妙公、年末金の掴みとり!

2013年09月19日 19:51

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 21:31:29.74 ID:/NLL7+d/
ある年の暮れのこと。

微妙公・前田利常は大量の一歩金を御文庫の蓋に入れ、それを御前に置き、家中の者達が罷り出でた時に
それを手でつかめるだけ掴ませて与え、家臣はそれを頂戴して退出した。

この時家中の者達は、何れも片手を付いて、もう一方の片手で掴んでいたのだが、
細源太左衛門は罷り出でると、いきなり両手で一歩金を救い上げた。
これを見た利常は

「おいおい、皆片手で掴んでいるのにそれはどうなのだ?」

と声をかけると、細源太左衛門は「はっ!」と一声返事し、両手ですくった一歩金を
懐中に入れ、また片手で掴んで頂戴し、退出した。

利常は「さてさて憎きやつ」と言われ大笑いし、非常にごきげんであったそうだ。
(微妙公夜話)

微妙公、一歩金をガッツリ取られるの巻




347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 21:56:56.13 ID:n21rfHVi
気前いいけどその金は民、百姓の血と涙の結晶なんだぜ

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 07:40:32.24 ID:9gHAW0cB
趣味やらで放蕩するよりは、
人材に使ったほうが国のためではなかろうか

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 12:50:12.57 ID:OnhK//UT
細源太さんの能力次第だな

吝い殿様

2013年09月01日 18:51

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/31(土) 22:17:33.86 ID:U/pLdYGV
ある時、神保長八や、我が祖父である脇谷九兵衛といった、微妙公(前田利常)と心安き者達が、
微妙公の御前に寄り合い、歓談していたことが在った。

この時微妙公がお尋ねになった

「下々はきっと私のことを、吝い殿様だと言っているだろう。」

座の人々は

「いいえ、そのような事は聞いたことがありません。ただ、『御物綺羅し』とは
呼ばれています。」

御物綺羅しとは、綺羅びやかな御物を取り揃えているといういみであろうか。
しかし微妙公は強く否定した

「いや、そのように言うはずがない!」

これには御前の人々も意地になって、誓言まで立てて同じことを申し上げる。
しかし微妙公は

「いいや、そんな事が有るはずがないのだ。私は歳を取って、殊の外吝くなったことを
自覚しているのだ。
昔と違って、加増や、その他褒美を取らせるときも、2度も3度も思案してしまうのだ。
昔は思い立ったらすぐさま、そのまま遣わしたというのに…。」

これは神保八左衛門の話に伺ったことである。
(微妙公夜話)

微妙公、歳をとってから褒美に慎重になってしまったことを嘆く、という話である。




254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 10:13:51.64 ID:oRnPhk4P
>御物綺羅しとは、綺羅びやかな御物を取り揃えているといういみであろうか

御物綺羅しとは、立派なアレをお持ちという意味では?

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 13:18:41.79 ID:OMByHB3N
キラキラ鼻毛

微妙公、舌切雀を

2013年08月29日 19:54

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/29(木) 16:20:52.74 ID:7/iNMmR+
埋め代わりに

微妙公(前田利常)がある時、仰ったことに

「『舌切雀』という昔話が有り、子供に物語するが、あの話の作者は、本当に物事をよくわかった者である。
あの昔話の中に、人間にとって必要な事は全て揃っている。

あの話の中で、老翁には慈悲があり、老婆は不慈悲である。

老翁が軽い葛籠を貰ったのは少欲であり、老婆が重い葛籠を貰ったのは多欲である。

老翁が宿まで葛籠を開かなかったのは約束を違えなかった為であり、
老婆が道で葛籠を開いたのは約束を破ったのである。

このことを理解すれば、世上の事は済むという物である。」

これは藤田内蔵充殿から承った話である。
(微妙公夜話)

微妙公、舌切雀を高く評価していた、というお話。




997 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/29(木) 19:36:35.49 ID:SXhn3q/6
いい話だな

織部も泉下にて喜んでいることでしょう

2013年07月20日 19:57

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 21:24:08.37 ID:ALqSd73d
前田利常の元に小堀遠州が御出でになり、四方山の話をしていた時に、利常がふと

古田織部の焼かれた茶入の中でも良い物で、なおかつ織部自身の茶の湯に出した
茶入というものは、あるのでしょうか?」

遠州は答えた
「ええ、御座います。その茶入は、餓鬼の腹によく似ているからと、『餓鬼はら』と名付けられた
茶入です。実に、一段見事な茶入です。」

これを聞いてその茶入を手に入れたく思った利常は、遠州の語った内容を書き付け、
京都でこれを尋ねよと高田弥右衛門らに命じた。

高田達が探し尋ねると、その茶入はとある町方のものが所有していることがわかった。
その町人に、譲ってもらうよう頼み、代金のことについて尋ねると、
高田が買取の値段を言い出す前に町人は

「何と言っても御大名様がお尋ねになった事ですから、金五百枚と申し上げてください。」

と、金五百枚を要求した。そこで高田弥右衛門もこれを利常に報告した。
そうした所で利常は小堀遠州に京へ言ってもらい、その茶入を確認してもらった所、
「成程なるほど、間違いなくこの茶入です。」
とお墨付きを得たため、利常は高田に金五百枚を遣わし、町人より茶入を買い取った。

その後、小堀遠州がまた利常の元に参った時、利常はこの『餓鬼はら』の茶入で茶の湯をされた。
茶の湯が終わると小堀遠州が尋ねた

「この茶入を買い入れるのに、代金はいかほど必要だったのでしょうか?」

「持ち主が金五百枚と申しましたので、その通りに遣わしました。」

これを聞くと小堀遠州、手を叩いて痛快そうに
「実にご尤もなことです!御大名がそのようにしていただいてこそ、織部の焼き物に
価値が付くというものです!織部も泉下にて喜んでいることでしょう!」

そう申し上げ、帰っていったそうである。
これは今枝伊兵衛の話に承った事である。
(微妙公夜話)




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 00:06:01.37 ID:MNPFUEiv
糞ガキの元ネタか

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 11:32:29.75 ID:S2B+QJIP
みんなで価値を釣り上げるのか

献上のサザエ

2013年07月07日 19:02

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/06(土) 20:12:30.51 ID:ARBe2bS+
前田利常公の時代のこと

山本瀬兵衛は御用によって、小松から金沢に召されたのだが、いつもどんな用であっても、
召された時には軽いものを利常公に献上していたのに、この時はうっかり忘れて来てしまい、
台所奉行の佐藤久右衛門の所に行き

「何でもいいので、手頃なものが有れば貸して頂けないだろうか?後で同じ物をそろえて返すので。」

と聞くと、「今朝方どこかからサザエが一折来ていたが」とのことなので、それを借りた。

ところが、その時期はちょうど夏であったため、サザエのうち1つか2つ、臭うものが有り、

「主に腐ったものを贈るなどあるものか!」

と、受け取った利常な以ての外に機嫌が悪くなり、そのため右筆の中村久越殿が山本の所に
やって来て、彼を散々に叱りつけ、この事を聞かせると、山本はしかし

「これは近頃迷惑なことです。私は急に召し出されたため、献上品を忘れてきてしまい、
台所に行って佐藤久右衛門殿に『何かあったら貸してほしい。後で揃えてお返しする。』と言って、
サザエを借りたのですが、その時私は焦っていて、それをろくに確認しませんでした。
そのため、少し悪いものがあったのでしょう。」

と言い、この事が中村久越から申し上げられると利常は

「それが申し訳になるものか!それは田舎たわけの披露というものだ!
佐藤久右衛門は田舎ぶりの抜けない人間で、それ故に信頼していたのに、久右衛門は
親や子供には知らないが、人に物の用に立つものを貸さないような者であったのか!
そのような人物を重宝して台所奉行に置いていればそれは、前田家全体が田舎一門と
見られてしまう。それはたわけの至極である!早々に調査をせよ!」

との御意であったので、次の日山本瀬兵衛が、再びサザエを佐藤久右衛門から取り寄せさせた所、
今度は初めのものより大きく新鮮で、見事なものをくれ、しかも目録に印まで押して遣わされた。
これを見た前田利常

「久右衛門は山本瀬兵衛の事をちゃんと心に懸けておるわ」

とお笑いに成り、中村久越は山本に「昨日はお叱りになったのに、今日のサザエは見事だと、
お褒めになっていたよ」と伝えて笑われた。

この事は私(著者)の亡父である、山本瀬兵衛が話したことである。
(微妙公夜話)





626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/06(土) 22:26:04.83 ID:vX30mZNK
>>625
献上品を借り物で済ましてるのに、そのこと自体は怒らないんだな

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 09:32:25.66 ID:5K76/cB6
あ゛あ゛あ゛あ゛面倒くせぇwwww
昭和時代の盆暮れの挨拶よりも面倒くせえよよよよよ

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 17:51:09.48 ID:5PR2IANo
「武士の家計簿」でもやれ挨拶だの祝いだのお礼だのって金かかってたな
あれも加賀藩だったけど

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 19:21:44.33 ID:4dLEp5fA
>>628
映画ては演出かもしれないけど
膨大な借金か抱えて家財道具売り払っても残り十年返済で事を納めたんだよな

百姓を打擲仕候得は、死申候

2013年07月05日 20:01

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/04(木) 20:33:17.39 ID:7nDsCqMe
前田利常公の時代のこと

上村孫市という者が「百姓を打擲したら死んだ(百姓を打擲仕候得は、死申候)」との
届出をしてきたため、加賀藩は彼を公事場(裁判の場)に呼び出しその仔細を尋ねたところ、
上村孫市は以ての外に怒りだし、殺すに至った状況を話そうとはせず、逆に奉行達に向かって

「私は自分相応の男道を勤めている!あなた方は自分よりも弱い奴を組み伏せ首をとっても、
自慢顔をするような人達だ!
私は自分よりも強い奴を相手にして、首も半分取られかけた!しかしそこを跳ね返して
討ち取ったのである!私は頭を十文字に割られたのだぞ!」

(手前似合に男道相勤申候、各ハ我よりよわきやつを仕伏首取候でさへ、自慢顔にて候。
手前ハ我より強きやつを相手にして首も半分取られかけ候をはね返し討取り申候。
あたまを十文字にわられ申候。)

そのようにわめき騒ぎ立て、状況を説明することはなかった。

奉行達は困り果て、この事を奥村源左衛門殿に申し上げた所、

「ここは我慢して、そのままにしておけ。
あの上村孫市が物の道理の解る人間であったら、今の私と同じ程には
取り立てられていただろうに…。」

と言い、このため上村孫市には処分が下らなかったという。
これは別所三平から聞いた話である。
(微妙公夜話)

面倒というか頭がおかしいと言うか、前田家にも困った人が居たんですね、
というお話。




12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/04(木) 21:35:59.80 ID:FcwFOXg+
強弁や強烈な屁理屈で動いてる人間って昔から迷惑な存在やったんやね

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/05(金) 00:52:35.06 ID:4MtCi/h6
これは関わり合いたくない
「基地外はスルー」は昔からだったんですね

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/05(金) 17:13:49.49 ID:k8PThJX8
上村さんの理屈も、奥村さんの理屈もともにおかしいな
どちらも自分の都合ばかりで損はしなくないの丸出し

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/05(金) 17:18:23.97 ID:k8PThJX8
訂正
「損はしたくないの」

武士と奉行所が公事となった件で基地害スルーしたらダメだよな
気持ちはわかるが

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/06(土) 01:36:15.54 ID:mMxnkDXE
上村さんは上層部の弱みでも握ってたのかな
どんなに強かろうと、こんなキチガイ処断しないと示しがつかないだろ

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 19:08:18.93 ID:urZeNiLB
>13、????「できればな。しかしこの世には頭のよく回るキチガイもおるで」

前田利常とはこべの御汁

2013年06月14日 19:50

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/13(木) 20:20:36.43 ID:BH4MtpB5
加賀藩の御料理人である長谷川徳左衛門は先年、京に向かう前田利常に従い東海道を下っていたが、
関ヶ原宿に泊まるその日の道中、道端ではこべが見事に成っているのを見つけ、これを乗っていた馬に
挟み進んだ。

さて、関ヶ原宿に着くと、そこにはろくな食材がなかったため、長谷川は焼いた干鱈に先に摘み取った
はこべを加え入れて汁を作り利常に差し上げた所、これを大変気に入られ。度々お替りをして
召し上がった。
そして長谷川を御前に召し、

「殊の外よき汁であった。どうしてこのような料理を思いついたのか?」

と聞いた所、長谷川は

「私が先行して進んでいた所、道際に見事なはこべを見つけました。関ヶ原宿には多分良い食材は
無いだろうと思ったので、このはこべを取り乗り掛けの馬に付けて、こちらに到着した所、
案の定良い食材はありません。ですので先の御汁にしたのです。」

そう申し上げると、利常は感心し

「自分の役儀をよく心得ており、大変奇特である。」

と言って御箪笥の中から金子を、包のまま下された。
その包の中には金子が、一歩五十八切(一歩金は小判の4分の1)も入っていた。

後で長谷川徳左衛門は「御汁一つ料理してたいへんな金子を貰ったよ」と大いに自慢していたそうである。

(微妙公夜話)





前田利常と森権太夫

2013年06月04日 19:52

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/03(月) 21:18:39.31 ID:OGuKHfpT
微妙公(前田利常)が、御旗本衆に大阪の陣でのお話をなされた事があった、

「我々は当時、霧の深い朝で、なかなか大阪城すら見えない中を、周りを手さぐりするようにして進んだ。
そうしているうちに昼前には霧が晴れたのだが、そこで我々は、自分たちの旗と大阪方の旗が触れ合うほど、敵と間近な
場所に居ることに初めて気がついた。

敵は我々に気がつくと城から猛烈に撃ちかけてきて、我らは立ち上がることも出来ない有様であった。
そのうちにだんだんと負傷者や討ち死にするものが出来、このため私は、前線の者たちに早々に撤退しろと伝えるため
使番を出すことにした。

この時の使番は森権太夫と言う者であった。しかし前線は城からの射撃のため、鳥であっても駆け入ることは難しいと
思えるほどであったが、この権太夫は直ぐ様塀の上に土踏まずを踏み出すと、躊躇いなく前線に懸けて行き、
そこの人々に撤退することを伝え、本人はその殿を務めた。

やがて帰ってきた森権太夫の母衣には、銃弾の跡が47,8ほども付いていたが、冥加が良かったのだろう、
体には全く当たっていなかった。

私はこれまでに、あれほど振る舞いの見事な者を見たことがないよ。」

微妙公はこのお話を度々仰っていた。大阪の陣で働きの有った人々はたくさん居たのに、他の人の話はせず、
この森権太夫殿の話を何度もなさっていたと、これは藤田内蔵充殿が言われたことである。

同じ話は森半左衛門殿にもお話になられたそうだし、かく言う私(著者)自身も承ったことが有る。
(微妙公夜話)

前田利常が、大阪の陣で最も印象に残ったと思われる、森権太夫という家臣についての話である。




393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/04(火) 08:38:17.49 ID:3qsqpFso
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-312.html

森権太夫は銃弾飛び交う中で大胆にも尿を足した人と同一人物かな

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/04(火) 09:20:17.69 ID:6sJaGlq5
母衣って矢は防げそうだけど弾も防ぐのか?

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/04(火) 10:36:58.54 ID:MNFMGLF1
>>394
弾道によるんじゃね?

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/04(火) 11:07:24.92 ID:K+KH0Lsd
垂らした布は球形の弾丸相手なら一定の防弾効果があるらしい